●09年11月第3週の新聞コトバ拾い
「11月20日、未明の強行採決。自公退席、攻防激化」
与党民主党(政府)と、野党となった自公の国会対決。
「因果応報」とか「天にツバする」といったコトバを自公の議員たちは思い出し・・・もしねぇだろうな。
「介護殺人・心中など400件」
この10年、増加傾向――全国で高齢者介護をめぐる家族や親族間での殺人、心中など、被介護者が死に至る事件が増加している――と。
ついこの間、「美しい日本」などと寝呆けたソーリ大臣もいた。
現在の社会環境の劣悪さは、半世紀余りの自公政権の質がそのまま現実化したことでしょうか。
「卒業は失業――という中国の大学新卒者」
現在、来春早々に出版予定の著作物の校正作業などをやっている。
元禄11(1698)年に開設され〔内藤新宿〕から〔現在の新宿〕に至るざっと3世紀のヒストリーを追う内容(写真など100余点を入れて)だが、その中で昭和4(1929)年に封切られた松竹映画「大学は出たけれど」について書いた。
大正期後半から引き継いだ経済不況の底流は、昭和という新しい時代を〔恐慌〕という名の激震で揺さぶる。
正に「卒業は失業」だった。
平成2(1990)年当時、ラジオのナマ放送番組(毎日1時間)の制作に関わった。内容は新卒大学生と企業側との討論番組だったが。
就活学生は内定を三つも四つももっていて、しかも、企業側は彼らを一流ホテルに泊めたり、ハワイあたりに連れていって足止めしたり(下着、ワイシャツなどを買い与えたり、食事は和・洋・中華などお好み次第とかで――つまり軟禁!)などなど、異常な状況がアタリマエだった。
学生たちは図にのっていた。そして先輩格にあたる(社会人)たちもホイホイと浮かれていた。
そんな社会情況を腹の底から怒りながら番組作りをせざるを得なかった。
セルバンテスの「ドン・キホーテ」の中のフレーズがある。
「幸運はそれが失われる瞬間まで、それと分からない」
分相応を忘れた国も政治家も、そして人も・・・ただ不幸せだ。
「天下り、嘱託で高給採用」
我利の亡者になったダーティ役人OBのことを「天下り」と称したのはダレだったのかね。
彼らはルールの網をかいくぐってとにかく法外な〔公金〕を私物化している。
天孫降臨――天下りとは、国造りのために神々が天から地上へ降りたといういわれがあるが、彼らのその所業は、正に〔罰当り〕以外のなにものでもない。
当のご本人は家族にどんな顔を晒しているんでしょうね。
「JR西――宝塚線事故――漏洩/組織優先の風土」
人間としての心根を腐らせた組織ズルズルの輩の醜悪さよ!
「公開処刑のようだ!と官僚たち」
事業仕分け作業の進展に対して官僚たちがブツクサ言ってる。
上記の言い草は正に「語るに落ちる」のサンプルである。
おのれの罪科を自認しているということだから。つまり〔非公開〕なら処刑も止むを得ない――つまり、おのれの罪科を認めるということだものね。
「バラエティー番組――放送界全体で議論を」
BPO(放送倫理・番組向上機構)の勧告――。
すでに〔公共電波〕という大前提を忘れてるTV局の制作者たち。
「サモシイ・イヤシイ・ワルハシャギ・デタラメ」なんていう番組は〔自滅行為〕だぜ。
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