2011年8月5日。前田武彦さんが亡くなった。
民放ラジオ・テレビで大活躍したヒトだったのは、既報のとおり。
もともと放送作家で、かつて小生が筆名本庄一郎だった頃は、同業者だった。
当時は、ラジオのDJ番組はたいてい構成台本があり、出演者はその構成台本をベースにしゃべった。しかし、前田武彦氏は「フリートーク」というスタイルを持ち込んだ。
手もとのスクラップブックに、日本放送作家協会の発会式の写真がある。
昭和34(1955)年9月18日。会場は東京有楽町ビデオホール。
ニッポン放送(略称LF)は、あのホリエとかムラカミといった人物によるゴタゴタがあったが、スタジオは、当時有楽町蚕糸会館ビル内に、ビデオホールと一緒だったハズ。
ビデオホールは、ホール経営と同時に番組制作やアイ・ジョージやロイ・ジェームスなどのタレント・マネージメントもやっていた。
参天製薬という(目薬のサンテなど)スポンサーでラジオ番組「昨日のつづき」を制作していた。
小生も「お早よう。参ちゃんですヨ!」というコント番組の台本を書いていた。
テレビの人気番組だった「名犬リンチンチン」の主役の男の子の声を演じた北里深雪さんのワンマン・トーク形式で、即興のピアノ演奏は「伊勢崎町ブルース」「東京サタデイナイト」などのヒット曲をかいた作曲家鈴木庸一さん(昨年、急逝した)だった。
このオビ番組は、当時のKR(現在の東京放送)でオン・エアされ好評だった。
番組の録音は、日本放送作家協会の発会式会場になったビデオホールのステージが使われた。「昨日のつづき」もつねに同時期に録音されていて、よくハタで傍聴したものだ。
前田武彦・永六輔(のちに大橋巨泉)に富田恵子という才女(草笛光子さんの妹さん)のトリオのフリートークは文句なしに楽しめた。オンエアはラジオ関東(現ラジオ日本)だった。
ディレクターは、いつもニコニコと機嫌のいいS・H氏だった。
前田武彦氏は「夜のヒットスタジオ」(フジTV)の司会をしている時に、いわゆる「バンザイ事件」を起こしたりしたが、とにかく器用なヒトだった。
テレビマスコミの一線を引いてから、テレビの現況に批判的な意見をぶつけていた――。
彼のようなオトナのエンターティナーがいなくなったテレビは――日毎に劣化していると言わざるを得ない。
そういえば8月19/28日合併号「週刊現代」の総力特集「テレビよ、さらば/もう見たい番組ひとつもありません」を読んだ。
小生の出身母体でもあるギョーカイだが、まったくアホバカな若手ゲー人と、勝手なバカ騒ぎのバラエティとやらと、愚にもつかないクイズ番組。もうひとつ……もういいや!とにかく情けないネ。
おまけにそのイージーな番組を分断するバッドセンスのCM群――。
「節電」キャンペーンのために、放送自粛しなければならないのはテレビ局自身だネ。
それにしても――原発放射能禍の夏。無能と欺瞞の奴らの跳りょうする日本。ホントに腹が立つ。
ケイちゃんの目 ↓
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