「人生に良いエピソードを」



一度こっきりの人生、せっせと(汚い金でも)掻き集めるよりも、あの世にも持っていける快いエピソードを集めたい――(と負け惜しみをつぶやく)


戦後64年目の卒業式

東京新聞2008年9月8日


空襲で中止、戦火の記憶忘れぬ
戦後64年目の卒業証書
北区滝野川第六小学校来月に式、複雑な思いも

 東京都北区滝野川第六小学校で十月二十五日、終戦の年に卒業した人たちの六十四年目の卒業式が行われる。同小の創立八十年の一環。当時は空襲の恐れがあり、式が開けなかった。いにしえの少年少女も、今では「後期高齢者」の仲間入り。ちょっと照れくさい気持ちとともに証書を受け取る。
 対象は、滝野川第六国民学校(当時)の昭和十九(一九四四)年度の男女各二クラスの卒業生百五十七人。東京残留組のほか、群馬県高山村に集団疎開していた児童も同二十年三月に帰京し、卒業式に備えたが、当日、学校に集まったところで空襲の警戒警報が鳴り、解散になったという。
 同小の藤橋佐記子校長によると、六十四年目の卒業式は、卒業生の知人から打診があったのがきっかけ。八十周年記念行事で行うことになり、同校で戦争体験を語り続けている地元の越部光治さん(七十六)と松本成治さん(七十五)が中心となって、同級生にあたった。
 消息がわからなかったり鬼籍に入ったりした人も多く、当時のいじめをめぐって複雑な思いの人もいて、参加者は十数人にとどまる見込みだという。
 松本さんは「不思議な感覚ですね。もらってうれしいという単純なもんじゃない。中には当時を思い出したくないという人もいるようです」と言う。
 参加予定の作家本庄慧一郎さん(七十六)=本名・望田市郎=は「餓死か焼死かという時代でした。こういう時代があったことを記憶にとどめるためにもらいに行きます」と話す。後日、歌手らと手弁当で同校におもむき「平和を願う歌」のミニコンサートを開く計画も進めているという。
 同校は昭和二十年五月の空襲で焼夷弾を落とされ、四カ所から出火したが、懸命の消火で消失を免れた。今でも創立以来の通し番号が入った当時の卒業名簿が残っており、当日は、その番号が入った証書が渡される。
 藤橋校長は「今の子供には、卒業証書をもらえないことは考えられず、まさに『生きた歴史』。子供たちが式を見て、一枚の紙の重みを感じてくれれば」と期待している。
(2008年9月8日東京新聞より)





万感64年目の卒業式

東京新聞2008年10月26日


万感 64年目の卒業式
昭和20年、空襲おそれ北区滝野川の小学校

 東京都北区の滝野川第六小学校で二十五日、昭和十九(一九九四)年度卒業証書授与式があり、出席した卒業生十一人に六十四年越しの証書が手渡された。卒業式は昭和二十年三月に行われるはずだったが、空襲のおそれがあるため、中止されていた。
 卒業生百五十七人のうち、男性四人と女性七人が出席。一人一人の名前を呼ばれると、しっかりとした足取りで壇上に上がり、藤橋左記子校長から証書を受け取った。
 同級生のまとめ役の越部光治さん(七六)は、「もう少し早く卒業式をできていたら、大勢の同級生が参加できたかもしれない」と喜びの中に寂しさも。学校に記念の置き時計を贈った山本易子さん(七十五)は「思った以上に多くの人に祝ってもらえて良かった」と安堵していた。作家の本庄慧一郎さん(七十六)=本名・望田市郎=は「あの時に帰りたいね。名前を呼ばれて、六十四年前と同じ気持ちで『ハイ』と返事をした」と笑った。
 式が終わると、卒業生十一人は在校児童に手を振りながら退場。教室で記念撮影し、笑顔で母校を後にした。
(2008年10月26日東京新聞より)



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