そこで、旧臘12月30日に、あえて仕事を端折って、大好きな深大寺へワイフと出かけた。
門前に楽焼きの店があって、作家の故稲見一良氏(第4回山本周五郎賞受賞/1994年2月24日逝去)と何人かの仲間たちとこの店で遊んだことを思い出した。
深大寺門前の楽焼きの店
その茶店でもらった深大寺周辺イラストマップで、このエリア内に俳人の石田波郷さん(1979年11月20日逝去)の墓があることを知った。その日はたそがれが近かったので近日中に詣でるつもりだ。
綿蟲やそこは屍の出でゆく門 波郷
そういえば、12月30日付の新聞でジャズドラマーのジミー竹内さんの訃報に接した。
彼とは、広告制作の仕事をしていた時代、CMソング・CM用インストゥルメンタルのサウンド制作でスダジオワークをあれこれご一緒した。
ジャズピアニストで作曲やアレンジ、そして映画音楽(高倉健さんの「網走番外地」をはじめン百本という作品があり、80年代のサザンオールスターズの楽曲でも大量の仕事をしている)と広く活躍した八木正生さん(1991年3月4日逝去)のお気に入りメンバーだった。
八木正生さんとは高倉健さんのアサヒビール(コーラス/デュークエイセス)をはじめ、ブリヂストンやトヨタなど、さまざまな大企業のCF音楽や、とりわけ何種類ものワイン・ウィスキー・日本酒にいたるまで、なにしろ手当たり次第に気持ちのいい仕事をした。
カティサークのCF制作(映像は真野響子さん)では、小生の作詞・プロデュース。歌は小林幸子さん、作曲は三木たかしさんにお願いした。
彼は、スタジオでひょいとヒマがあるとせっせと〔腕立て伏せ〕をくり返していて、その元気さに感嘆した。でも2009年5月11日64歳で逝去された。
そういえば、2009年1月8日には、ずいぶん仕事やお酒などもご一緒したムーちゃんこと牟田悌三さんが逝去している。このゲーノー界では希有なジェントルマンだった。
前述した故稲見一良氏とも仲の良かった広告代理店博報堂の藤井達朗さんは、小生とも昵懇だった。その彼がプロデュースしたサントリーレッドのCM映像が(大原麗子さん――2009年8月3日逝去にちなんで)くり返しテレビに流れた。
その映像を見るたびに、柔和で才気のあった藤井さんの笑顔を思い出した。
年の暮れの深大寺で知った石田波郷さんの墓のことから、先に逝った友人や仲間のことをしみじみと思い返した正月だった――。
妻恋へり裸木に星咲き出でて 波郷
呼吸(いき)は吐くことが大事や水仙花 波郷
やたらワルハシャギする人間と社会が大嫌いな本庄慧一郎の2010年、どうぞよろしくおつきあい下さい。
深大寺門前の蕎麦屋