「社会&芸能・つれづれ愚差」第418回(通算530回)


作家船戸与一さんのこと。
 
●船戸与一さん2015年4月22日逝去。享年71歳。

●ボクは青梅街道と環八が交差する角地のマンションを仕事場にしていた時期(1975〜85年)がある。

●従来の放送作家業にTVCF制作の作業(企画・コピー・作詞等)を同時進行していた時期に、四面道の仕事場をフル活用した。

●何のことはない、石神井の自宅の書斎に立ち戻る時間を惜しんでの手段だった。

●放送作家等の者はよく、喫茶店や放送局のスタッフデスクを借りて、原稿用紙のマス目を埋める作業をしていたが、小生はソレが出来なかった。(あの井上ひさしさんなどは、3時間〜4時間喫茶店で執筆していたなぁ)

●大手広告代理店やクライアントとの会議や打ち合わせは、ほとんど銀座――事務所へ立ち戻るとスグに、執筆作業のために「仕事場」にこもったのだ。

●そして、そのまま徹夜することも常態化していた。
 荻窪四面道の仕事場で作業が終了すると当たり前のように夜の街へ出た。

●小粋な居酒屋を見つけて、ホッとひと息つくのが習慣になった。
 「一汁一菜」という店(他、複数の店の経営をしている)のI・H氏となじみになった。

●居合術を得意とするI・H氏は押し出しのきく侠客肌の男で、彼の店には作家や俳優やテレビタレントや落語家たちがよく顔を見せていた。

●そのI・H氏と船戸与一さんは、彼の若い時からのとことん親しいつきあい――ということで、何度も酒席をともにした。

●船戸与一さんの作品は、ずしりとしたボリュームの作品ばかりだ。
 それでなくとも、当方としては酒の席で、仕事のことは一切口にしない。

●だいたい、巷の店にひとり出向く際は、自称「不動産業」と「婦人科の医師」を名乗っていたものでね。

●でも、船戸与一さんとの酒席では「物書き業」で通した。
 荻窪でのバーや、時には阿佐ヶ谷あたりにも出かけた。
 世間ばなし+αで深夜まで、I・H氏ともどもたっぷり酒を楽しんだ。

●実は、そのI・H氏から「どうやら、彼の肺の表面にガンがへばりついているようで……」と聞いたのは、だいぶ以前だった。

●東京新聞2015年4月22日付の文化欄に『船戸与一さん第18回ミステリー文学大賞』の記事と写真がのった。
 この写真を見るかぎり、病院から駆けつけたという車椅子の船戸さんの笑顔には、「小康を得た」というゆとりがうかがわれた。

●けれど、その後の新聞の訃報記事によれば、掲載日と同じ4月22日、「胸腺ガンのため死去」とあった。

●作家としてのダイナミズム――では、当方としては足許にも及ばない方だった。

●船戸さんも原作者として関わっていた「ゴルゴ13」では、主人公がギラン・バレー症候群では?というエピソードがあった。
 10年前、その疾病には小生もキリキリ舞いさせられた。

●そんなハナシもいずれ――などと思いながらの盟友との別れだった。
 船戸与一さんのご冥福をお祈りします。
 船戸さん、再見!


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ケイちゃんの目 ↓

ご近所づきあいのお地蔵さん

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— posted by 本庄慧一郎 at 03:41 pm  

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