●2012年8月27日 アコーディオン奏者・横森良造氏(79歳)
民放ラジオ・テレビの草創期――アコーディオン奏者として大活躍した。
のど自慢番組・コント番組、そしてスタジオ・プレイヤーとして、重宝がられた。
アコーディオンを抱えているその姿とお名前のモジリから『お子守良造さん』とよばれたりして。
当時、やはりラジオ、テレビで活躍していた司会の三和完児氏の命名だったか。
当時のニッポン放送で『あなたもメイ優』という公開録音番組があった。
ご自慢のノド(歌)を競うのではなく、各種のシバイ(演技力)で挑戦する内容で、小生は本庄一郎という筆名で構成を担当。
審査員は劇評家・大木豊氏。劇作家・寺島アキ子氏。お相手役・牟田悌三氏。水城蘭子氏。そして司会が三和完児氏の皆さん。
そして、「音楽担当」が横森良造氏だった。
先日のテアトルアカデミー睦組『炎と愛のフィナーレ/あるレビュー劇場の1945』の公演には、シャッキリお元気な三和完児ご夫妻とニッポン放送の若きディレクターだった志村武男氏が劇場に来てくださって、「再会」を悦んで下さった。
ちなみに大木豊氏、寺島アキ子氏、牟田悌三氏、水城蘭子氏。そして横森良造氏……の皆さんは亡くなられた。
横森氏、アチラへいったら、また楽しい仕事をご一緒して下さい。
●2012年10月2日 俳優・大滝秀治氏(87歳)
大滝秀治氏は、まちがいなく「名優」である。
その大滝氏が所属した劇団民藝には、彼が畏敬した宇野重吉氏、滝沢修氏をはじめ、文字どおりの実力派俳優がゾロリと揃っている。
民藝という劇団も在籍する俳優たちも、小生は大好きで、ずっと以前から舞台公演はつとめて観ていた。
そして、わが師でもある劇作家・三好十郎氏の『ゴッホ小伝/炎の人』という作品ではゴッホを演じた滝沢修氏以下、ベテランたちの熱演に完全にノックアウトされた――。
小生には以前、TVコマーシャル制作にどっぷりの時代があった。
主に企画・コピーを担当する小生は「語り――ナレーション」の人選にはめいっぱい、積極的に意見を通した。
まず、民藝に当時所属していた真野響子氏で『カティサーク』のTVCMを制作・企画・コピー、さらに音楽をもプロデュースして、商品そのものをヒットさせた。(真野氏は美しかったし、現在もチャーミング!)
そして、御大宇野重吉氏だが、秋葉原の「ヤマギワ」の企業イメージCMで、宇野氏を「語り手」に推挙――なんとか出演をOKして頂いた。
というのは、「名優&名演出家」でもある宇野氏をTVCMなんぞに出演させるのは初めてのケースだった。
事前に小生が作成したコピーをチェックして、快諾して下さった。
博報堂のクリエーターであった沼上満雄氏の追悼本『沼上満雄の世界』より、ご夫人の了承を得て引用させて頂きます。
本年2012年は沼上満雄氏の13回忌になるそうです。――合掌。
本年2012年は沼上満雄氏の13回忌になるそうです。――合掌。
(以下、引用)
ヤマギワ 照明器具
『日本のあかり』1974年制作
演出:吉田博昭 語り:宇野重吉 音楽:八木正生 コピー:望田市郎(本庄慧一郎) 制作:東京秀映(当時) 代理店:博報堂
『日本のあかり』1974年制作
演出:吉田博昭 語り:宇野重吉 音楽:八木正生 コピー:望田市郎(本庄慧一郎) 制作:東京秀映(当時) 代理店:博報堂
夕暮れに
あかりがともる
人々が あかりをともす
さまざまな時をすごした
さまざまな思いが
自分のあかりをめざして 帰りをいそぐ
ほんものの 木や 和紙や 竹になじんだ
あかりのやさしさ
手づくりの あかりは しみじみといい
こころがほぐれ なごむ
笑いさざめいて やすらぐ
夕暮れに あかりがともる
日本のあかり
ヤマギワのあかり
『沼上満雄の世界』pp32―33より
当時、この「ヤマギワのCM」の「語り」がCF初出演の宇野重吉氏だった。その後、宇野氏は石原裕次郎氏と日本酒のCMなどに出演した。
***
大滝秀治氏は、手元のデータによれば、昭和27(1952)年の劇団民藝公演/三好十郎作『冒した者』で、ある俳優のアクシデントによる「代役」で本格的な役を演じて注目された。が、その後、あいかわらず下積み的な苦労を強いられた――。
師の宇野重吉氏に「こわれたハーモニカのようなその悪声と……」と評されたとか。
小生はTVCM制作時代、コピーの「語り手」にはテッテイしてこだわった。
そして、同質のコンセプトをもつ広告代理店博報堂のディレクター沼上満雄氏とめぐりあった。たしか、紹介してくれたのは、当時TVCM制作会社のプロデューサーだった稲見一良氏――のちにガンにおかされて小説を書きはじめ、余命6ヶ月という医師の宣告を押しのけて病床で小説に挑戦。1991年に 『ダック・コール』で第4回山本周五郎賞、第10回日本冒険小説協会大賞最優秀短編賞を受賞した。果敢な10年にわたる闘病生活中、小生と濃密な交流をもった。
出演交渉の折に、大滝秀治氏は小生に対してトツトツとこう言われたのをおぼえている。
「私の声はご存じのようにTVCMなどには不向きな悪声です。しかも、30秒とか15秒なんてCMは短くて……。なにしろ、民藝の芝居の2時間余という舞台でさえ、作者先生が設定したテーマやモチーフをちゃんと演じられないんですから」
その大滝秀治氏をなんとかくどいて、なんと「アテレコ」をやって頂いたのだ。
結果「へぇ! おもしろいもんですなぁ、これは!」と言われたのだ。
その後、大滝秀治氏は、そのユニークで得難いキャラクターで、たくさんのCMでも活躍、存在感をアピールしたのは皆さんご存じのとおり。
大滝秀治氏を「初めてTVCMに出演させた」のは小生だったはず。
この作品は「ヤマギワ」のTVCM同様、博報堂の沼上満雄ディレクターとの仕事だった。
魚のハタおじさんのセリフ:大滝秀治
共生魚のベラ坊やのセリフ:里見京子
ナレーション:黒沢 良
コピー:望田市郎(本庄慧一郎)
(以下、引用)
SONY トリニトロンカラーテレビ
『ハタおじさんとベラ坊や』1974年制作
(おじさん)
信じていりゃこそ
信じてくれる いいもんだゎーあ
(坊や)
そうだよ ハタおじさん
おそうじはまかせといて
(おじさん)はあ〜
(坊や)
すみずみまで きれいに気持ち良くね
(おじさん)はぁ〜あ
(坊や)
この辺で言いたいんじゃない?
(おじさん)はあ?
(坊や)
ソニーのカラーで見られても はずかしくないようにって
(おじさん)はああ……ああ
(坊や)いいから いいから のんびり口開いててよ
(おじさん)はいはい ああ〜
♪ ソニー トリニトロンカラー
(NA)
自然の色を 自然のままに
『ハタおじさんとベラ坊や』1974年制作
(おじさん)
信じていりゃこそ
信じてくれる いいもんだゎーあ
(坊や)
そうだよ ハタおじさん
おそうじはまかせといて
(おじさん)はあ〜
(坊や)
すみずみまで きれいに気持ち良くね
(おじさん)はぁ〜あ
(坊や)
この辺で言いたいんじゃない?
(おじさん)はあ?
(坊や)
ソニーのカラーで見られても はずかしくないようにって
(おじさん)はああ……ああ
(坊や)いいから いいから のんびり口開いててよ
(おじさん)はいはい ああ〜
♪ ソニー トリニトロンカラー
(NA)
自然の色を 自然のままに
『沼上満雄の世界』p11より
『あこがれ広告』に向かって 沼上満雄
ソニー〈自然シリーズ〉とプロダクションのスタッフ
ソニーの〈自然シリーズ〉は、最初が「サワガニの親子」と「タコの赤ちゃん」でした。このあと、「イエロー・ストライプ」「ミズクラゲの兄弟」「タツノオトシゴ」などと続きまして、昭和四十八年度の「ACC」CMフェスティバルでは、サミー・デイビス・ジュニアの「サントリーホワイト」と最後までグランプリをきそい合いました。私自身、会心作の一つとおもってます。我が子にも、やっと「これがお父さんの作っているCMだよ」といえるものでした。(略)
(略)ソニーの〈自然シリーズ〉でも、心がけていたことですが、私は「CMの語り」を大切にしたいと心がけています。ということは、コピーライターに人を得なければなりません。
ソニーの〈自然シリーズ〉のコピーは、望田市郎氏です。私の〔情緒嗜好〕をよくふまえて、数多くの名コピーをものしてくださいました。(略)
夕暮れにあかりがともる……
コピーと語りを重視する私の作品のなかで、一回きりのおつきあいになってしまいましたが、ヤマギワの照明器具のCMは、密かに〔傑作〕と自負しているものです。『朝日新聞』(四十九年八月)のコラムが「夕暮れにあかりがともる……ということばで始まる平凡なCMの文句から、不思議に深い味わいが響いてくる――略――この語りからは、確実にある手ごたえが伝わってくる」と書き、宇野重吉氏の語りを激賞し、ラジオ、テレビのよい語り手の養成を主張していましたが、私は、このコラムの筆者に深い親近感をいだきました(そうそう、このコピーも望田市郎氏の作なんです)。
これだけでもうれしかったのに、昨年(株)マドラがまとめた『戦後CM100選』の中で、宇野重吉氏が、自らのCM出演体験を次のように語ってくれていました。「……ヤマギワ電気の場合は、何か、ふっくらとした生活感、『埴生の宿』の歌にありそうな灯ともし頃のイメージを、あの詩がまずもっていたんですね。書いた人、ああいう要領で注文した人、全体を考えた企画者、その人たちがやっぱりうまかったんでしょう……」
これにつづけて、宇野氏は「(ぼくの)生活感といえるもの(と、企画全体)が何となく見合っていたのでしょうね」と書いています。我が意を得たりとは、このことでした。(略)
ソニー〈自然シリーズ〉とプロダクションのスタッフ
ソニーの〈自然シリーズ〉は、最初が「サワガニの親子」と「タコの赤ちゃん」でした。このあと、「イエロー・ストライプ」「ミズクラゲの兄弟」「タツノオトシゴ」などと続きまして、昭和四十八年度の「ACC」CMフェスティバルでは、サミー・デイビス・ジュニアの「サントリーホワイト」と最後までグランプリをきそい合いました。私自身、会心作の一つとおもってます。我が子にも、やっと「これがお父さんの作っているCMだよ」といえるものでした。(略)
(略)ソニーの〈自然シリーズ〉でも、心がけていたことですが、私は「CMの語り」を大切にしたいと心がけています。ということは、コピーライターに人を得なければなりません。
ソニーの〈自然シリーズ〉のコピーは、望田市郎氏です。私の〔情緒嗜好〕をよくふまえて、数多くの名コピーをものしてくださいました。(略)
夕暮れにあかりがともる……
コピーと語りを重視する私の作品のなかで、一回きりのおつきあいになってしまいましたが、ヤマギワの照明器具のCMは、密かに〔傑作〕と自負しているものです。『朝日新聞』(四十九年八月)のコラムが「夕暮れにあかりがともる……ということばで始まる平凡なCMの文句から、不思議に深い味わいが響いてくる――略――この語りからは、確実にある手ごたえが伝わってくる」と書き、宇野重吉氏の語りを激賞し、ラジオ、テレビのよい語り手の養成を主張していましたが、私は、このコラムの筆者に深い親近感をいだきました(そうそう、このコピーも望田市郎氏の作なんです)。
これだけでもうれしかったのに、昨年(株)マドラがまとめた『戦後CM100選』の中で、宇野重吉氏が、自らのCM出演体験を次のように語ってくれていました。「……ヤマギワ電気の場合は、何か、ふっくらとした生活感、『埴生の宿』の歌にありそうな灯ともし頃のイメージを、あの詩がまずもっていたんですね。書いた人、ああいう要領で注文した人、全体を考えた企画者、その人たちがやっぱりうまかったんでしょう……」
これにつづけて、宇野氏は「(ぼくの)生活感といえるもの(と、企画全体)が何となく見合っていたのでしょうね」と書いています。我が意を得たりとは、このことでした。(略)
(『沼上満雄の世界』/pp46−48より)
(以下、引用)
『CM殿堂 時代を超えるアイディアとクリエイターたち
社団法人全日本シーエム放送連盟(ACC)編 創立40周年記念誌』より
CM殿堂1973年
ソニー
トリニトロンカラーテレビ/たこの赤ちゃん他/30秒×3
第13回ACC CMフェスティバルTVフィルムCM部門ACC賞・秀作賞
(略)そのプレゼンが通った後に、この企画にコピーライターとして参加したのが望田市郎氏だった。
「最初にソニー独自の方式やメカニズムに関するレクチャーを受けたのですが、さっぱりわからない。それでコピーを何案か持っていったのですが、ソニーさんに『これでソニー独自の発明が伝わりますか』と聞かれてしまったんです。僕はその時に『1時間や2時間のPR映画をつくるのであればいいんですが、母親や子供には、ソニー独自や世界唯一という言葉では届きにくいんです』と申しあげた覚えがあります」(望田氏)
「この頃、ちょうど制作に携わっていた人たちの子供がみな同じ位の年齢だったんです。だから、自分の子供たちに見せた時に話ができるような広告をつくりたい、という気持がありました」(沼上氏)
このCMはさまざまな方面から話題を呼び、数多くの広告賞を受賞した。
「沼上さんともよく話してたんだけど、ファッションではなくてモードをつくろうと。つまり、広告の基本にあるようなものを、このCMで作れたのではないかと思います。結局、価値観のものさしは、新しい、古いではないということが証明できたような気がします」(望田氏)
「僕はモノを創るということは、自分が感じた感動をどう人と共有できるか、ということが大きなエネルギーになるはずだと思っていたんです。この企画はまさにそこから出発して、いろんな出会いが生まれたことで、制作 者としての自分の人生が本当に大きく変ったと感謝しています」(沼上氏)
このシリーズは全部で13作。撮影は図鑑などを手がけていた学研の生態班が行った。
そして、このCMも完成後には図鑑や科学雑誌などに数多くとりあげられた。
30秒のCMの中で20秒が生物のカット。CMの3分に(原文ママ)2以上を占める映像のナレーションは重要だった。大滝秀治さん、小松方正さん、中山千夏さん、水城蘭子さんなど、個性的な俳優の方々に依頼。毎回、3時間以上かけて録音された。
(社団法人全日本シーエム放送連盟(ACC)創立40周年記念誌 CM殿堂 全日本シーエム放送連盟/編集 2000年6月10日 宣伝会議刊 pp70―71)より
社団法人全日本シーエム放送連盟(ACC)編 創立40周年記念誌』より
CM殿堂1973年
ソニー
トリニトロンカラーテレビ/たこの赤ちゃん他/30秒×3
第13回ACC CMフェスティバルTVフィルムCM部門ACC賞・秀作賞
(略)そのプレゼンが通った後に、この企画にコピーライターとして参加したのが望田市郎氏だった。
「最初にソニー独自の方式やメカニズムに関するレクチャーを受けたのですが、さっぱりわからない。それでコピーを何案か持っていったのですが、ソニーさんに『これでソニー独自の発明が伝わりますか』と聞かれてしまったんです。僕はその時に『1時間や2時間のPR映画をつくるのであればいいんですが、母親や子供には、ソニー独自や世界唯一という言葉では届きにくいんです』と申しあげた覚えがあります」(望田氏)
「この頃、ちょうど制作に携わっていた人たちの子供がみな同じ位の年齢だったんです。だから、自分の子供たちに見せた時に話ができるような広告をつくりたい、という気持がありました」(沼上氏)
このCMはさまざまな方面から話題を呼び、数多くの広告賞を受賞した。
「沼上さんともよく話してたんだけど、ファッションではなくてモードをつくろうと。つまり、広告の基本にあるようなものを、このCMで作れたのではないかと思います。結局、価値観のものさしは、新しい、古いではないということが証明できたような気がします」(望田氏)
「僕はモノを創るということは、自分が感じた感動をどう人と共有できるか、ということが大きなエネルギーになるはずだと思っていたんです。この企画はまさにそこから出発して、いろんな出会いが生まれたことで、制作 者としての自分の人生が本当に大きく変ったと感謝しています」(沼上氏)
このシリーズは全部で13作。撮影は図鑑などを手がけていた学研の生態班が行った。
そして、このCMも完成後には図鑑や科学雑誌などに数多くとりあげられた。
30秒のCMの中で20秒が生物のカット。CMの3分に(原文ママ)2以上を占める映像のナレーションは重要だった。大滝秀治さん、小松方正さん、中山千夏さん、水城蘭子さんなど、個性的な俳優の方々に依頼。毎回、3時間以上かけて録音された。
(社団法人全日本シーエム放送連盟(ACC)創立40周年記念誌 CM殿堂 全日本シーエム放送連盟/編集 2000年6月10日 宣伝会議刊 pp70―71)より
このほか劇団民藝の俳優では佐野浅夫氏(軽金属の屋根材CMの語り) 、垂水悟郎氏(化粧品CMの語り)の皆さんにも声をかけた。
ちなみに大滝秀治さんにご出演ねがったソニーのトリニトロンカラーテレビのCMシリーズの全リストを記しておきます。
1 サワガニの親子
2 タコの赤ちゃん
3 イエローストライプ
4 ミズクラゲの誕生
5 タツノオトシゴ
6 イトトンボ
7 ナナホシテントウ
8 ハタおじさんとベラ坊や(大滝秀治出演作品)
9 プララン君のウルトラC
10 ホッパー君のかくれんぼ
11 カタツムリの赤ちゃん
12 ベタのお父さん
13 ツマベニチョウの誕生
14 花びらヒメカマキリ
**ソニートリニトロンカラーテレビシリーズ受賞リスト**
望田市郎の個人賞として
「1973年度ACCテレビ部門テレビコピー個人賞」を受賞。
ソニートリニトロンカラーテレビ「タコの赤ちゃん」以下自然シリーズ 博報堂/東京秀映 受賞リスト
1998年 第2回ACCパーマネントコレクション
1991年 昭和名作CM100選
第13回日本放送作家協会賞
1973年度広告電通賞
1973年度ACC賞
第20回カンヌ国際広告映画祭特別賞
1973年度ACC賞及び秀作賞
1974年度ACC秀作賞
1974年度ACCシリーズ賞
1974年度広告電通賞部門賞
1974年度サンケイ広告大賞大衆賞
第21回カンヌ国際広告映画祭銅賞
第15回アメリカン・テレビコマーシャルズ・フェスティバル
1974年度CLIO賞ファイナリスト入賞
1974年度CLIO賞キャンペーン賞入賞
ソニートリニトロン・カラーテレビ 「シャボン玉」以下科学シリーズ 博報堂/東洋シネマ 受賞リスト
1974年度ACC秀作賞
ヤマギワ電気「日本のあかり」(宇野重吉語り作品) 博報堂/東洋シネマ
1974年度ACC秀作賞
***
●2012年10月9日 俳優・大山克巳氏(82歳)
最近では、小櫻京子劇団公演にゲスト出演なさっていて(2〜3昨年?)にお目にかかったか。
あの辰巳柳太郎氏、島田正吾氏の新国劇では、緒形拳氏の先輩で「殺陣――チャンバラ」を颯爽と演じた。
とりわけ、新国劇十八番『殺陣・田村』では、「謡曲・田村」を使っての颯爽たる「殺陣――タテ」の美技に若い日の大山克己氏はきわだっていた。
晩年はからだの調子もあってか、昔日の颯爽ぶりはカゲをひそめていた。
あらためて、皆さんのご冥福をお祈りいたします。
***
ケイちゃんの目 ↓
本庄さん家の初秋スナップ
**フロアの朝日のアブストラクト**
**自転車カゴのかまきり君**
**踏み石のかまきり君**
**網戸のバッタ君**