汚職・犯罪国ニッポン
安倍ソーリ大臣とやらが、いくら「美しい国」といったカラお題目をくり返そうが、いまの日本は国の命運を決定づける政治家本人の資質も、そこに群がる官僚や役人、それにへばりつく穢いヒルのようなOBどもの跳りょうで「醜い国」でしかない。
たとえば5月25日(金)の新聞3紙を広げる。
農林省水産局所管の独立行政法人「緑資源機構」の官製談合事件――またかまたか。まだやってるか。くそ役人・OBどもよ! ととことんうんざりする。
権力亡者、金権亡者ばかりがウロチョロする現世である。
ほんらい〔亡者〕とは、死人のことである。
まともに成仏できない死者のタマシイが冥土への途中で(たぶん三途の川の手前あたりで)迷っている状態のことだ。
そんな怪しげな連中が公金・税金にワサワサとたかっているのである。
今回の汚職談合事件の最高責任者たる男(ナントカ還元水の大臣!)とどういういきさつがあるのか、安倍ソーリとやらの庇護をうけて、人間らしい感情をまったく喪失した干物の魚のような面で生きのびている。こんな人間どもを、だれが選んだのかね?
ワルを裏で始末する時代小説を書いている
「越後屋、おぬしもなかなかの悪党よのう」
「ひひひ、お代官様ほどでもありませんよ」
「ぐははは、それを言うな」
(二人とも傍若無人に呵呵大笑する)
これはテレビ時代劇のワンパターン・シーンだ。
しかし、2007年の現在も、その表向きの風景や体裁は異なるもののその下司でハレンチな内容は少しも変わらない。
文庫書き下ろしという時代小説を書き始めてそろそろ10年になる。
親しい編集者たちから「毎月一冊というペースで書けばベストセラー作家になれますよ」というウレシイ提言・助言がある。
もともと、ピカレスク時代小説のベストセラー作家、故峰隆一郎氏に「あんた、いけるよ。おれみたいなワルを主人公にした小説どんどん書きなよ」とゲキレイされて、このフィールドに踏み込んだ。
そんな峰さんから直接の電話をもらったのは、徳間書店の「問題小説」に短篇「狐火と生っ首」というのをのせてもらった平成8(1996)年6月号が出たすぐの時だった。
1ヶ月に1冊というペースは諸般の事情で実現できない。というのも、どうしても自分が生きた「昭和」という時代にも大いに関心があって、そっちへ気がいってしまうからである。(昨年2006年、テアトル・エコー公演「大都映画撮影所物語」は好評をもらい、その路線で某(大)劇団に新たに脚本を書くことになるかも知れない――という文句なしにうれしい昨今である)
でも、毎日、江戸時代中期〜後期の資料と首っぴきで原稿を書くというスケジュールに変わりはない。
それで――2007年と江戸時代のアホ権力者とワル役人の跳りょうという共通項はまるで変わっていないということに、つい大きな大きなタメ息をつくのである。
アシスタントであるワイフは「大きな大きなタメ息も深呼吸の一種といえないこともないでしょ。だったらからだにいいんじゃない?」とのたまう。
悪党退治のハナシをせっせと書くぞ
最近、ある雑誌のインタビューをうけた。
チャーミングな女性記者E・Mさんは、ぼくの話をこうまとめてくれた。
「ぼくの作品に登場する主人公は、きまって武家社会で理不尽な目にあって江戸に逃れたアウトサイダー。酒も女もそのときまかせの表向きは独り者の遊び人。裏ではこの世の邪悪に立ち向かう闇の始末人が生業。
一家離散の目に合い、悲しみを知っている――を江戸の町を舞台に愛刀を振るう一本筋の通った男を本庄流に描いています」
こうカッコよくまとめてくれている。
犯罪者とはこころの居場所を見失った者のことだ
このH・Pで「居場所難民」のことを書いた。
「若年ホームレス」とか「インターネットカフェ難民」の話題も気になる。
しかし、地位も財産も十分にありながら、なおかつみすみすあざとい欲のために「前科者」への道を転げ落ちてゆく男たちにはやはり哀れな人間の業を思わずにはいられない。
彼らは豪邸にも別荘も(また世間にはひた隠している妾宅も)あるんだろう。
でも、一人の人間として、一人の男としてあっけらかんと素直に振る舞える真の〔解放区〕を手に入れることがなかったのだと思う。
仮面をつけて、その上に厚塗り化粧をして、それで心にもない嘘を口走って……あんた、それで、どこにいくの? ですよねぇ。
「こころの居場所を失った者が、すべて犯罪者に墜ちる」とは言わないが、しかし「犯罪者たる者はすべからく、こころの居場所を失った者である」とあえ申しあげたい。
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