「ニッポンの芸能人」シリーズ36
2005/6/20
モシ・もし・申し……。
「世界がもし100人の村だったら」という本があった。
その「もし」を、いまのテレビにあてはめてみたいと思う。
「素人いじり」ということ。
たとえば、寄席などで、高座(舞台)から芸人がお客さんを引き合いに出して笑いのタネにすることを「素人いじり」「客いじり」といって〔禁じ手〕としている。つまりいっぱしの芸人――プロたる者はやらないということだ。
芝居(演劇)でも同様である。
以前、劇団前進座の公演を観にいった時(ジェ−ムス三木の作・演出の時代ものだった)、物語に登場する夜鷹(町かどでからだを売る娼婦)が客席におりてきて、男性客に「どこから来たの。あたしと遊ばない」などとやっていた。「前進座がこんなことを?」とがっかりし、肚を立てた。「下卑た素人いじり」そのものだった。
しかし、現今のテレビのエンターテインメント番組のほとんどは、この「素人いじり」である。
時給130万円と170万円。
週刊誌のデータによると、司会者のみのもんたの時給(出演料を時間で割った数字)が130万円。久米宏が170万円だそうだ。
別のデータではみのもんたの毎日のワイドの出演料は週2000万円(1番組)という。
1回300〜600万という出演料のタレントはほかにもいる。
例によって、所ジョージ・明石家さんま・タモリ・島田紳介・ビートたけし……。
つまりは〔視聴率〕が稼げるから、という理由で目を剥くような出演料になるのだ。
〔視聴率〕はそのまま〔宣伝効果〕であり、CMタイムが広告主へ高く売れるという図式である。
そして、彼らがせっせと〔素人いじり〕番組でやたらのさばるということになる。
これが、JRや航空会社などの場合だったら「利益最優先主義」は大事故を必ず諾起こしている。
もしもいま10人の司会者が……。
その続きは「テレビから消えていなくなったら」である。
となったら、テレビ局の連中はナニをやるのかね。
「目にするだけで腹が立つ俗悪バラエティ番組」(週刊文春)が、とにかくすっきりと姿を消したら、すこしはまっとうな番組が出てくるのではないか。
小穢い毛ズネを出したニイちゃんたちの口から出まかせの、悪はしゃぎのバラエティ番組や、出たがり屋の素人をコケにした「出張番組」のVTRを、安物のタレントがスタジオでおちょくるなんてワンパターンも片付くだろう。
だいたいテレビ局のスタッフは年収1500万円とかいうし、広告代理店あたりの高給取りもン10年もどっぷりつかっていると、からだや脳や心を損傷する現実をぼくは知っている。
また、きわめて貧しい環境から、思いもかけない大金を得た成り上り者も、人間としての心を、常識を狂わせる。
バブル経済は崩壊しても……。
人間の心の奥底には、あのバブルの毒素は残留していて、したたかに生きのび、跳りょうしている。
金まみれ・欲まみれの狂的政治・社会情況はいま、益々エスカレートしているではないか。
時給130万とか170万とかいう数字の真偽はおくとしても、異状であることは間違いない。
その異状を異状として認識しないギョーカイも、さらに視聴者もこれまた〔大異状〕だ。
同じテレビのギョーカイには、ずいぶん多くの自殺者がいる。また自殺同様ともいえる病魔に命を食い千切られた者も多い。
人間って哀れだなあ。
— posted by 本庄慧一郎 at 05:17 pm
この記事に対するコメントは締め切られています