「千の風になって」の新井満さん
テレビのある音楽番組で、新井満さんが、「千の風になって」の自作の歌詞(日本語詞)を朗読するのを聴いた。
いや、前半を朗読して、後半を歌った。
とてもよかった。とりわけその〔語り〕は心にしみた。
秋川雅史さんの歌ももちろんGoodである。
ぼくの二十数年来の友人である渡辺洋さん主催の異業種交流のパーティで(もう二十数年も続いている)、秋川さんが歌ったのをじかに聴いている。NHKの「紅白歌合戦」出演以前である。
近頃の若い歌い手のだらしのない歌唱(日本語を外国語のようにくずして歌う)とは異なる彼の唱法とマナーに好感をもった。
でも、新井満さんの朗読には、彼の歌唱とは別の説得力と魅力が横溢していた。
新井満さんとの思い出
ぼくが本名の望田市郎で広告のコピーライターをやっていた時代に同業の新井満さんと何度かお会いしている。
昭和51(1976)年頃、ぼくが日本語詞を書いたイタリアの歌曲「チンチン・ポンポン」が発売元のキングレコードからヒット賞をもらった。
その席上で、新井満さんと隣り合わせた。
「モチダさんは何で?」と彼。
「あの…『チンチン・ポンポン』で…。新井さんは?」
「ぼくは『ワインカラーのときめき』で」と彼は答えた。
たしか、作詞・作曲・歌が新井満さんで、カッコよかった。
その後の彼は芥川賞を受賞なさった。これもカッコよかった。
芥川賞とは関係ないが、ぼくも時代物(エンターテインメント)小説を書き始めた。(文庫書き下ろしは、50冊に向けて作業中)
100万枚突破のCDのカップリングは……
「千の風になって」の大ヒットに拍手した。
もうひとつ、この曲のカップリングがぼくにはうれしかった。
美空ひばりの「リンゴ追分」なのである。
ぼくの叔父であり、また物書きとしての師でもあった劇作・脚本家の故小沢不二夫作詞・米山正夫作曲のあの歌だ。
このCDを手にした時(前出の渡辺洋さんからプレゼントされたのだ)に即、「このセンスはいいなあ」と感心した。
そして当然、秋川雅史さんの「リンゴ追分」もGoodだった。
ソプラノ歌手木山みづほさんのコンサートで……
秋川雅史さんとご同業の木山みづほさん(ソプラノ/二期会所属)とはそろそろ10年なるおつきあいである。
木山みづほさんは、コンサートや発表会でのレパートリー曲の歌詞(日本語の歌曲を大事に歌っている)をまず朗読するのである。そのけい古のためにぼくの所に通ってきた――。
さらに、ぼくの小説(時代物・江戸人情物)の“読み語り”をずっと研修してきた。
ぼくは、本庄慧一郎流でコーチしてきた。
その方法論は、演劇の基礎訓練や、ラジオ・テレビの〔音声化される言葉〕のためのノウ・ハウの援用である。
近頃の(とつい口にするトシになった)タレントたちのおざなりの、行きあたりバッタリのしゃべりとはまるで異なるチカラを木山みづほさんは身につけた――と思っている。
1時間、いや1時間半も一人で、五役六役も演じ分ける独演でも、さすがパワーが落ちない。同時に、江戸弁っぽい男役も演じるのダ。
そういえば、「木山みづほソロ・コンサート」のアンコールの場面で、ぼくは乞われるままに「リンゴ追分」を歌ったことがある。
ピアノは園田容子さん。カラオケなどの場では、あの「せりふ」までもヌケヌケとやるぼくだが、この日はさすがにプロの前でということもあって、アガって、トチった――。
原稿のあるものを、しっかり音声化すること
新井満さんの自作詞朗読のことに話をもどしマス。
このところ、政治家たちもふくめて舌禍・失言による問題が続発している。
そして、ラジオ・テレビなどのマスコミでのタレントや芸能人のコトバの劣悪化……これはもう救い難い。
2年半ほど前、入院生活を余儀なくされ、ついでに久しぶりにラジオをじっくり聴いた。ラジオ・テレビはぼくの出身母胎であるのダ。
同期の永六輔さんや先輩の小沢昭一さんの番組など〔ごく一部の方々〕の番組は別格として、深夜の若いタレントの番組は……ありゃ、何だ? ですね。
今回、倖田來来という歌い手の「羊水は腐る」といった舌禍事件が問題化しているが、食品の偽装事件と同様、あれは〔氷山の一角〕といえるね。
深夜番組は〔若者たちの解放区〕なんていうが、あれは〔コトバの暴走族〕デス。
ジャズにアドリブ奏法というのがあるが、あれはデタラメ奏法ではない。音楽を楽典的に、また担当楽器の奏法等をきちんとマスターしたプレイヤーのみが参加できるものですよね。
いま、跳りょうバッコするテレビ・ラジオの〔勝手なしゃべり〕は言語表現に対して全く無知な者たちの暴走でしかない。(だから、暴言・妄言・失言はあって当然! そして局のスタッフたちのナアナア体質と……ああ!)とお思いになりませんか新井満さん?
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