所沢駅の2つ手前が清瀬駅です。もう1つ先の秋津駅と所沢駅との間でJR武蔵野線が交差して、そちらは「新秋津駅」です。
武蔵野台地に位置する清瀬一帯は、戦前は雑木林やケヤキやクヌギの林などがあって……いや、いま現在も、その閑静な風景は残っていて、思いのままのウォーキングに申し分ありません。
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とりわけ、戦前は「東京のカルイザワ」ともいえるローカル色の豊かな風情があり、空気がいいという理由からいくつもの結核療養所などが点在していました。
そう、俳人の石田波郷も、国立東京療養所(当時)に入院療養していました。
綿虫やそこは屍(かばね)の出てゆく門
乙女の声して寒林を屍ゆく
などの句を遺していますね。
実は、小生の母親もこの地の信愛病院で(昭和19年夏)逝きました。
その信愛病院を訪ねあてました。当時、雑木林に囲まれていた質素な病棟は見上げるようなビルになっていて……胸に痛いような感慨をおぼえました――。
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たまたま2012年10月25日東京新聞の『発言欄』に、こんな投書がのりました。
九州福岡県から清瀬の東京病院(波郷が入院していた病院と同じ?)のホスピスに入院していた叔母さんを見舞うために上京した女性(54歳)が、病院を探しあぐねて困り果てていた。見知らぬ地での戸惑いを助けてくれたのは、年配の男性と女性。病院の所在地を訪ねると、その男性が自宅から車を持ってきてくれて、さらに女性の「悪い人じゃないから大丈夫よ」の助言を得て、おかげで叔母さんのお見舞いが出来た――投書者の女性は『お二人は清瀬の神様。ありがとうございます』と文を結んでいた。
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ところで、小生はその日、亡き母との思い出のあれこれをたぐり寄せながら清瀬の道をたどり歩いた。そして、西武電車の線路に面した通りで昔ながらのタタミ屋さんの店を見つけた。
店先のタナに、「タタミ材で作った花びん敷」があった。シャレていた。
「一輪挿しや小さな置物をのせたらいいなぁ」と、さっそく手にとって眺めた。
大中小というサイズがあったが、「小さいのを下さい」とタタミの加工作業に忙しいご主人に声をかけた。彼は、「いま、小さいのが切れてるから、これ(中型)を差し上げましょう」と言って、気前よく、ソレを手渡してくれた――。
「タダでは申しわけない……」と言ったが「どうぞ、どうぞ」といって、作業に戻っていってしまった。
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ようやく初秋らしい光と風に出会えた清瀬でのエピソードは、ひたすら俗悪な政治社会のため不快に淀む胸のオリをすっきり拭ってくれた。
●追記
都知事イシハラ氏の突然の辞任と政界
かつては国会議員を任期途中で投げ出し、今回も都知事を任期途中で放棄した、あいかわらず自己本位の復帰行動。
もともと彼は根っからの、そして極度の、加えてとことん幼稚な「目立ちたがり屋」である――。
彼の言動の根底にはビックリするような浅慮や自己顕示欲がしっかりこびりついている。
彼のイメージの「明快」さは、半世紀以上の自公政権のうさん臭さと、さらに取って代わった民主党という実行力ゼロ集団の、悪影響に災いされた「反作用・乱反射」に過ぎない。
その「明快」さを「迷怪」の2文字に置き換えて、いまこそ選挙民は腹を据えて熟慮し、今後の日本のためになるまっとうな判断をしなければ――それこそこの「祖国」は自滅する。
ちなみに、東京新聞の記事『福島第一(原発) 県外の知事が初めての視察』によれば、イシハラ氏は『(略)事故をもって、開発した新しい技術を放り出すのはおろか』(東京新聞2012年10月25日朝刊27面)と発言している。
「馬耳東風人種」はコワイ。
ケイちゃんの目 ↓
**清瀬の畳屋さんに戴いた花瓶敷き**
第二のふるさと 石神井寸景
**三宝寺 スナップ**
**道場寺 スナップ**
**氷川神社 お祭りのスナップ**
**お神楽のスナップ**