手もとにキープしてあった新聞・雑誌からのコトバ(見出し)を無作為に並べてみたい。
「県域ラジオ全国初〔エフエム九州〕経営破たん」
〔クロスエフエム〕が事業を引き継ぐというが。原因は「広告不振響く」とある。スポンサーがつかずということだ。
それにしても「政府認可事業」が経営破たんしたとは……ね。
NHK内部の迷走と腐敗構造にはとうにうんざりしているが、現在の民放 の〔娯楽番組〕のテイタラクはどうだ?
「テレビ各局は、中国・四川大地震の義援金を視聴者から受けつけている。それなのになぜクイズ番組等で多額の賞金を出演者に与えるのだろう。矛盾していると思う。(略)地球温暖化や食料不足を訴える番組が増える一方で、平気で大食い番組を放映」(東京新聞「発言」欄)
アホ・タレントがやたら「おいしい!」と叫ぶ場面ばっかりの食べ歩きや旅番組もマンネリだよ。工夫なし、チエなし、努力なしの民放テレビ局。
凶悪殺人事件が続発している。その詳報をしつこく放映しているが、まるで唐突に、皇室関係の報道やどうでもいい芸能タレントの離婚の話題をヌケヌケと放映する。
現在の民放テレビ局は、編成とか編集といった整理能力はゼロのようだね。(鮨にカレーライスをぶっかけて提供するような無神経さを嫌悪しているぞ)
船場吉兆とやらの閉店は、偽装・偽称・使い回し……など料理素材と商品管理のデタラメさに原因があった。
現在の民放テレビ局のスポンサー提供番組をツラツラと観察すると、ひたすらCM過多でうんざりする。
あの現象はなにやら船場吉兆とやらの「偽装・偽証・使い回し」を連想する。
ニュースワイドなどの「ヤマ場CM」(というのだそうだ)のイヤらしく図々しいことといったら。しかも、15秒CMが5本・6本・7本と、まるで脈絡なく強引・一方的に突っ込まれる。
「番組」という大事な商品に対する無思慮・無神経さという点では現在のテレビ民放局は船場吉兆以上だね。
それを当然としている図々しさには、むしろ感心してますよ。フン。
「マス広告万能時代に幕/〔広告批評〕休刊」(朝日新聞)の記事は(元)コピーライターとしては、いろいろ思いはある。
この結果を「ネット台頭・業界変化を象徴」としているが、もうひとつ言えば、その主核として急進していたテレビ媒体の劣化−−魅力激減ということじゃないかね。そして、その傾向は益々加速すると思うね。
「テレビがダメならまたラジオ」なんて言われるが、現行のラジオはどうかね。例によって「ごく一部を除いて」と前置きするけど、いわゆる人気タレントのワイドDJ番組なんて「コトバのごみ箱」のようなものさね。
フリートークという名の行き当たりバッタリの勝手なおしゃべりには根っこのある魅力はない。
こうしたメディアで(時流に反して)使い捨てにされているのは、日本語と電力エネルギーと、バブル・タレントの人生だというコトだ。
新宿コマ劇場が閉館されるという。
昭和31(1956)年のオープン以来、親しんできた劇場だ。
初期は榎本健一や新国劇などの〔価値のあるエンターテインメント〕が楽しめたし、その他、商売柄、また個人としても縁が深かった。
一例としては、イトコがダンサーとして踊っていたし、舞台に立っていた娘が由利徹さんに可愛がられていた。
また、劇作家の叔父小沢不二夫が美空ひばりの「リンゴ追分」などの作詞をしていて、美空ひばりなどの座長公演をプロデュースした、コマ劇場スタート時からのプロデューサーと知己だった……ことなどいろいろある。
そのコマ劇場と新宿の街をぼくは知り尽くしていたが、最近の新宿は嫌いであまり足を踏み入れなかった。
コマ劇場の観客動員の激減の原因は「演歌の衰退」とある。つまり、演歌歌手の座長公演がまったく不振ということだ。
そういえば、日本の歌謡業界での〔演歌〕って、(これも一部を除いてという前置詞付で)まるで古いだけで、魅力もないものねぇ。
その〔古さ〕にはカビが生えてるもの。
そう、ここにも船場吉兆と同質の偽装・偽証・使い回し……があったよ。
でも、いちばん巧妙でしかも悪質な偽装・偽証・使い回し……をやっている のは政治家だと断言するよ。
コトバ・ことば・言葉をないがしろにしているモノは結局は見捨てられる。船場吉兆の「ささやき女将」も新しく台頭するメディアも……当然、やたらキンキン声でがなるCMや番組も。そう! いかがわしい政治家たちもね。