「ニッポンの芸能人」シリーズ37


労作「日本映画人・改名別称事典」
 労作という言葉がある。
 チャンバラ映画及びチャンバラそのものについてのオーソリティ、永田哲朗氏編の手重りのする上記の一冊(図書研究会刊)をご恵贈いただいた。
 労作であると同時に、これがオモシロイ!
 ぼくは、映画でも舞台でも、また寄席などにも(物書きという商売柄)よく出かける。
 劇場・寄席・ライブと週3回なんてこともある。ある出版関係者に「異状では?」といわれたが。
 しかも戦前の大都映画(「B級映画のエース」といわれた映画会社に監督をしていた叔父などがいた)から、浅草の不二洋子・大江美智子、森川信・清水金一などの劇場によく親父に連れられていってもらったものだ。
 だからこの「永田哲朗事典」の頁をめくるとさまざまな芸人の名を見つけて胸が高鳴る。
 なにしろ、不思議なデータいっぱいなのだ。
 たとえば、歌手楠木繁夫。
 1904年生まれ、1956年没の歌手である。
 このヒト、ざっと100回ほど改名しているというデータがのっている。
 ついつい、その事情やいきさつを考える。

映画でも舞台でもワキ役が好きだ。
 叔父の劇作家故小沢不二夫(このところ美空ひばり17回忌ということで「リンゴ追分」作詞小沢不二夫というスーパーをずいぶん見た)が、新国劇に脚本を書いていたこともあり、「国定忠治」他、ずいぶん名舞台を観ている。もちろん、辰巳柳太郎・島田正吾、そして大山克己・緒方拳も大拍手だったが、なんといっても大山健二郎!
 いまもって、映画も舞台も「ワキ役」が楽しみで観ている。
 さらにこの「事典」から、深江章喜・睦五郎を見つける。お二人とも劇作家三好十郎氏主宰の劇団戯曲座に在籍していて、かく申すぼくも文芸演出部にいた。
 もうお一人、高品格。この方には中野区丸山のご自宅に参上して、じかに演劇・演技論や三好十郎論を拝聴している。

カオ・かお・顔。
 いわゆる「バッド・フェイス」が好きだった。
 アメリカ映画ならチャールズ・ブロンソン、マーロン・ブランド、ピーター・フォーク。さかのぼればジェームス・キャグニー、はたまたジョエル・マックリーとか。
 それより日本映画だ。
 古くは羅門光三郎・瀬川路三郎(息子さんとしたしくしている)、そして上田吉二郎(新宿の猪料理の栃木屋でよくお目にかかた)。
 三井弘次も好きだった(フジTVの脚本を書いていて、「そのうち松竹大船においで」といわれた。酒クセはどうも……だったな)。
 それからじかにお会いしている多々良純。テレビでご一緒した西村晃。
 アサヒビールのテレビCMを制作した時(企画・作詞)、高倉健さんのバックにぼくも出演した(!)が「共演」した山本燐一、今井健二、そしてCMでご一緒した夏八木勲もよかった。
 テレビCMの仕事で語りをお願いした宇野重吉御大。のちの水戸黄門の佐野浅男先輩。そうそうソニーのCMでは大滝秀治先輩には、CM初出演をお願いしている。
「わたしは二時間の芝居を演じてもちゃんとメッセージできないし、声も悪いので、30秒のCMなんて……」と尻込みなさったが、いまCMでも売れっこです。
 それから進藤英太郎にもじかに拝顔の栄に浴している。そうそう、山村総、山形勲という方にもじかに会っているが、いい顔をしてたなあ。

名ワキ役不在の映画も演劇もツマンナイ。
 偏向したスターシステム、というよりテレビなどの有名人病プロデューサーやディレクターのひとりよがりで、ドラマはどんどん幼児化する。テレビコマーシャルなどは、制作者や広告主のおツムを疑いたくなるのも多い。
 デジタル化、さらなる多チャンネル化で地上波テレビ局はやたら潰れるといわれるけど、仕様がないよなあ。
 そういえば、女性暴行殺人、幼児虐待殺人などの凶悪犯人はほとんど、そのツラに特徴がない。ツルリとか、ヌメッとしたとか、丸っこいとか、まるで人間としてのキャラクターが感じられない。
 俳優や役者の場合の悪役はたいていが善良な性格だった。お人好しだったり、ひょうきんだったり。いや、ホンモノのインテリだった。

イシハラ、コイズミという男の顔。
 いまだに「ユージローの兄です」を口走る石原都知事は、チンピラやくざのような言動と唐突なパフォーマンスでイヤだね。
 そして小泉ソ−リ大臣。まるでうわごとのように「ヤスクニ」を口にするし、その言動はすべて抽象化することで、核心をかわす。
 この二人のカオは、日本を代表するインテリということになるのかね。
 そのほか、現大臣の中には……もうやめた。

— posted by 本庄慧一郎 at 05:17 pm  

「ニッポンの芸能人」シリーズ36


モシ・もし・申し……。
 「世界がもし100人の村だったら」という本があった。
 その「もし」を、いまのテレビにあてはめてみたいと思う。

「素人いじり」ということ。
 たとえば、寄席などで、高座(舞台)から芸人がお客さんを引き合いに出して笑いのタネにすることを「素人いじり」「客いじり」といって〔禁じ手〕としている。つまりいっぱしの芸人――プロたる者はやらないということだ。
 芝居(演劇)でも同様である。
 以前、劇団前進座の公演を観にいった時(ジェ−ムス三木の作・演出の時代ものだった)、物語に登場する夜鷹(町かどでからだを売る娼婦)が客席におりてきて、男性客に「どこから来たの。あたしと遊ばない」などとやっていた。「前進座がこんなことを?」とがっかりし、肚を立てた。「下卑た素人いじり」そのものだった。
 しかし、現今のテレビのエンターテインメント番組のほとんどは、この「素人いじり」である。

時給130万円と170万円。
 週刊誌のデータによると、司会者のみのもんたの時給(出演料を時間で割った数字)が130万円。久米宏が170万円だそうだ。
 別のデータではみのもんたの毎日のワイドの出演料は週2000万円(1番組)という。
 1回300〜600万という出演料のタレントはほかにもいる。
 例によって、所ジョージ・明石家さんま・タモリ・島田紳介・ビートたけし……。
 つまりは〔視聴率〕が稼げるから、という理由で目を剥くような出演料になるのだ。
 〔視聴率〕はそのまま〔宣伝効果〕であり、CMタイムが広告主へ高く売れるという図式である。
 そして、彼らがせっせと〔素人いじり〕番組でやたらのさばるということになる。
 これが、JRや航空会社などの場合だったら「利益最優先主義」は大事故を必ず諾起こしている。

もしもいま10人の司会者が……。
 その続きは「テレビから消えていなくなったら」である。
 となったら、テレビ局の連中はナニをやるのかね。
 「目にするだけで腹が立つ俗悪バラエティ番組」(週刊文春)が、とにかくすっきりと姿を消したら、すこしはまっとうな番組が出てくるのではないか。
 小穢い毛ズネを出したニイちゃんたちの口から出まかせの、悪はしゃぎのバラエティ番組や、出たがり屋の素人をコケにした「出張番組」のVTRを、安物のタレントがスタジオでおちょくるなんてワンパターンも片付くだろう。
 だいたいテレビ局のスタッフは年収1500万円とかいうし、広告代理店あたりの高給取りもン10年もどっぷりつかっていると、からだや脳や心を損傷する現実をぼくは知っている。
 また、きわめて貧しい環境から、思いもかけない大金を得た成り上り者も、人間としての心を、常識を狂わせる。

バブル経済は崩壊しても……。
 人間の心の奥底には、あのバブルの毒素は残留していて、したたかに生きのび、跳りょうしている。 
 金まみれ・欲まみれの狂的政治・社会情況はいま、益々エスカレートしているではないか。
 時給130万とか170万とかいう数字の真偽はおくとしても、異状であることは間違いない。
 その異状を異状として認識しないギョーカイも、さらに視聴者もこれまた〔大異状〕だ。
 同じテレビのギョーカイには、ずいぶん多くの自殺者がいる。また自殺同様ともいえる病魔に命を食い千切られた者も多い。
 人間って哀れだなあ。

— posted by 本庄慧一郎 at 05:17 pm  

「ニッポンの芸能人」シリーズ35


コトバ・ことば・言葉
 演劇志望青年が(食えなくて)民間放送ラジオの台本を書き出し、そしてテレビ開局でテレビのライターになる。(筆名本庄一郎)
 そして昭和40年には、テレビカラー化などで発展の気運をみせていた広告業界へ参入。ラジオ・テレビと同時進行で広告のプランナー・コピーライターにとよく働いた。
 10余年前、それらのギョーカイがイヤになり、小説へと転身。
 現在、一見古書店ふうの書斎で、一日400字詰め原稿用紙15枚を――という毎日である。
 土曜日曜は休日として、と親しい編集者にもらしたら、「では一日20枚は書かなきゃ」と忠告された。
 つまり、モノゴコロついてからの仕事は一貫してコトバ・ことば・言葉であった。
 ちなみに、書き下ろし文庫時代小説はざっと300と数十枚。編集者諸氏は「1ヵ月で上げて」とかシレッとおっしゃる――。
 
舞台のことば。活字のことば。そして……。
 ラジオ・テレビでの言葉が堕落している。
 バラエティと称するテレビ番組の、口から出まかせ、浅慮でいいかげんなシャベリにはとうにうんざりしている。
 彼らはスタジオ内で勝手にふざけ、コーフンして、視聴者の存在を度外視している。
 活舌も(話し方の鮮明さ)も無視、イントネーション(音声化す時の適正な音程)もデタラメ。
 さらにガヤガヤとダンゴ状態で「マスメディアの公共性」などカケラもない。
 小学校の同期会の2次会以下のエテガッテさのような番組なんて。
 おまけにテレビCMの、これまたなんとも見当ちがいな、下品な作りにもうんざりする。
 提供スポンサーも制作者たちも、アタマ大丈夫? とクビかしげるね。

いま落語ブームだとか。
 先日、桂小金治さんにお電話を頂き、30分ばかりおはなしした。
 最近、あらためて高座――落語への再挑戦なさっていることを熱く語られた。
 そして新しくお送り下さったテープ(「第48回朝日名人会・桂小金治「渋酒」)と、以前に頂いた「桂小金治・古稀独演会」から「芝浜」をあらためて拝聴した。
 演ずることの少ないという「渋酒」は、さすがにそのユーモア、上等の出来である。
 「芝浜」もよく聴く演目だが、こんど改めて拝聴して、ついホロリと涙ぐんだりした。
 演者としての桂小金治さんの口跡、いまだ冴えていて、その〔芝居づくり〕の巧みと味わいは文句なしである。
 ぼくの書斎へときどき、麻生芳伸氏が見える。氏は津軽三味線を東京に移植した方である。また「落語百選・春・夏・秋・冬」また「落語特選上・下」(いずれもちくま文庫)の労作でも著名だがジャズなどにも詳しいスーパーマンである。
 さらにとりわけ「日本語及び日本人」にたいしての優れたエッセイスト岡部伊都子さんの近刊「桜レクイエム」を編んでいる。
 あらためて「コトバ・ことば・言葉」そして「人間と生き方」を考えるための本である。

それにしても小泉サン・石原サン。
 かたや総理大臣、かたや文学者で都知事だ。
 小泉サンの言葉はいつも二重底のようですっぽり信用できない。以前にも書いたが、どうしても「巧言令色」の不信がつきまとう。
 かと思うと「靖国問題」のように、すでに硬直し、内部腐蝕を露呈しつつある思考の根源はすでに呼吸困難そのものだ。
 いっぽう、石原サンの側近政策についての詭弁は論外として、あの町のやくざ(チンピラ)ふうなしゃべり方に、もう情けないとしかいいようがない。
 新聞記者会見での応答で「ブン屋じゃねぇか」と口走り、「汽車(ポッポ)だか記者だかしらねぇが……」など、目をシバシバさせながらの発言にはただもう吹き出した。
 シャレをいうなら、まっとうな落語でも謙虚に聴いてからにしてよ。
 行政のトップに立つ人間が、こんな下品でいいのかね。小泉サンとちがってこちらは「正直バカ」そのものだ。
 そうそう、あのハマコーとやらと一緒に、バラエティの番組に出たら、愚にもつかない〔毒舌〕もウケるでしょうね。

— posted by 本庄慧一郎 at 05:18 pm  

「ニッポンの芸能人」シリーズ34


熊倉一雄さんのこと
 05年5月30日。劇団テアトルエコー公演(俳優座劇場)「朝の時間」を熊倉さんのご案内で観る。
 そのパンフレットのデータに「熊倉一雄・1956年入団」とある。つまり来年2006年で満50周年ということだ。
 軽妙洒脱というが、現在の熊サンのテイストは正にそれ。
 人間、ものごころついて50年を経るとたいていガタがくる。が、少々そのお姿が丸くなられたものの、ステージでのフットワークは軽快である。
 そしてなによりも、「そっくり返えらない」お人柄がいい。
 熊サンとはラジオのコント番組や「少年ジャンプの歌」を歌ってもらったりとあれこれの仕事をご一緒にしたし、楽しい酒席もずいぶん共にした。(「帰ってきたヨッパライ」などを新宿歌舞伎町あたりで放歌高吟した!)
 ぼくはいま熱望している。「熊倉一雄テアトルエコー50周年」になにかオモシロイことをご一緒したいなあ、と。
 
小沢昭一さんのこと。
 2年前、書斎を大改造した。床から天井までの本棚の一隅に「小沢昭一スペシャルコーナー」がある。
 ぼく自身が買い求めた小沢昭一本に、ご本人がご恵贈くださった著作物やCDが収納されている。
 小沢さんとのかかわりももう50年……。
 ニッポン放送の朝の連続ドラマ「サザエさん」(長谷川町子原作)を叔父小沢不二夫が脚色していて、カゲでせっせと書いていた。
 磯野波平は東野英治郎、お舟は三戸部スエ。サザエは市川すみれ。そのほか若き日の(?)岸田今日子、故小山田宗徳。そして、20代だった小沢昭一さん。
 ぼくはもっぱら近所の酒屋「きくやさん」の小沢さん役の分を担当。「こんちはァ! 毎度ありィ!」がきまりぜりふで登場した。
 それがそのままタイトルになって、別の番組が生まれ、毎週のゲストに清川虹子などが登場した。
 その小沢さんが6月21日からの新宿末広亭に(10日間の定席)に出演するという新聞記事を見た。
 つい先日、小沢さんに「戦時中の寄席芸人たちのことを舞台のホン――コメディとして書くつもり」とお手紙をさしあげたところだ。
 小沢さんがオビをお書きになっている「大塚鈴本は燃えていた」(渡辺武男著)をご著者から贈られていたことと、小沢さんの分厚いご近著「寄席の世界」(朝日新聞社)が、もともと寄席好き、落語好きのぼくのココロを突き動かしたのだ。これも舞台のホンとしてまとめる。
 日々、そのお仕事の質と味わいを深めていく小沢さん。いい先輩です。

桂小金治さんのこと。
 05年6月3日、桂小金治さんからお電話をいただいて、30分以上、おはなしをした。
 ずっと昔、フジTVで毎日の5分間コント「待ッテマシタ!」をご一緒した。
 そして、黒澤明作品(「どですかでん」等)でもおなじみのベテラン三井弘次とのコンビでの「ぼうふら紳士」などの脚本も書かしてもらったなあ。
 世間を騙すペテン師ふうの二人が、結局は世のため人のために役立ってしまう――というコメディだった。
 テレビワイド番組の司会者としては「泣きの小金治」で大ブレーク。
 ぼくとしては、戦後の日活映画の大ファンだったから、裕次郎・旭・錠などのワキを固めた小金治さん、小沢昭一さん、そしてじかにお教えを乞うた高品格さんなどが大好きで(映画5社協定とやらのおかげで、日活には新劇系の俳優がいっぱい出演していた――滝沢修・宇野重吉・千田是也・東野英治郎、それに新国劇の島田正吾・辰巳柳太郎などの御大たちも)ほんとによく観ていた。
 小金治さんは大正生まれとおっしゃていたが、現在の口跡も口舌も明快で「いまあらためて……」高座や落語に熱い気持ちがあることを語られた。
 4・5年前、小ホールでの「禁酒番屋」を拝聴したが、文句なしに面白かった。
 6月は「朝日ホ−ル落語会」にというご予定だとか、ぜひ出かけていたいと思っている。
「はなしといっても〔咄〕も〔噺〕も〔話〕もありますけどね……」と語り口も熱い。
「咄は口から出まかせのはなし。やっぱり落語は何度も高座にかけて、その語り口の味わいを深めてこその……」
 まったくいまのテレビの連中の「口から出まかせのトークとやらはくそくらえ!です」とぼく。
 桂小金治という大先輩も、いいなあ!

屁理屈しか口にしない年寄りたち。
 人間、手足が思うように動かなくなるとつい、そのぶん口だけが余分に動くようになる。
 事実、ビアホールなどでの〔定年退職組のおじさんたち〕の理屈というより小骨ばっかりの話はハタで聴いていてもウンザリする。
 ぼくはいま、熊倉一雄さん、小沢昭一さん、 桂小金治さんという先輩をじっと目を凝らして見詰めている。

— posted by 本庄慧一郎 at 11:39 am  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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