考えてみたら――かつての仕事(放送作家・コピーライター・広告制作者など)の関係で、銀座・表参道・六本木・赤坂・新宿……それに高円寺などのオフィスや仕事場を通じてこれらの街と深く関わったことがある。
東京生まれの東京育ちである。幼い時には父親に連れられて浅草・上野などの下町にもどっぷりなじんだ。
それで現在は――文庫書き下ろしという時代小説の執筆が日常化しているので、「復元江戸情報地図」(朝日新聞社刊/アート・ディレクション中川惠司)という資料と首っ引きで、毎日、〔江戸〕の町をインナートリップしている。
この江戸地図は「江戸・東京重ね地図」というカタチになっているから現在の東京とも比較できて、文句なしの勉強になる。
それに雑誌「東京人」で「とうきょう・ろまんちっ句」という企画(プレゼン→フォト・五七五・ショートエッセイで構成)を担当(1987年〜1991年)させて頂いて、せっせとン百ケ所の街をカメラを持って馳けずり回った。
もうひとつ、それでなくとも街歩きが大好き人間だから、とにかくヒマをみてはあちこちの街を歩き回った。
そして、新宿――。
それまで、まるで手を染めようと思っていなかった〔小説〕という表現形態に取り組んだのは1990年。
「赤い風車劇場の人々/新宿かげろう譚」(影書房・1992年月刊)影書房の松本昌次さんの寛容なご配慮で、本になった。
本名の望田市郎での〔処女作〕である。
戦前、ムーランルージュ新宿座として学生やインテリ層にアピールした小劇場(小劇団)があった。
叔父・小沢不二夫が文芸部で叔母市川(後に小沢)弥生が踊り子で女優だった。小説「赤い風車劇場の人々」はそれをモデルに書いたのだ。
またまた新宿――。
徳間書店の「問題小説」にせっせと時代小説の短編をかかせてもらっている時期があった。
編集の担当者は岩渕徹氏(現・徳間書店代表取締役社長)。
氏の巧みなおだてにのせられて、いろいろ腕試しをさせて頂いた。
やがて、長編を書いたらという助言があって、本庄慧一郎という筆名でなんとか書きまとめたのが 「内藤新宿 殺め暦」「内藤新宿 血の花暦」「内藤新宿 闇の血祭り」のシリーズ(廣済堂文庫&学研M文庫)。
この記念すべき(!)文庫の素材も新宿だったのでアル。
さらにまた新宿――。
そして今回、「新宿今昔ものがたり/文化と芸能の三百年

内容はフィクションではないが、それだけにスペース(B5判160頁)がゆるす限り〔新宿〕にこだわって書いた。
スタッフの皆さんにもお手数をかけたが、原稿をお渡ししてほぼ1年を要した。
このノンフィクション物の前作「幻のB級! 大都映画がゆく」(集英社新書2009年1月刊)同様、フィクションとは異なる著作本として、〔本庄慧一郎の道標〕としても忘れられない1冊になりそうだ。
いま、出版業界……というより、すでに社会現象化していると言っていい電子ブックの話題が沸騰している。
その2010年6月の本屋さんの店頭に並ぶ拙著――どうぞ皆さんぜひ手にとって頁をくって下さいますようお願い申しあげます。
「われわれが追い出されずにすむ唯一の楽園――それは快い思い出である」
ドイツの作家――ジャン・パウル
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