「社会&芸能・つれづれ愚差」第320回(通算432回)

四谷ぐるっと1万歩ウォーク

 5月24日(金) 取材をかねて新宿区四谷2丁目から南側――若葉町1〜3丁目。須賀町、左門町一帯を歩き回った。

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 もともと四谷は若葉町1丁目に文化放送があり、放送作家時代に通っていたので土地カンはある場所だ。

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 それに、放送作家、コピーライターを経て小説家に転身しての「文庫書き下ろし時代小説」(ざっと50冊ばかり)の第1目作は「内藤新宿シリーズ」だった。

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【廣済堂文庫/内藤新宿シリーズ】

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【学研M文庫/内藤新宿シリーズ】

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 この物語の主人公のタイコ持ち(前身はさむらい)極楽家六道のかくれ家は笹寺(長善寺)の裏の雑木林の中に設定していた。
 そのせいで、このあたり一帯の(江戸時代の)地理には詳しい(?)。

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 今回の取材目的は、わが祖先の故郷「埼玉県本庄市」(ペンネームの原点)との関わりで、「塙保己一」(盲目の国学者)の墓所を訪ねた。
 文化放送に近い愛染院にその墓所を探し当てた。

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 幼くして両目の視力を失った塙保己一の学者としての、そして編集者としてさらに出版事業者として実績には、ただ脱帽するしかない。
 現在、彼の資料をあれこれ調べている。

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 塙保己一(1746〜1821年)は、全盲というハンデを克服し、国学、漢学、神道、医学をマスターし、「群書類従」という大著の編さんなど、驚異的ともいえる仕事を成しとげた。
 盲人に与えられる「検校」という最高の地位にあって世のため人のために尽くして、人々から崇められた。

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 愛染院とはほど近い西念寺を訪れる。
 徳川家康に仕えた服部半蔵の墓がある。

 伊賀忍者のリーダーとして、また槍の名手として名を馳せたこの男はマンガ「忍者ハットリ君」などでも人気を博した。

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 四谷となれば、やはり田宮伊右衛門、お岩さんを無視できない。
 アップダウンのきつい地形だが、とにかくせっせと歩いた。

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 ちなみに――実在のお岩さんという女性は、鶴屋南北が書いたあの「四谷怪談」の女性とまったく異なるとかで、とにかくつましく賢い申し分のないお人柄だったという。今回の1万歩ウォークは創作のための取材――でも楽しゅうございました。



PS
 それにしても――
 あのハシモト氏の「失言問題」だけど、ただイライラするねぇ。
 クドクド喋れば喋るほどボロボロになるようだね。
 だいたいマスコミ界とか、テレビ周辺にウロウロしてる者、さらにシバイなんかやってる連中の中には、いるんだよね。
 「屁理屈・小理屈、不平に不満。マスコミ・テレビぼうふら族」なんてのが。



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ケイちゃんの目 ↓

江戸時代に「四谷大木戸」(府内、府外の境界)があった
現在の四谷3丁目交差点風景。

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— posted by 本庄慧一郎 at 05:39 pm  

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