無趣味な男の交友録から
このHPでも何度か書いた。
私、本庄慧一郎(本名望田市郎)は、無趣味な男である。
ゴルフはやらない。ケイバ・ケイリンは嫌い。もちろんマージャンなどまっぴらごめん。そう、パチンコなどはテレビや広告の仕事をしている時代には打合せ待ちのヒマつぶしにやったが、現在は、あの暴力的騒音と俗っぽさがイヤ。
キライとはいえない酒も〔ツキアイ酒〕がダメで……となると、その種のトモダチはほとんどゼロである。
正直、ツキアイがいいように見えて、実はツキアイは嫌いなのでアル。
となると、ラジオ・テレビの番組、そしてTVCMとその音楽などという、いわばマスコミの仕事をうんざりするほどやって来たのに、トモダチはきわめて少ない。
現在のところ、快くつきあえる友人は10人ほどか。それで、十分である。
となると、とりたてての「交友録」といったものがない――が、別稿の東京新聞の「わが街わが友」に書いたように、仕事でかかわった紳士淑女の皆さんが、小生にとっての友人ということになるのだ。
フランク永井さんと筑紫哲也さん
08年11月は、このお二人の訃報に接した。
フランク永井さんとは(正確な年月日をとっさに思い出せないのだが――たぶん1975年頃か)清酒富久娘のTVCM制作でご一緒している。
映像の主役は中村(のちに萬屋)錦之助だった。
CMソングの作詞はコピーライター時代の小生で望田市郎。
作曲がそのセンス抜群で大好きだった故八木正生。
CMソングのタイトルは「男のやすらぎ」で歌はフランク永井。(その録音テープがあるはずだ)あのヒトの歌唱はとってもよかった。
思えば、キンちゃんが逝く、八木正生がすでに亡く、そしてフランク永井の逝去。
彼らについてのこと、いろいろ書きたいが――いずれ。
そして、筑紫哲也さん。
昭和59年(1984)、フィルムのコダック社主催の「広告写真塾」第2回のコーディネートを依頼された。
その時の塾生募集(50名)のポスターと講師名簿を記載したパンフがファイルされていた。コーディネートと司会進行は小生。
当時「朝日ジャーナル」編集長だった筑紫哲也さんに依頼した。
そして資生堂の宣伝制作部長だった中村誠さん、作詞家の三浦徳子さん、フォトグラファーの早崎治さん、コピーライターの仲畑貴司さん、そしてアートディレクターの……と、なかなかの顔ぶれが揃っていた。
とりわけ若き日の(!)筑紫さんにはぞっこんだったので、司会進行役としては、さまざまなQを発して〔雄弁〕に語ってもらった。
そのセミナーのタイトルは「ジャーナリストからのメッセージ」だった。
司会の小生は、報道写真という視点からのさまざまな話を引き出した。
とくに、戦時(太平洋戦争)中の、新聞・雑誌などの報道写真についてしつこく「事実と虚報」ということで質問した記憶がある。
それは「広告における写真」という話題に結び、熱い講座に成し得たといまでも思っている。
豊かな黒髪とハンサムな容貌。正面きって語りかけてくる折の、きらきらした目を忘れない。
フランク永井さん享年76歳。
筑紫哲也さん享年73歳。
再見! またアチラへいったら仲良くして下さい。
追伸
前述の「コダック広告写真塾・第2回」からすでに24年!
その時の受講生であった金城真喜子さんとこの夏再会した。彼女の友人の府川雅明さんが、現在小生のアトリエに定期的に来訪し、小説や詩の「読み語り」研修に励んでいる。(もうひとり二期会所属のソプラノ歌手木山みづほさんもすでに10年、小生夫婦ともども文章・コトバの音声化について学んでいる……)その府川さんが金城さんを誘って来てくれたのである。(縁というものはふしぎなものだ!)
フォトグラファーとして活躍する金城真喜子さんの最近の作品集は
「色彩の悲劇」冬青社(2001年5月)
「記憶の変容――Slise of Memories」冬青社(2006年5月)
モノクロームにこだわった作品は、カラーフィルム以上の鮮やかで豊かな色彩をイメージさせて、見る者のこころを快く酔わせる。
ぜひ、手にとって、ご照覧を。
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