「社会&芸能・つれづれ愚差」第236回(通算348回)

菅井幸雄さんのこと
 
 2011年9月20日、前立腺ガンで逝去。84歳。
 演劇評論家。明治大学名誉教授。
 2011年1月10日。劇団前進座の演出家・脚本家の津上忠さんの「作家談義/出版パーティ」でお目にかかって親しくお話をする機会を得た。
 直接お会いしたのはその時が初めてで、そして最後だった。
 書架から、菅井さんの著作物を取り出してみる。

 「写真集/新劇その舞台と歴史1906〜」求竜堂1967年
 「戦後演劇の形式と展望上・下」未来社1967年
 「変革期の演劇」未来社1972年
 「新劇の歴史」新日本新書1973年
 ……他。



 本庄慧一郎としては、テアトル・エコー公演「大都映画撮影所物語」(演出永井寛孝・出演熊倉一雄他大勢/2006年11月22日〜12月6日)の上演にあたっては、菅井さんみずからが「ぜひ、この舞台について書きたい」と赤旗紙に申し出て、一文をお寄せ下さった――と関係者から聞いた。
 (以下、その記事の文章を引用する)


『娯楽性と風刺、鮮やか』
 このドラマは、映画人がかつて「活動屋」と呼ばれていた戦前の一九三〇年代、無声映画がトーキーに移行していこうとしていた時代を、題材としている。作者の本庄慧一郎は、実際にあった大都映画撮影所を舞台として、そこに働く人びとの日常生活と、「活動屋」としての生きざまを交錯させながら、ドラマを展開する。しかも毎回の場面転換に、サイレント映画の一シーンを常に挿入する永井寛孝の演出によって、現実感が際立ってくる。
 うだつのあがらない大部屋の男優は喧嘩(けんか)っ早いし、思うように書けないシナリオライターは酔っぱらっている。そこに、女優目当ての警察官が、見回りといって訪ねてくるし、おかしな漫才師のコンビも飛びこんでくる。このような大部屋の俳優と、ドル箱スター、幹部女優の扱いは、まったく対照的である。社長(熊倉一雄)と社長に追従する専務(沖怐一郎)は、俳優陣の対立した状況をすべて受け入れつつ、娯楽映画をつくりつづけていく。
 ドラマは、「人を殺すのも殺されるのもいやだ」という理由で、市川千代之介こと山田正作(古屋道秋)が軍隊から脱走し、大部屋にかくまわれた場面から、急転する。脱走兵を追ってくる憲兵(川本克彦)が、実は社長の妾(めかけ)腹の子であったという設定も、結末を無理なく説得させる工夫として、評価されてよい。テアトル・エコーは、演劇の娯楽性を常に重視し、その底に風刺をきかせる舞台をつくってきているが、その特徴が、この舞台にも、あざやかに反映されている。
(菅井幸雄・演劇評論家)
【2006年12月5日(火曜日)しんぶん赤旗より】




 菅井さんは、劇作家木下順二氏を畏敬しておられた。
 木下氏はおなじみの「夕鶴」をはじめ、「オットーと呼ばれる日本人」「子午線の祀り」などなど名作が多数ある。
 「子午線の祀り」の演出は宇野重吉、親しくして頂いている演出家高瀬清一郎さんが(歌舞伎の側面から)ということで協力していて、とりわけ興味ぶかくその舞台を拝見した。
 演劇書を多数出版してきた未来社以来(現在は影書房社長)の松本昌昭さんには、私、本庄慧一郎の小説第一作「赤い風車劇場の人々/新宿かげろう譚」でも格別のお力添えを頂いています。
 その松本さんとごく親しい(同志?)菅井さんとのツーショットを津上さんの出版パーティ会場で撮影してお送りし、よろこんで頂きました。



 その後、ご縁があって、お近づきを得た出版社編集者のH・Kさんが、この菅井さんを大学時代の恩師として畏敬してきた――ということを知ることになり、菅井さんの写真をH・Kさんにお送りした。



 これまでのあれこれの仕事を通じて、それこそさまざまな人たちと接してきたが……「忘れ得ぬ人」という人は指折り数えるほどしかいない。
 直接お目にかかったのはたった一度だけだったが……菅井幸雄さんの温顔とソフトなお声や語りくちは、決して忘れることはないだろう。


斉藤 憐さんのこと
 
 2011年10月12日、食道腫瘍による肺炎のため逝去。70歳。
 劇作家として、さまざまなユニークな作品を遺した劇作家だった。
 劇団自由劇場をベースに「上海バンスキング」をはじめ多くの作品がある。
 本庄慧一郎としては、とりわけ
 「バーレスク1931/赤い風車のあった街」而立書房1981年
 「ムーランルージュ」而立書房1998年
 などの作品で親近感があったが、六本木にあったミニシアター初期の自由劇場公演を見ただけで、(当時、広告制作などの仕事でキリキリ舞いしていた)、あまり熱心なファンではなかった。
 ただ、前章でも書いた本庄慧一郎としての小説作品が、縁のふかいムーランルージュ新宿座がモチーフだったことや、斉藤憐作「ムーランルージュ」が上演された1998年10月には、劇団ピープルシアターの森井睦さんの手で小生の作品が上演され、その公演時期が重なっていた――というご縁があった。
 いつか斉藤さんとお目にかかる機会があれば、と望んでいたが70歳という〔若さ〕で逝かれてしまった。
 いずれ、アチラに移住することになったら、お二方とまたゆっくりお目にかかって、じっくりお話をしたいと思っています。
政治も社会も……、そして世界情勢もなにやら不快にざわついている昨今だが、お二人の訃報は心の記憶にしっかり刻みつけておきたいと思う。


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          ケイちゃんの目  ↓


拙宅に訪れた精霊蝗虫(ショウリョウバッタ)

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— posted by 本庄慧一郎 at 02:02 pm  

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