「社会&芸能・つれづれ愚差」第349回(通算461回)

東京・国立競技場(国立霞ヶ丘陸上競技場)のこと

●2020年の東京五輪開催――そのリーダーとして行動していた都知事イノセ氏は、なんとも情けなくだらしのない「ていたらく」で辞任に追い込まれた。今回はそのコトにはあえてふれまい。
 ただ、「とっさのウソは誰でもつくことは出来るが、そのウソを正当化することや、それらしく見せることなどは、何人(なんぴと――誰でも)出来ることではない」というコトバをすぐ連想したネ。
 もうひとつ、本庄流でいえば「あざとい利己や保身のためのウソは、ドロボーの始まり」。そして、あの世の煉獄・地獄の入口……ナンチャッテ。

●その2020年の東京五輪のための新スタジアムが、現在の国立競技場の地に新設される。なにかと「昭和史」にこだわる小生としては、やはり、あの競技場での「昭和19年/1943年10月」に行われたいわゆる「学徒出陣」という歴史とその事実を無視できない。
 当時は、この場所を「明治神宮外苑競技場」とよんでいた。いまから70年前のことだ。
 戦時態勢は日々悪化する中、「徴兵猶予」の対象になっていた大学生諸君も兵士として戦場の第一線に送り出すための強制的イベントだった。学業を捨て、否も応もなく兵役に就くのだ。その人数は数万人といわれている。
 (8年前――テアトル・エコーで上演した本庄慧一郎・作 永井寛孝演出の『大都映画撮影所物語』の幕ぎれに、この時の記録映像とその音声を使った)

●この機に、戦場に送り出された若者たちの多くは――たとえば、血みどろの戦場で、南への戦線へ運ばれる輸送船が撃沈され、海の底に沈んだ。そして、なんとか生き永らえた者も、昭和20年8月15日の全面降伏の日まで筆舌につくし難い艱難辛苦(かんなんしんく)にほんろうされた――。

●そんな過去(70年前の厳然たる事実)も、いま、競技場の取り壊しと同時にさしたる感慨も、検証も、認識もないままにゼロにされようとしている。

●あの文豪ゲーテにこんな言葉がある。
 「三千年の歴史から学ぶことを知らぬ者は、知ることもなくただ闇の中にいよ。その日その日を生きるとも――」
 「学徒出陣」からまだ70年しか経っていない。にもかかわらず、いま、戦争とか軍隊とか強制的兵役義務といったことどもが、キナ臭い危険な臭気を噴出しながら地軸を揺るがし始めている――と思えてならない。

●若者よ! 若者たちよ! しっかり、現在を、明日を、未来を考えろ!


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ケイちゃんの目 ↓

練馬高野台から豊島園への
師走のブルー

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— posted by 本庄慧一郎 at 04:23 pm  

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