「ニッポンの芸能人」シリーズ90

畏敬する先輩たちのご好意に胸熱くする
 今回のテアトル・エコーの公演「大都映画撮影所物語」からうれしいエピソードがいくつも生まれた(生まれている)。
 まず演劇評論家菅井幸雄さんが書いて下さったコラム(85回に転載しています)と、そして小沢昭一さんのお葉書「前略 いま帰ってきました。いいお芝居でした。望田さんと作品とエコーは、性が合いますねえ。ぜひ続けて下さるといいなァ! ウレシイ一日でした。ありがとうございました。再拝」(注、望田は本庄慧一郎の本名)。さらに評論家粕谷一希さんのお手紙の過分なおほめの言葉――「(略)時代考証がたしかで、しかも時代批判が安直でなく、実感があること。すべて脚本の面白さです。(中略)近々、本庄さんを囲んで、祝賀会・合評会を開きましょう」とある。
 もちろん、ずしりとした大ぜいの皆さんのご好意にあふれたアンケートのメッセージもぼくを嬉しがらせたが、とりわけ上記お三方のコラム・お葉書・お手紙は〔永久保存〕のお宝になった。
 昨日(1月11日)、粕谷さんからじきじきのお電話があって、来たる2月1日(木)に会を催して下さるとのこと。
 このトシになって雀躍(こおどり――という熟語を自分の気持を表現するために使うなんてシアワセ過ぎ!)するような思いである。
 ちょっと涙腺にユルミが出たせいもあるのかもしれないが、ついジーンとして目尻を拭う。
 ちなみに、粕谷一希さんからご恵贈いただいた最新刊の「作家が死ぬと時代が変わる――戦後日本と雑誌ジャーナリズム」(日本経済新聞社)の〔著者紹介〕の文章を転載させていただきます。



粕谷一希(かすや・かずき)
1930年東京生まれ。東京大学法学部卒後、55年中央公論社入社。67年より「中央公論」編集長を勤め「歴史と人物」「経営問題」編集長も歴任。78年同社退社後、評論活動を開始する。86年東京都文化振興会発行の季刊誌「東京人」創刊とともに編集長就任。「外交フォーラム」などの創刊も手がける。87年都市出版株式会社を設立し代表取締役社長に就任。現在、同社相談役と英・中・スペイン3カ国語の海外向け月刊誌「ジャパンジャーナル」の社長兼編集長を務めながら、評論家として執筆、講演活動を行う。主な著書に『鎮魂 吉田満とその時代』『反時代的思索者』『河合栄治郎』『戦後思想』など。




●論外
 楽しい気持に水を差す事件が続発している。社会というフィールドの事件や犯罪はおくとして、しきりと「増税時代」がいわれる昨今、「公費濫用」「公費横領」事件も次々と発覚している。
 東京新聞1月12日(金)の第一面「自民閣僚・三役7氏・事務所費6億8000万円」の見出しと不透明を指摘する記事をはじめ、政務調査費と称する公金も飲食やカラオケなどの遊興費に使っていることなど、この種の薄汚いスキャンダルは続々と暴かれている。
 腐爛したゲテモノを「美しい国へ」という名のいかがわしい膏薬(公約!)で覆い隠そうとする悪質な輩を「支持している選挙民」もほんとうに許せないね。

— posted by 本庄慧一郎 at 02:37 pm  

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