あらめておのれの履歴をふり返ってみると、半世紀あまり一貫して日本語を素材にした仕事(ラジオ・テレビ・構成台本/舞台脚本/TVCMプロデユース・企画・COPY/時代小説・現代小説/五七五・評論集・エッセイ等)をしてきた。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
●執筆トリオ 本庄慧一郎/みさき けい/深実一露
四月の記憶。
●そういえば――
4月――桜花の季節。そして新年度のスタート。社会人第一期生の希望がきらめくスタートライン……などなどイロイロの4月だ。
●そういえば――
本庄慧一郎にとつてというより、望田市郎(本名)にとっては、この4月の「13日」と「23日」は忘れることのできない日だ。
●そういえば――
昭和20(1945)年4月は、あの大東亜戦争(第2次世界大戦)の戦況悪化(といっても、もともと軽率で無思慮無謀な軍部の暴走に引きずられて)で、アメリカのB29爆撃機の空爆によって、東京はもちろん全国の都市や町や村が恐怖にたじろいでいた季節だ。
●そういえば――
当時、北区滝野川に居住していた。空襲は日ごとに激化し、栄養不良と恐怖で右往左往する日々だった。
3月10日のいわゆる「下町大空襲」の大打撃は「筆舌に尽くし難い」。
その後の4月13日から14日の空爆を「命ひとつ」で生き延びた。
(『一億人の昭和史4 空襲・敗戦・引揚』毎日新聞社編集 1975年 毎日新聞社刊より)
(『東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑』平成23年3月 東京都刊より)
●そういえば――
作家早乙女勝元氏の記録本にはその記述がある。
4月13日、夜11時すぎからB29 160機が、小石川造兵廠を中心に、豊島、荒川、王子、小石川、淀橋、四谷、牛込、麹町などを襲い、さらに2日後15日にも、やはり夜の11時すぎから、B29 200機が、京浜地区に来襲、大森、蒲田の城南地帯と、川崎市、横浜市、鶴見地区の広い範囲にわたって、波状攻撃を加えた。この13、15日の両爆撃によって、都内で約22万戸の家が全焼したが、死者は3300人(警視庁資料による)。来襲機数、投下弾は、3月10日の下町空襲の規模とほとんど変らないのに、人的な被害がすくなかったのが、せめてもの救いといえる。これはなぜかといえば、3月10日の空前の大被害にあわてた警視庁が、その「防空体制」を急ぎ変更したからである。
『東京大空襲――昭和20年3月10日の記録――』早乙女勝元著集 1971年 岩波書店刊 P196より
※本文中の漢数字を算用数字にしています。
●そういえば――
いずれ、その「恐怖と残酷の記憶」を書くつもりだ。
●そういえば――
同じ4月だが、23日はいわゆる「結婚記念日」である。
ここから「新しい人生」がスタートして……というコトです。
●あえて言う――
戦争は絶対にしてはならない。「平和」に屁理屈や勝手な自己合理化は叩きつぶさねばならない。
いま「第3次世界大戦も……という可能性もある」とテレビの情報番組で口走っていた者がいたぞ!
●もう一言――
「真の平和の価値」をないがしろにしているヤツらがウヨウヨしている現在の日本――良識ある者たちのパワーを結集する時だ!
ケイちゃんの目 ↓
お気に入りのボクの一本桜と……
文庫書き下ろし時代小説/パート3