「社会&芸能・つれづれ愚差」第417回(通算529回)


訃報 愛川欽也氏 2015年4月15日 享年80歳

●その時、ボクの仕事場(練馬石神井の自宅書斎)に訪ねてきた愛川欽也さんは、前傾姿勢になって早口で、「ね、本庄さん(当時のボクは放送作家として筆名本庄一郎)この愛川欽也、本名井川敏明は、今年38歳。シバイをやろうと思ってやってきたけど……。ずいぶん妻の稼きで助けてもらってきた。そこで、ボクも「おはようこどもショー」の「ロバ」の縫いぐるみを着て、毎朝日本テレビ通いしてがんばってきたけど……」というようなことを言ったのです。

●朝、7時30分からのナマ放送の日本テレビ「おはようこどもショー」は幼児向け番組だった。
 かく申すボクも、フジテレビ朝8時「ママとあそぼうピンポンパン」(渡辺直子と坂本新兵)スタート時からスタッフとして加わった。

●さらに、放送作家業と併行してCM広告制作の仕事を、ということで広告代理店第一企画(のちに合併してアサツーデイケイになる)に入社。「望田ルーム」の部長を拝命してる。
 その仕事の一つに、日本テレビの「ロンパールーム」(うつみみどり)の番組担当というのがあった。

●そして愛川欽也さんは続けた。
 「つい最近、体調をくずしてロバくんの仕事がきつくなった。医者に診てもらったら心身症のようだから、ロバの縫いぐるみを脱いで、多摩川の河原でのんびり日向ぼっこしてれば治るんじゃないか」と言われて……相談にきたとつけ足した。

●その頃(1965年〜)ボクもせっせと働いていた。
 ニッポン放送どっぷりだったが、東芝レコードの番組をいろいろやっていた。その東芝レコードの担当者Oさんとウマが合って、Oさんに「赤坂のTBSの仕事もしない?」と誘われた。

●結果「赤坂TBS」では、気の合う制作ディレクターが大勢いて、ワッと仕事がふえた。
 あらためてその時の番組のパーソナリティの名を思い出してみると――
 城達也、牟田悌三、高山栄、立川澄人、広川太一郎(故人)をはじめ、上条恒彦、高島忠夫、矢島正明、石坂浩二、日下武史、北村英治(ミュージシャン)、毒蝮三太夫……の皆さん方。(順不同――思い出すままに)
 そして局アナでは、山本文朗、鈴木治彦、菅原牧子、今井とも子……の皆さん方。

●ということで、愛川欽也さんと他に「これからが楽しみ」と思われる人たち数名を推挙、オーディションしてもらったのだ。
 そして、全員が番組を持たせてもらった。

●愛川欽也さんは、まず制作ディレクターのI・Nさんで、午後の生活情報番組「キンキン・ケンケンのそれゆけ!歌謡曲」をスタートした。

●そして、ボクがスタート時から関わっていた「パックインミュージック」(土曜日:矢島正明)を担当していた。改編期には新たに愛川欽也さんが別の曜日で出演することになった。

●TBSラジオの長寿番組「全国こどもの電話相談室・リアル」(旧全国こども電話相談室)はつい先頃(2015年3月)終了したが、出版社の集英社提供の時期には、愛川欽也さんのナレーションで大量のCMを制作した。

●その後、のべつ忙しそうにしている愛川欽也さんとは、業界のパーティなんかで立ち話をすることはあっても、親しくつきあったことはなかった。

●「キンキン演劇塾」とその後の劇団化。さらに劇場建設……などなどフル回転の「実情」は、間接的にしか知らない。

●「とても器用なヒト」「仕事一途なヒト」など業界仲間の思い出話はいろいろ聞いた。

●4月30日号「週間文春」の大見出し活字に「愛川欽也(享年80)が愛した3人の〔妻〕」とある。

●マスコミ芸能界の一時期「密接」だった人も、その後ほとんど疎遠になるケースが多い。(それはボクが「業界人同志のつきあい」が好きではないからであるが……)

●あらためて、愛川欽也さんのご冥福をお祈りします。


訃報 加瀬邦彦氏 2015年4月21日 享年74歳

●加瀬邦彦さんとは、前項の愛川欽也さんと密接に関わった時期と時を同じくして「近く」にいた。
 というのは、彼のグループ、ザ・ワイルドワンズが所属する東芝レコードの宣伝部のOさんと組んで、「只今ヒット中!」といった宣伝CMをせっせと制作していたからである。

●それに、ザ・ワイルドワンズと密接な加山雄三さん(バンドのネーミングは加山さん)の楽曲も東芝レコードレーベルだったからだ。

●したがって、加山雄三&ザ・ワイルドワンズのコンサートにも取材ということでよく出かけたし。

●そう「東芝EMI」時代だったからビートルズの武道館公演(1966年6月)も「取材」してるものね。

●そして、あのポール・マッカートニーは、いまだに健在である! ちなみにポールは72歳。

●ベンチャーズなんかは、いまだに来日してショーバイしてるでしょ。

●ザ・ワイルドワンズのヒット曲「想い出の渚」の作詞もしている鳥塚しげきさんは、メンバーから抜けたけど、いっときよく会っていた(望田市郎時代)ことがある。

●しかし、加瀬邦彦さんの「自殺」というのはツライことだね。
 マスコミ芸能界の人間には「生き急ぐ」というコトバがつきまとう。
 かく申すボクは、もうずっとこの「ギョーカイの流れ」についつい尻込みしながらやってきたのです。

●加瀬邦彦さんが中野沼袋の西武線駅のそばにレストランをオープンしたことがあった。
 あの当時(1970年頃?)のあなたのことを妙に鮮明に記憶しています。
(一部、敬称を略させていただきました)


●それにしても――
 マスコミ芸能界というのは、ついつい自己のペースを崩してしまう「油断のならない道」だと思ってしまう昨今です。


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ケイちゃんの目 ↓

春ゆく。そして人も……。


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— posted by 本庄慧一郎 at 04:18 pm  

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