「社会&芸能・つれづれ愚差」第38回(通算148回)

07年度のキイワードは〔偽〕だとか
 政治屋・官僚・役人から、食品メーカー・一流料亭、そして……どれもこれもが〔偽〕というか〔虚〕というか、はたまた〔妄〕というか〔似非〕というか、〔羊頭狗肉〕というか〔眉唾―まゆつば〕というか……とにかく、よくもよくも〔同工異曲〕というカンカン踊りに興(狂)じたものである。
 だいたい、こちとら作家・小説家なんて〔虚構―フィクション〕をまことしやかな物語に仕立てあげて、いくばくかのおカネを頂くのがショーバイ。
 〔真実〕や〔誠実〕や〔誠心〕を絶対条件とする仕事をすべき連中がこぞって〔偽〕にトチ狂っては、こりゃ手におえないのでアル。
 でもね、とにかくいまの社会――人の世をまっとうに生きている者たちも大勢いる。
 人間、いくらまじめに生きようとしても、結果として〔偽り〕を招いてしまうこともある。それは許してあげねばならない。いや、許してもらいたい。
 なんにしても確信犯的な〔偽〕がはびこる時代というのは、まぎれもなく政治が劣悪だからだ、と〔確信〕する。
 現在の犯罪と事件だらけの醜悪な国にしたのはダレだ?
 長期にわたって政治のイニシアチブでを握ってきた自民党の責任は明白である――にもかかわらず! まったく!

〔暴走〕というキイワード
 〔暴走老人〕が話題になっている。ほんらい人生経験の豊かな年配の者が、未熟な若者のように、軽率な無知な言動や行動をとるということだ。
 従来、暴走族といえば、意志の弱い自己顕示欲だけを肥大させた少年(!)たちが二輪車・四輪車のメカ・エネルギーのパワーに依存して、ルール違反や迷惑行為で、劣悪意識の埋め合わせをすることだった。
 いまは、クルマなどには関係もない老人たちがエテガッテな暴言や暴力でのさばるのである。
 これはぼくの独断だが、長年、企業というアメーバのような組織体で〔飼育〕されてきた企業人OB(定年退職者)にこの種の人間が多いのではないかと考えている。
 年齢相応の思慮も常識も、想像力も創造力も持ち合わせていない者は、家庭に還ることもできず、社会に順応することも叶わない。
 定年退職したご主人が、のべつ家に居座るようになってから、奥さんや家族が培ってきた〔和〕がたちまち崩れた――という例は枚挙にいとまがないとか。
 企業というモンスターに人間としての心を吸い取られた者の行方は悲劇だ。

〔暴音〕という造語について
 都市の〔音環境〕について東京都は「目だけではなく耳にも優しい音環境についての政策を推進する」とか。
 作家というショーバイには〔静寂〕が絶対条件である。
 仕事場には、好みの音楽は別として、不必要な音は一切要らない。
 そんな場所で長時間過ごしたあとには、ことさらに音に敏感になる。
 となると、政治・社会一般の情報を求めて新聞等は精読するが、テレビの報道番組もチェックする。
 しかしこのテレビの〔音〕に対する無神経さというものは最近、極度に劣悪化している。
 アナウンサー・コメンテーターの未熟さや無神経さ、そして非常識……など目に余る。
 〔しゃべり〕の内容の質と同時に、しゃべりそのものの技術もひどい。
 とりわけ、やたらシークエンスを分断して挿入されるCMのセンスの悪いこと。元(!)CM制作者として「このギョーカイから離脱してヨカッタ!」とつくづく思う。
 それとステーションに言いたいのは、CM量のことだ。かつては番組の場合は、提供枠時間の10%を限度とするといったルールがあったが、現在はどうなっているのかね?
 もうひとつ、報道番組などでもキンキラのアニメ声(マンガ声)が跳りょうするが、あれは「音環境」破壊行為だぜ。ただ不快であるよ。
 もう一つ、新聞記事などを(イージーに)紹介する(?)コーナーなどで、項目ごとにいちいちME〔音楽効果音―ジャン!とか〕を挿入するなどこれもうるさいだけだぜ。
 制作者たちの悪ノリはむしろ……哀れをもよおすね。
 ちなみに雑誌「世界」08年1月号の記事「メディア批評」神保太郎の惹句は「メディアの役割は権力を監視し、時代の課題を設定すること。日本のメディアは何をしているのか?」だよ。
 どうかテレビよ、愚かしい(騒音ゴミ箱)にならないでくれよナ。



 ところで、環境庁(当時)が案出したという「日本の音風景百選」では、東京関係では柴又帝釈天、上野の鐘、吉祥寺の成蹊大学のケヤキ並木、そして石神井公園の三宝寺が選ばれている。
 現在は上石神井寄りの仕事場を常用しているが、三宝寺池までン十秒という家(いまは長女が住んでいる)は、三宝寺池と丘の上の氷川神社がよくて購入したものだ。
 足ならしのウォーキングで朝や夕暮れどきに池の周辺を歩く。
 踏みしめる落葉と、風に舞い落ちる枯葉。そして、池のさまざまな鴨たちの声と水の音のさざめき。
 小うるさいテレビのバラエティ番組といわゆる〔ヤマ場CM〕のいやらしさを嫌っての三宝寺池周辺のウォーキングはいいなあ。
 きょうもカワセミの姿を見たよ。
 石神井三宝寺周辺でのキイワードは〔静寂〕と〔清聴〕でアル。
 わが人生のキイワードは〔快〕である。

— posted by 本庄慧一郎 at 01:06 pm  

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