葛飾柴又はほんらい〔下町〕ではない。
映画「男はつらいよ」のヒット以来、〔下町〕といわれるようになった。
このところ、多磨霊園・小平霊園・谷中墓地、それに伝通院・功運寺・広徳寺……そして源慶寺(渥美清の墓がある)などなどの墓地をせっせと訪れて、何人もの故人の墓石に手を合わせてカメラにおさめた。
そして、葛飾柴又――といっても対岸の矢切からの取材をふくめて今回も3回(以前にも何度か訪れているが)の念の入れよう。
もともと〔健脚〕を自認していたが、5年前にギランバレー症候群などというビョーキにかかって、ちょっと脚力の自信がぐらついていた。
でも1眼レフカメラ2台、(新たに1800万画素なんて、聞いただけで目まいがしそうなシロモノを購入して)それに小型デジカメに望遠レンズ、ワイドレンズなどを持っての行脚である。
となるとウジウジモソモソなどしていられない。
以前、(1987年から1991年の5年間)雑誌「東京人」に連載して頂いた(当時の主幹は粕谷一希さん)「東京ろまんちっく」という企画で、「フォト・ショートエッセイ&五七五」といううれしい仕事をさせてもらった。
その折に東京中125ヶ所を安いカメラを持って駆けずり回った。
そういう企画の仕事を再び――と念願していたが、今回またそのチャンスに恵まれたのデス!
12月15日に今期3回目の柴又(矢切)の取材。
そして12月17日は、早稲田から文字どおりの下町――浅草への取材。
つまり、早稲田大学・都電荒川線・あらかわ遊園地・小台・宮の前・三ノ輪橋・浄閑寺・浅草ビューホテル・六区街と花やしき、吾妻橋からスカイツリーを撮るというカメラ取材。ま、なんとか夕暮れまでに完了。
おまけに、新装になった浅草寺の恒例の「羽子板市」ときたもんで、これはラッキー!いいシーンが撮れたもんねぇ。
――それで、たそがれから、かつてフジテレビ(新宿区河田町で開局したのが昭和30年代初め)の草創期、ドラマ制作のADとしてご一緒したK・Mさんとン10年ぶりにお会いして、浅草1丁目1番地の「神谷バー」でデンキブランで再会を祝しての乾杯をした。
K・Mさんは「男はつらいよ」の原点になったテレビ番組のことをよく知っておられて――あらためてゆっくりインタビューをとお願いした。
このところあちこち数回以上の取材ロケで、とにかくカメラのウデも足も鍛えられたね。アリガタイことです、ハイ。
蛇足――そういえば、ある宗教家のコトバに、「自分の欲望や勝手な願望のための祈願は見当ちがい。仏に掌を合わせる行為とは、そのヨコシマな願望を打ち砕くための行いと心得よ」とあった。
あの正月の神社仏閣の異常な騒ぎは何だ?
ケイちゃんの目 ↓
浅草吾妻橋からの遠景
炎のオブジェとスカイツリーの共演
スカイツリーと渡り鳥と昼の月
ユニークな3点セット
もう一つのスカイツリー?
まったく別のビルに重ねて撮影したケッ作
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