あらめておのれの履歴をふり返ってみると、半世紀あまり一貫して日本語を素材にした仕事(ラジオ・テレビ・構成台本/舞台脚本/TVCMプロデユース・企画・COPY/時代小説・現代小説/五七五・評論集・エッセイ等)をしてきた。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
●執筆スタッフ 本庄慧一郎(望田市郎)/みさき けい/深実一露
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2017年(平成29年)さようなら!
●それにしても――
ずっと以前から、年末年始の「カラ騒ぎ」がキライでした。
ラジオ・テレビ、芸能マスコミに関する仕事をして生活していたから、「好き嫌い」を言う資格はないけど。
だからこそ、あえて「同化すること」を拒否したのダ。
●それにしても――
当ホームペ^ジの「エッセイ」のスタートは2002年1月1日である。
『エッセイ』から始まり、『エッセイ/ニッポンの芸能人シリーズ』、そして、現在の『本庄慧一郎/週替りエッセイ/社会&芸能・つれづれ愚差』となる。つまり、1年52週で「週1」のペースで15年ほどアレコレ書いてきた。(といっても、娘やワイフの協力あってのことだけど)
●それにしても――
物書き業を志して、結局は、ラジオテレビの放送作家、TVCMの制作、企画、コピー、作詞など、そして、時代小説(文庫)、評論集など数十冊余と、さらに舞台脚本アレコレと……。よく書いたもンだ!
●それにしても――
「過労死」でジ・エンドになる人が多い。
ボクは、そういう状況にも、なんとかピンチをかわして生き延びてきたネ。
1960年代――放送作家を嫌って広告制作に(本気で)参入。広告代理店(中堅)に入社。会社員もおもしろかったネ。
社長から将来を嘱望されたりして。居心地は良好だった。
フリーになってから、あの「電通」でもずいぶん仕事した。
●それにしても――
同時代(戦後の民放ラジオ・テレビ発展時代)を生きた同輩たち(数年の年齢差はあったものの)とグループ集団として駆けた。
そのお仲間の永 六輔氏、阿久 悠氏、前田武彦氏、青島幸男氏、大橋巨泉氏……などの皆さんは逝ったなぁ。
●それにしても――
こちとら……まだ、居心地のいい書斎に居座って「物書き業」にこだわっている。
近頃は「電子書籍」のスタッフと組んでの新しい仕事でね。
書き溜めた新作あれこれと、既刊本いろいろを電子書籍化するよ。
●それにしても――
現今の政治社会のフィールドには、キナ臭い奴らがウヨウヨしていてさ。のべつハラを立てるぞ。
ハラを立てるのもエネルギー旺盛なショーコだ! という昨今といえるよね!
●芥川龍之介のことば――
「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わなければ危険である」
俳号「我鬼」。35歳で自殺した。
●お互いさま――
心して、いい人生を創るよう――人間としてフェイクにならないよう努めましょう!
●蛇足ながら――
本庄慧一郎は「小心欲抑」(希望や欲望は確かにコントロールして、邪悪な欲は捨てる)で生きていきます!
ケイちゃんの目 ↓
Scenes of memories
板橋区/赤塚山乗蓮寺・東京大仏
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