猛暑8月・残暑9月の〔見る観た記〕
・映画「東京島」――希有な限界状況に追い込まれた者たちの生存サバイバルといった物語だ。期待していた作品だが、ふやけた内容でガッカリ。羊頭狗肉作品。
・映画「悪人」――つまり、ケイタイの出会い系サイトなどをきっかけに思いもかけない事件に巻き込まれる軽率きわまる若者たちのおかげで、まわりの年寄りたちがキリキリ舞いするというおハナシ。そんなもんかねぇという作品。
・映画「十三人の刺客」――原作池宮彰一郎。つまり63年度作品のこの映画の〔脚本池上金男〕ご本人である。監督は工藤栄一だった。
出演者は片岡千恵蔵・嵐寛寿郎・西村晃・内田良平・里見浩太郎……。その〔激闘シーン〕は十数分だった。
今回のそれは五十分余……で大迫力。黒澤明作品「七人の侍」を超えたか、という出来だ。
十三人の集団のリーダー島田新左衛門が、死に絶えるまぎわの呟きは「さむらいとは……面倒なものよなぁ……」
・井上ひさし「日本人のへそ」と熊倉一雄。
テレビ作家(主にNHK)として仕事をしていた若き日の井上ひさし氏は放送の仕事を嫌っていた。(著書「ブラウン監獄の四季」などに詳述されている)その井上氏に「シバイのホンを書かないか」と声をかえたのがテアトル・エコーの熊倉一雄サンだった。
『書籍「表裏源内蛙合戦」・著井上ひさし/あとがきより』
――「てんぷくトリオ」の座付作者をしながら、コントの勉強をした。昔、浅草で働いていた事が役に立った。この間(かん)、私の番組というと決まった様に顔を出す役者が居た。新劇人にしては矢鱈に歌の上手な人であったが、この人が熊倉一雄氏で、芝居とコントと歌と踊りの寄せ集めの新劇を書いてみる気はないかと誘った。(略)一年がかりで書き上げたのが『日本人のへそ』である。
自信は全くなく、初日の前の晩、家財道具をまとめて夜逃げをしようと思ったが、初日、舞台がはねてから、戸板康二氏、石崎勝久氏、藤原惟治氏、畠山繁氏などが、傑作ですと、賞めてくれたので、まとめた家財道具を元にもどした。――
そして、初演から41年目にして(再演1972年)、今回の再々演が実現した。
しかし、その「41年目の再々演」の企画は井上氏が本年4月に逝去したことで、「井上ひさし・追悼公演」になってしまった――ということだ。
今回の舞台は、演出も兼ね、長ぜりふと出突っ張りの熊倉一雄サンの文字どおりの奮闘公演で、十分に楽しめた。
83歳という熊倉一雄サンの持ち前の「快いユーモア」はいまやテアトル・エコーという劇団には欠かせないモノだ――ということを証明する舞台であった。
それにしても、あんまり働き過ぎないようにね、クマさん!
・追記――本日は2010年10月1日。思えば5年前の2005年の七月末、テアトル・エコーで拙作「大都映画撮影所物語」上演についての打ち合わせで、熊倉サン、演出の永井寛孝サン(今回の「日本人のへそ」では役者としても大活躍!)と会う予定だったが小生は緊急入院した。
現在は、故大原麗子さんや安岡力也さんなどで一般の人にも知られるようになったギランバレー症候群という面倒なビョーキだった。
そこで、主治医に「9月末で退院させてほしい」という申請書を提出した。もちろん、今後の病状に対してすべて「自己責任で」と一条を加えた。
そしてそれは認可された――といういきさつがあった。
が、さいわい5年経った現在は100パーセント快復して、従前のような執筆作業に努めている――。
ちなみに「症候群」という言葉の意味は「多様な症候で形成されるまとまった病態」とある。
そういえば、このところ矢野宣氏(俳優座)、小林桂樹氏、池内淳子氏などの訃報が続いています――。
ケイちゃんの目 ↓
離れ鴨の孤影/石神井公園ボート池