「ニッポンの芸能人」シリーズ63
2006/7/7
マキャベリズムという言葉
マキャベリズム――もともとはイタリアの政治家マキャベリ(1469〜1527)の政治家としての思想のことをいうのだが、転じて「道徳的・宗教的な理念より、権謀術策を駆使して諸事を処理しようとする主義」となるという意味で使われている。
あらためて例を挙げるのも気がひけるが、この言葉からホリエとかムラカミとか、最近話題のそのものズバリの人物がすぐ想起できるが、彼らのようにたやすくシッポを出さない者が政治及びそこにかかわる省庁の役人の中にワンサといる。また大手企業の中枢にもウヨウヨしていることもあって、スキャンダラスな事件やウンザリするような不祥事はあとを断たない。
彼らの権謀策術が破綻する以前の、ヌケヌケとした彼らの得意げな表情や行動を思い出す。おのれを冷静に客観視する常識人としての思考がまったく欠落している人間の得手勝手でゴーマンなことといったら! そう、現在、そのもっとも典型的ともいえる人物をひとり挙げるとすれば、やはり金日成か。
たまたま観たテレビドラマ2種
テポドン騒動のさなか、たまたまテレビで2種のドラマを観た。
フジテレビ7月5日昼の「危険なアネキ」(再放送)と同日のテレビ朝日夜の「羅生門」なる新番組。
前者は、大病院を舞台にした若い医師や看護師たちのはなし。
原作が劇画なのかマンガなのかは調べる気もなかったが、ひたすらオモシロク笑わせようとするストーリー、人物設定、そして出演者たちの演技と、加えてトータルの演出は、ただもう愚かしくアサハカなおふざけでしかなかった。
ぼくは昨年、「ギラン・バレ−症候群亜型ミラー・フィッシャー症候群」などという疾病に襲われた。十万人に一人とかいうこの病名も耳にしたことのない病は、一夜にして全身ボロ屑になる激しいもので、「痛い・苦しい・辛い」という地獄の底で呻吟した。が、担当医師の好判断と、看護師、リハビリ療法士の皆さんのおかげで、合計4ヶ月〜5ヶ月という治療・入院期間を2ヶ月に短縮して退院。即、自主トレーニングと自称して執筆活動を再開した。
その実体験からいえば、病院の医師や看護師、そしてスタッフの日々の真剣な活動ぶりは、ただ感謝と賞賛に値すると思っていた。
あのドラマの企画がどういう経緯で成り立ったのか知らないが、ただひたすら軽薄で浅慮で愚かしい人物造型には呆れ返るばかりだった。
「視聴率」を稼ぐためには手段を選ばないテレビ人種をあらためて嫌悪した。
あの種のドラマ(といえるのか?)を、病院という現場で働く皆さんはどう思っているのか知りたい。
刑事ドラマというもののこれから
テレビ朝日が自家メディアを臆面もなく利用しての新番組「羅生門」もなんとなく眺めた。
警察署だか刑事部屋だかのあの異常さはなんなのか。
そして、登場する人物たちのふんぷんと臭うキャラクター付けのあざとさ、おぞましさ。
伊東四朗といったずっと好感をもってきた俳優にも、落胆をせざるを得ない。
ファルスとか、スラップスティック・コメディとか、ナンセンスやドタバタも大好きだ。
生前の由利徹さんとは、親しくさせていただいた。
徹底した彼の喜劇役者としての表現舞台はそっくり愛した。
自分でもあえて「FARCE(ファルス)」と名付けた舞台のホンを書く。
(今秋、劇団テアトル・エコー第131回公演「大都映画物語――遺骨まで愛して」もその具体例だ)
しかし、ファルスとかスラップスティック・コメディや、ナンセンスやドタバタという企画は、制作者や出演者が不勉強でいい加減で不真面目だと笑うどころか、ただ肚の立つシロモノに成り下がる。ただの悪ふざけにしかならない。
いや、それでもあの「羅生門」なるドラマが好視聴率を稼ぐということになるのだろうな。
ダメな視聴者はつまりはテレビをダメにする。
そして、ダメな選挙民は政治をダメにする。
それにしても、テポドンとやらの破壊兵器をやたらぶっ放す国も元首も絶対に許せないが、ノーテンキなテレビ番組をチヤホヤしている日本の現況も容認できない。
— posted by 本庄慧一郎 at 04:52 pm
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