「ニッポンの芸能人」シリーズ74
2006/9/22
前進座創立75周年記念公演のこと
現在、中村梅之助さん率いる前進座との縁には、格別の思い出がある。吉祥寺の前進座劇場が出来る以前(劇場完成は1982年)、木枠の大火鉢のある質素な造りのけい古場におじゃましている。
ぼくの演劇の師である劇作家三好十郎氏の指示で、演出の勉強に行ったのだ。
今回の三越劇場及び前進座劇場での公演は「劇団創立75周年」とある。
ぼくの資料の中に「グラフ前進座/創立55周年記念」があり、その歴史をじっくりと再見した。
その舞台作品歴もすばらしいが、映画「戦国群盗伝」(原作三好十郎)「人情紙風船」「阿部一族」などの骨太の名作がズラリと並ぶ。
故人となった河原崎長十郎、中村翫右衛門、先代河原崎国太郎。そして先代嵐芳三郎、瀬川菊之丞、また名脇役故坂東調右衛門。さらに藤川八蔵。そのお孫さんにあたる藤川矢之輔は今回の演目でも4役をこなしているベテラン……というツブ揃いの役者(!)のさまざまな舞台のダイナミズムは、さわやかな魅力にあふれていた。
75年という歳月を考える。おのれの人生と重ね合わせて、その時の流れを考える。
現在の演劇のあれこれを考える。
三越劇場「たいこどんどん」の舞台の華
井上ひさし作、高瀬精一郎演出「たいこどんどん」。
パンフレットに演出の高瀬精一郎さんの「たいこどんどん春秋二十年」の一文があり「この秋の公演で四百数十回になる……」とある。
高瀬精一郎さんは、坂東調右衛門さんの御曹司で、前進座の名作舞台といわれる数々の演目の演出を手がけてきた方だ。
「近松からの出発」(演劇出版社)という重厚なご著書があり、近松作品にとりわけ造詣が深い。「近松原文読みの会」といったユニークな研究会を主催されていて、高瀬さんの「語りの名調子」は特筆に価する。
その高瀬精一郎さんの演出になる「たいこどんどん」の舞台は以前にも観ているが、近松ものなどの本格歌舞伎舞台の演出とはガラリと趣きを変えていて、文句なしに楽しい。もちろん「ミュージカル」と銘打っている演目だから、「和服で下駄タップ」などのポップした趣向が随所にあって、ワクワクする。
主役のたいこもち桃八の松山政治、放蕩三昧の若旦那清之助の河原崎国太郎コンビの、自業自得と受難の珍道中物語には、上質のエンターテインメントが横溢している。
この種の舞台は、出演俳優の所作やせりふ術が未熟だと魅力は台なしになる。さらに「ミュージカル」としてのリズムやキレや軽快さがアピールできなければ、当然、みじめでダサイ舞台に変質する。
その点、出演俳優の皆さんの演技術の確かさは思い切った高瀬精一郎演出に応えて、華やかで艶っぽくて、そしてユーモラスな舞台に結実させていた。
この種の作品は、いま巷にバッコする若い(?) 劇団ではとうてい上演できないだろう。所作・立ち居振舞いはもちろん、やたら一本調子でやたら駆けずり回り、やたら喚く、どなるといったぶっきらぼうのせりふ回しの生硬な俳優たちには手におえない。
色里吉原と幇間(たいこもち)と
かく申す本庄慧一郎も、現在「文庫書き下ろし時代小説」では色里吉原やたいこもちはせっせと(好んで)書いている。
といっても「たいこどんどん」の桃八のように哀れをさそうお人好しではなく、女郎の股くぐりや、珍妙なタコ踊りを得意としながらも、実は「法で裁けぬ悪党を裏で始末する」という男……というデンで、目下せっせとチャンバラと悪党退治を書いている。
それにしても現在の政治や社会には、まったくどうしようもない悪党がウヨウヨしているでしょ?
しかも、政治というフィールドには、口から出まかせの屁理屈を並べて、時の権力者にシッポを振るハレンチ極まる政治屋たいこもちがワラワラとのさばっていますよね。口八丁・手八丁。裏工作と欲かきばっかりのクソみたいなたいこもち野郎を野放しにしている社会なんて、まったく許せないですね。
せめて、時代もの小説でそのリューインを下げるということで、拙作もそれなりに売れておりますよ。
これからの前進座さんへの希望
いまの世の中、文化国家をなんていうのはウワベだけ。
ほとんどの劇団はあいかわらずの経営に四苦八苦です。
でもやはり、楽しくコクのある舞台(ライブ)を創り出さないといけません。
良心も歴史もある前進座さんあたりが、今後も伝統を継承する演目はもちろん、「俗悪な現代を撃つテーマや物語」をガンガン舞台化してほしいですね。
前進座でしか出来ないモノがあると思います。前進座だからこそ出来るモノがあるはずです。その水脈は、きっと集客パワーにつながります。
心から期待しています、前進座さん!
— posted by 本庄慧一郎 at 11:41 am
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