●「ゼッタイに貯まらないおカネ。放っといても増えるもの。あれこれの本」
畏敬する作家・評論家の著作物はもちろん、キチンと保全してありマス。
でも、おのれの小説や舞台脚本に必要な資料本は、「際限もなく」増えつづけます。
●かつての放送作家や広告(CF)関係の資料となるとそれはもうキリがなく、歌謡曲のド演歌からフォーク・ポップス・ロック――ビートルズまでの資料を揃えた。
●いわゆる動物全般はもとより、ミミズ・フンコロガシ、そして『害虫図鑑』なんてホンまでね。
となると、こちとらの「創作作業」に関係ない本は「サヨナラ」するしかない。
いとしい女と一度でも書斎に泊めた本と「バイバイ」するのは切ないけどネ。
●それでも性懲りもなく、また女に……じゃない、本に手を出すのでアリマス。
このところ、「盲目の賢人・塙保己一」の物語化(埼玉新聞に連載中)なので、ソノ関係本がプールされているのは必然で……つまり納得づくですけど。
●そういう時の(集中作業中)こそ、気持に「アソビ」が必要ですからね。
(なにしろシュミがない。情けないほどのボクネンジン!)そんな折に新刊『スキマの植物図鑑』の紹介記事や広告に出会い、スグ買いたいと思った……。
●「歩道の割れ目、塀の穴……」などのスキマに根付いた花たちのコト……なんて、いいじゃない。
そういえば「スキマ産業」とか「スキマ家具」とか「すきま風」(杉良太郎のヒット歌謡曲)もあったよネ。
●もうひとつ、吉川英治の『宮本武蔵』の小説の『宮本武蔵(三)火の巻(つづき)/風車』(1989年講談社・吉川英治歴史時代文庫16刊)では――
「鎖(くさり)鎌」の使い手・宍戸梅軒とのインネン話に「すきま風」が巧みに使われていたよネ。(それはそれとして)
●たとえば、専門の人がたっぷり手をかけたバラの花とか贈り物のヒロイン胡蝶蘭の人工的な美しさよりも、ワタシはやっぱり「スキマの花」が好きデス。
●愛蔵版の植物事典はいろいろあるけど……それにしても「ヘクソガズラ」とか「いぬのフグリ(陰嚢/いんのう)」なんて、ひどいネーミングだね。
でも、この2種類の花たちって、それは可れんで美しいんだから。
●「イヌノフグリ」の場合、かわいい花のカタチがタマタマ(ギャグで言っているのではない!)ワンちゃんのあそこに形が似てるというコジツケでこの名がついたのデス。
●「ヘクソカズラ」の花だってかわいいのに、その花や葉を揉んだりすると、「げッ」と思わず口走ってしまうような「悪臭」を放つというコトからこの名になったとか。
●そういえばあのドクダミという植物も、白い清楚な小花に欠点などないのに、指で葉を揉むと「うわッ」という「悪臭」を放つのである。
●しかし、このドクダミでも別名「十薬/じゅうやく」として古くから民間薬として役立ってきたというから、そんなに嫌ってはかわいそうだと思ってます。
●わが家の「ネズミの額」ほどの庭には「花の道」がある。
ハルジオンやいまごろ(梅雨どき)はドクダミが踏み石の両サイドに小花を咲かせて「野趣に富んだ径」になるのデス。(つまり、門の外は雑草を取ってキレイにするけど門内は放ったらかし!)
●花も植物も、そして人間も、環境の条件にへこたれずにけなげに生きているモノが好き――ということです。
●でも、表向きはともかく、その心根で、やっていることで、「ヘクソカズラ」や「ドクダミ」の何十倍・何百倍もの「悪臭」と「公害」をもたらしている人間がいる――これは許せないねぇ!
●それにしても「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」なんてレディは……いまや、日本うなぎ同様、絶滅危機状態に相成りマシタ。
ケイちゃんの目 ↓
本庄サン家の花(ドクダミ)の道