「ニッポンの芸能人」シリーズ72
2006/9/8
ネコもシャクシもバラエティだと
いささか旧聞に属するが――8月末の新聞の芸能欄に「夏の民放ドラマ、視聴率低空飛行」という見出しの記事があった。
時代劇、深夜枠を除くという但し書きがあるが、12作品の視聴率が出ている。
春秋の番組編成替えの時期、自局の前宣伝には各局ともにナリフリカマワズとPRする。たとえばニュースワイド番組などに主役のタレントをしつこく登場させるなどして、ガン首並べたメンバーらもせっせとタイコモチ役を演ずる。
今回リストにあがった「サプリ」、「ダンドリ」、「結婚出来ない男」「CAとお呼び!」……などなど、すべての作品の初回の視聴率が2回目からガタンと落ちている。
その12作品中、平均15%以上というのは1作品のみだという。
男女二人の評者いわく「配役固定(ツマラナイ)」「“つかみ”悪い脚本」、そして「バラエティ風量産のつけ」ときめつけているが。
元放送作家であるぼくは、この12作品のうちの1本も見ていない。
とても、その時間を待って、じっとブラウン管を見つめる忍耐力も関心もない。
もっとも局も作り手たちもぼくのような者は眼中にないのだろう。いまのテレビのエンターテインメントはすべて「おとな」を相手にしていないのダ。
だいたい、現行のテレビドラマは、ほんらいの「劇」ではなくて、うんざりするほどのさばっている安直なバラエティ番組の変形にすぎない。
Varietyとはほんらい「変化に富むこと」などという意味だが、そのバラエティがキンタロー飴みたいなありさまで、その延長線にあるテレビドラマが変わりばえせずに飽きられるのはアタリマエである。
向田邦子原作「びっくり箱」の舞台について
向田邦子さんがラジオの脚本を書いていた頃、同じようなエリアでぼくも同じような仕事をしていた。
向田作品のテレビドラマ化では、先日逝去した久世光彦氏の作品が印象にのこる。(CFの仕事のこと、また企画のミーティングなどで何度かご一緒したし、同席のスナップ写真もあるが、なんとしても早々に逝かれたのは残念!)
たまたまこれも8月末、NHK3チャンネルで、4月に紀伊国屋ホールで上演された向田邦子原作、中島淳彦脚色、福島三郎演出「びっくり箱――姉妹編」というVTRを見た。
沢口靖子・余貴美子・永島敏行といった俳優たちが演ずる「向田ワールド」はまるで(?)だった。
まず、出演俳優たちの「もの言う術」が無味乾燥で、舞台全体が賞味期限切れの味けなさだった。
そのせりふはまるで、駅のアナウンス「コンピュータ・ボイス」そのものだ。
演出意図なのかどうか知る由もないが、当の余貴美子・永島敏行クンたちはどう思って演じたのかね。
そういえば、テレビのドラマの主役たち――とりわけ、見た目だけの容姿を買われてのタレントたちの演技や、とりわけ「もの言う術」の拙劣なこと。
いや、テレビドラマに限らず、若い出演者が中心の舞台などでは、ひたすら叫ぶ、怒鳴る、喚くといったテイタラクで、とてもとても共感や感動の境地にたどり着けない。
彼らがもし、電車やクルマの運転手だったら、例外なく事故になる――そんな未熟な者がバッコする業界がダメになってもしょうがないのでアル。
— posted by 本庄慧一郎 at 11:43 am
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