「社会&芸能・つれづれ愚差」第289回(通算401回)

西武池袋線 清瀬駅からの1万歩ウォーク

 所沢駅の2つ手前が清瀬駅です。もう1つ先の秋津駅と所沢駅との間でJR武蔵野線が交差して、そちらは「新秋津駅」です。
 武蔵野台地に位置する清瀬一帯は、戦前は雑木林やケヤキやクヌギの林などがあって……いや、いま現在も、その閑静な風景は残っていて、思いのままのウォーキングに申し分ありません。

***

 とりわけ、戦前は「東京のカルイザワ」ともいえるローカル色の豊かな風情があり、空気がいいという理由からいくつもの結核療養所などが点在していました。

 そう、俳人の石田波郷も、国立東京療養所(当時)に入院療養していました。

   呼吸(いき)吐くことが大事や水仙花
   綿虫やそこは屍(かばね)の出てゆく門
   乙女の声して寒林を屍ゆく

 などの句を遺していますね。
 実は、小生の母親もこの地の信愛病院で(昭和19年夏)逝きました。
 その信愛病院を訪ねあてました。当時、雑木林に囲まれていた質素な病棟は見上げるようなビルになっていて……胸に痛いような感慨をおぼえました――。

***

 たまたま2012年10月25日東京新聞の『発言欄』に、こんな投書がのりました。
 九州福岡県から清瀬の東京病院(波郷が入院していた病院と同じ?)のホスピスに入院していた叔母さんを見舞うために上京した女性(54歳)が、病院を探しあぐねて困り果てていた。見知らぬ地での戸惑いを助けてくれたのは、年配の男性と女性。病院の所在地を訪ねると、その男性が自宅から車を持ってきてくれて、さらに女性の「悪い人じゃないから大丈夫よ」の助言を得て、おかげで叔母さんのお見舞いが出来た――投書者の女性は『お二人は清瀬の神様。ありがとうございます』と文を結んでいた。

***

 ところで、小生はその日、亡き母との思い出のあれこれをたぐり寄せながら清瀬の道をたどり歩いた。そして、西武電車の線路に面した通りで昔ながらのタタミ屋さんの店を見つけた。
 店先のタナに、「タタミ材で作った花びん敷」があった。シャレていた。
 「一輪挿しや小さな置物をのせたらいいなぁ」と、さっそく手にとって眺めた。
 大中小というサイズがあったが、「小さいのを下さい」とタタミの加工作業に忙しいご主人に声をかけた。彼は、「いま、小さいのが切れてるから、これ(中型)を差し上げましょう」と言って、気前よく、ソレを手渡してくれた――。
 「タダでは申しわけない……」と言ったが「どうぞ、どうぞ」といって、作業に戻っていってしまった。

***

 ようやく初秋らしい光と風に出会えた清瀬でのエピソードは、ひたすら俗悪な政治社会のため不快に淀む胸のオリをすっきり拭ってくれた。




●追記

都知事イシハラ氏の突然の辞任と政界

 かつては国会議員を任期途中で投げ出し、今回も都知事を任期途中で放棄した、あいかわらず自己本位の復帰行動。
 もともと彼は根っからの、そして極度の、加えてとことん幼稚な「目立ちたがり屋」である――。
 彼の言動の根底にはビックリするような浅慮や自己顕示欲がしっかりこびりついている。
 彼のイメージの「明快」さは、半世紀以上の自公政権のうさん臭さと、さらに取って代わった民主党という実行力ゼロ集団の、悪影響に災いされた「反作用・乱反射」に過ぎない。
 その「明快」さを「迷怪」の2文字に置き換えて、いまこそ選挙民は腹を据えて熟慮し、今後の日本のためになるまっとうな判断をしなければ――それこそこの「祖国」は自滅する。
 ちなみに、東京新聞の記事『福島第一(原発) 県外の知事が初めての視察』によれば、イシハラ氏は『(略)事故をもって、開発した新しい技術を放り出すのはおろか』(東京新聞2012年10月25日朝刊27面)と発言している。
 「馬耳東風人種」はコワイ。


NONALNUM-313030A5B1A5A4A4C1A4E3A4F3A5B5A5A4A5F3C6FEA4EA

ケイちゃんの目 ↓

NONALNUM-3238392D343031BEF6C3D6CAAA

**清瀬の畳屋さんに戴いた花瓶敷き**



第二のふるさと 石神井寸景

NONALNUM-3238392D343031BBB0CAF5BBFB

**三宝寺 スナップ**

NONALNUM-3238392D343031C6BBBEECBBFB

**道場寺 スナップ**

NONALNUM-3238392D343031C9B9C0EEBFC0BCD2BAD7A4EAC3EB

NONALNUM-3238392D343031BDA4C0B5C9B9C0EEBFC0BCD2BAD7A4EAA3B1

**氷川神社 お祭りのスナップ**

NONALNUM-3238392D343031C9B9C0EEBFC0BCD2A4AABFC0B3DA

**お神楽のスナップ**

— posted by 本庄慧一郎 at 02:06 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第288回(通算400回)

本庄慧一郎のこのHPを訪問して下さる皆さんへ

 この「社会&芸能・つれづれ愚差」を訪問して下さっている皆さんへ「どうもありがとうございます」と、心から謝意を表します。
 原則は「週1更新」ということで、(途中、10万人にひとりといわれる確率の難病ギランバレー症候群の罹病で2ヶ月の入院&リハビリ、やむなく休筆があり)とにもかくにも400回になりました。


 「1年52週」ということでワリ算すると(入院2ヶ月がなかったら)ざっと8周年弱。実は「社会・芸能つれづれ愚差」のタイトル以前にもあれこれの連載があるので、とにかく8年という時が過ぎました。


 白状すると小生はとことんのキカイ・オンチで、「文章を書く」と「シャシンを撮る」以外は、人まかせ。初めにこのHPを立ち上げるきっかけを作って下さったK・Kさん。そしてわがムスコやムスメたちのフォローがなかったら「始まらない」ことでした。


 もともとがアナログ人種で、いくつかの「物書き業」(放送作家/コピータイター/時代小説作家/そして脚本家)はソレで通してきました。1998年6月に「2万日ダイアリー」という分厚い日記帳を入手。折にふれて日々の雑感を記入していましたが、このHPをスタートさせるとそっちはオロソカになりました。


 そのダイアリーの頁から滑り落ちたメモの五七五を転載します。ご笑覧を。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――1997年 秋八句――

短日や無知蒙昧の大臣の眼

生き急ぎ死に急ぐ人よ空(から)の蝉

友が逝く幸せもどき梅もどき

末枯(うらが)れの風の行方よ野良の猫

バイオレンス映画疎まし茶碗酒

淫売婦に見える女ばかり夏果つる

接吻という言葉ありけりちちろ鳴く

喧噪と虚の町捨てていのこずち

                                    一 露(本庄慧一郎)


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 マスコミ業界の人たちとは疎遠になりました。
 でも、何人かの方々とは気持のいいおつきあいをさせて頂いています。
 たとえば、元TBSのディレクターだった岡本安正さん。ずっとフォトに凝っていらっしゃって、ウデ前は「プロ」。折にふれて小生を撮って下さいます。
 今回も、好きな街・阿佐ヶ谷界わいをロケして――感謝しています。
 それで「勝手に400回記念」と銘打って、岡本さんに撮って頂いたフォトをのせさせて頂きますので、どうぞヨロシク。


撮影:岡本安正氏(3点)↓

NONALNUM-3238382D3430303030C7AFCBDCBEB1

**2000年 春 自宅にて**


NONALNUM-3238382D3430303034C7AFCBDCBEB1

**2004年 夏 石神井公園にて**


NONALNUM-3238382D3430303132C7AFCBDCBEB1

**2012年 秋 阿佐ヶ谷にて**





NONALNUM-313030A5B1A5A4A4C1A4E3A4F3A5B5A5A4A5F3C6FEA4EA

ケイちゃんの目 ↓


見上げてごらん 秋の空を

NONALNUM-3238382D343030B1C0A3B1

NONALNUM-3238382D343030B1C0A3B2

NONALNUM-3238382D343030B1C0A3B3

— posted by 本庄慧一郎 at 02:04 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第287回(通算399回)

縁(えにし)のあった人たちの訃報

●2012年8月27日 アコーディオン奏者・横森良造氏(79歳)
 民放ラジオ・テレビの草創期――アコーディオン奏者として大活躍した。
 のど自慢番組・コント番組、そしてスタジオ・プレイヤーとして、重宝がられた。
 アコーディオンを抱えているその姿とお名前のモジリから『お子守良造さん』とよばれたりして。
 当時、やはりラジオ、テレビで活躍していた司会の三和完児氏の命名だったか。
 当時のニッポン放送で『あなたもメイ優』という公開録音番組があった。
 ご自慢のノド(歌)を競うのではなく、各種のシバイ(演技力)で挑戦する内容で、小生は本庄一郎という筆名で構成を担当。
 審査員は劇評家・大木豊氏。劇作家・寺島アキ子氏。お相手役・牟田悌三氏。水城蘭子氏。そして司会が三和完児氏の皆さん。
 そして、「音楽担当」が横森良造氏だった。
 先日のテアトルアカデミー睦組『炎と愛のフィナーレ/あるレビュー劇場の1945』の公演には、シャッキリお元気な三和完児ご夫妻とニッポン放送の若きディレクターだった志村武男氏が劇場に来てくださって、「再会」を悦んで下さった。
 ちなみに大木豊氏、寺島アキ子氏、牟田悌三氏、水城蘭子氏。そして横森良造氏……の皆さんは亡くなられた。
 横森氏、アチラへいったら、また楽しい仕事をご一緒して下さい。

●2012年10月2日 俳優・大滝秀治氏(87歳)
 大滝秀治氏は、まちがいなく「名優」である。
 その大滝氏が所属した劇団民藝には、彼が畏敬した宇野重吉氏、滝沢修氏をはじめ、文字どおりの実力派俳優がゾロリと揃っている。
 民藝という劇団も在籍する俳優たちも、小生は大好きで、ずっと以前から舞台公演はつとめて観ていた。
 そして、わが師でもある劇作家・三好十郎氏の『ゴッホ小伝/炎の人』という作品ではゴッホを演じた滝沢修氏以下、ベテランたちの熱演に完全にノックアウトされた――。
 小生には以前、TVコマーシャル制作にどっぷりの時代があった。
 主に企画・コピーを担当する小生は「語り――ナレーション」の人選にはめいっぱい、積極的に意見を通した。
 まず、民藝に当時所属していた真野響子氏で『カティサーク』のTVCMを制作・企画・コピー、さらに音楽をもプロデュースして、商品そのものをヒットさせた。(真野氏は美しかったし、現在もチャーミング!)
 そして、御大宇野重吉氏だが、秋葉原の「ヤマギワ」の企業イメージCMで、宇野氏を「語り手」に推挙――なんとか出演をOKして頂いた。
 というのは、「名優&名演出家」でもある宇野氏をTVCMなんぞに出演させるのは初めてのケースだった。
 事前に小生が作成したコピーをチェックして、快諾して下さった。

 博報堂のクリエーターであった沼上満雄氏の追悼本『沼上満雄の世界』より、ご夫人の了承を得て引用させて頂きます。
 本年2012年は沼上満雄氏の13回忌になるそうです。――合掌。

NONALNUM-3238372D333939BEC2BEE5BBE1CBDCC9BDBBE6


(以下、引用)

ヤマギワ 照明器具
『日本のあかり』1974年制作
演出:吉田博昭 語り:宇野重吉 音楽:八木正生 コピー:望田市郎(本庄慧一郎) 制作:東京秀映(当時) 代理店:博報堂

夕暮れに
あかりがともる
人々が あかりをともす
さまざまな時をすごした
さまざまな思いが
自分のあかりをめざして 帰りをいそぐ

ほんものの 木や 和紙や 竹になじんだ
あかりのやさしさ
手づくりの あかりは しみじみといい

こころがほぐれ なごむ
笑いさざめいて やすらぐ
夕暮れに あかりがともる

日本のあかり
ヤマギワのあかり

NONALNUM-3238372D333939A4A2A4ABA4EA


『沼上満雄の世界』pp32―33より

 当時、この「ヤマギワのCM」の「語り」がCF初出演の宇野重吉氏だった。その後、宇野氏は石原裕次郎氏と日本酒のCMなどに出演した。

***

 大滝秀治氏は、手元のデータによれば、昭和27(1952)年の劇団民藝公演/三好十郎作『冒した者』で、ある俳優のアクシデントによる「代役」で本格的な役を演じて注目された。が、その後、あいかわらず下積み的な苦労を強いられた――。
 師の宇野重吉氏に「こわれたハーモニカのようなその悪声と……」と評されたとか。
 小生はTVCM制作時代、コピーの「語り手」にはテッテイしてこだわった。
 そして、同質のコンセプトをもつ広告代理店博報堂のディレクター沼上満雄氏とめぐりあった。たしか、紹介してくれたのは、当時TVCM制作会社のプロデューサーだった稲見一良氏――のちにガンにおかされて小説を書きはじめ、余命6ヶ月という医師の宣告を押しのけて病床で小説に挑戦。1991年に 『ダック・コール』で第4回山本周五郎賞、第10回日本冒険小説協会大賞最優秀短編賞を受賞した。果敢な10年にわたる闘病生活中、小生と濃密な交流をもった。

 出演交渉の折に、大滝秀治氏は小生に対してトツトツとこう言われたのをおぼえている。
 「私の声はご存じのようにTVCMなどには不向きな悪声です。しかも、30秒とか15秒なんてCMは短くて……。なにしろ、民藝の芝居の2時間余という舞台でさえ、作者先生が設定したテーマやモチーフをちゃんと演じられないんですから」
 その大滝秀治氏をなんとかくどいて、なんと「アテレコ」をやって頂いたのだ。
 結果「へぇ! おもしろいもんですなぁ、これは!」と言われたのだ。
 その後、大滝秀治氏は、そのユニークで得難いキャラクターで、たくさんのCMでも活躍、存在感をアピールしたのは皆さんご存じのとおり。

 大滝秀治氏を「初めてTVCMに出演させた」のは小生だったはず。
 この作品は「ヤマギワ」のTVCM同様、博報堂の沼上満雄ディレクターとの仕事だった。


魚のハタおじさんのセリフ:大滝秀治
共生魚のベラ坊やのセリフ:里見京子
ナレーション:黒沢 良
コピー:望田市郎(本庄慧一郎)

(以下、引用)
SONY トリニトロンカラーテレビ
『ハタおじさんとベラ坊や』1974年制作

(おじさん)
 信じていりゃこそ
 信じてくれる いいもんだゎーあ
(坊や)
 そうだよ ハタおじさん
 おそうじはまかせといて
(おじさん)はあ〜
(坊や)
 すみずみまで きれいに気持ち良くね
(おじさん)はぁ〜あ
(坊や)
 この辺で言いたいんじゃない?
(おじさん)はあ?
(坊や)
 ソニーのカラーで見られても はずかしくないようにって
(おじさん)はああ……ああ
(坊や)いいから いいから のんびり口開いててよ
(おじさん)はいはい ああ〜
♪ ソニー トリニトロンカラー
(NA)
 自然の色を 自然のままに

NONALNUM-3238372D333939A5CFA5BFA4AAA4B8A4B5A4F3


『沼上満雄の世界』p11より


(以下、引用)
『あこがれ広告』に向かって 沼上満雄
 ソニー〈自然シリーズ〉とプロダクションのスタッフ
  ソニーの〈自然シリーズ〉は、最初が「サワガニの親子」と「タコの赤ちゃん」でした。このあと、「イエロー・ストライプ」「ミズクラゲの兄弟」「タツノオトシゴ」などと続きまして、昭和四十八年度の「ACC」CMフェスティバルでは、サミー・デイビス・ジュニアの「サントリーホワイト」と最後までグランプリをきそい合いました。私自身、会心作の一つとおもってます。我が子にも、やっと「これがお父さんの作っているCMだよ」といえるものでした。(略)
 (略)ソニーの〈自然シリーズ〉でも、心がけていたことですが、私は「CMの語り」を大切にしたいと心がけています。ということは、コピーライターに人を得なければなりません。
 ソニーの〈自然シリーズ〉のコピーは、望田市郎氏です。私の〔情緒嗜好〕をよくふまえて、数多くの名コピーをものしてくださいました。(略)

 夕暮れにあかりがともる……
 コピーと語りを重視する私の作品のなかで、一回きりのおつきあいになってしまいましたが、ヤマギワの照明器具のCMは、密かに〔傑作〕と自負しているものです。『朝日新聞』(四十九年八月)のコラムが「夕暮れにあかりがともる……ということばで始まる平凡なCMの文句から、不思議に深い味わいが響いてくる――略――この語りからは、確実にある手ごたえが伝わってくる」と書き、宇野重吉氏の語りを激賞し、ラジオ、テレビのよい語り手の養成を主張していましたが、私は、このコラムの筆者に深い親近感をいだきました(そうそう、このコピーも望田市郎氏の作なんです)。
 これだけでもうれしかったのに、昨年(株)マドラがまとめた『戦後CM100選』の中で、宇野重吉氏が、自らのCM出演体験を次のように語ってくれていました。「……ヤマギワ電気の場合は、何か、ふっくらとした生活感、『埴生の宿』の歌にありそうな灯ともし頃のイメージを、あの詩がまずもっていたんですね。書いた人、ああいう要領で注文した人、全体を考えた企画者、その人たちがやっぱりうまかったんでしょう……」
 これにつづけて、宇野氏は「(ぼくの)生活感といえるもの(と、企画全体)が何となく見合っていたのでしょうね」と書いています。我が意を得たりとは、このことでした。(略)
(『沼上満雄の世界』/pp46−48より)


NONALNUM-3238372D333939BEC2BEE5BBE1A5E1A5E2

NONALNUM-3238372D333939A5D3A5C7A5AAA5BFA5A4A5C8A5EB



(以下、引用)

『CM殿堂 時代を超えるアイディアとクリエイターたち
 社団法人全日本シーエム放送連盟(ACC)編 創立40周年記念誌』より

 CM殿堂1973年
 ソニー
 トリニトロンカラーテレビ/たこの赤ちゃん他/30秒×3
 第13回ACC CMフェスティバルTVフィルムCM部門ACC賞・秀作賞

 (略)そのプレゼンが通った後に、この企画にコピーライターとして参加したのが望田市郎氏だった。
 「最初にソニー独自の方式やメカニズムに関するレクチャーを受けたのですが、さっぱりわからない。それでコピーを何案か持っていったのですが、ソニーさんに『これでソニー独自の発明が伝わりますか』と聞かれてしまったんです。僕はその時に『1時間や2時間のPR映画をつくるのであればいいんですが、母親や子供には、ソニー独自や世界唯一という言葉では届きにくいんです』と申しあげた覚えがあります」(望田氏)

 「この頃、ちょうど制作に携わっていた人たちの子供がみな同じ位の年齢だったんです。だから、自分の子供たちに見せた時に話ができるような広告をつくりたい、という気持がありました」(沼上氏)

 このCMはさまざまな方面から話題を呼び、数多くの広告賞を受賞した。

 「沼上さんともよく話してたんだけど、ファッションではなくてモードをつくろうと。つまり、広告の基本にあるようなものを、このCMで作れたのではないかと思います。結局、価値観のものさしは、新しい、古いではないということが証明できたような気がします」(望田氏)

 「僕はモノを創るということは、自分が感じた感動をどう人と共有できるか、ということが大きなエネルギーになるはずだと思っていたんです。この企画はまさにそこから出発して、いろんな出会いが生まれたことで、制作 者としての自分の人生が本当に大きく変ったと感謝しています」(沼上氏)

 このシリーズは全部で13作。撮影は図鑑などを手がけていた学研の生態班が行った。
そして、このCMも完成後には図鑑や科学雑誌などに数多くとりあげられた。

 30秒のCMの中で20秒が生物のカット。CMの3分に(原文ママ)2以上を占める映像のナレーションは重要だった。大滝秀治さん、小松方正さん、中山千夏さん、水城蘭子さんなど、個性的な俳優の方々に依頼。毎回、3時間以上かけて録音された。
(社団法人全日本シーエム放送連盟(ACC)創立40周年記念誌 CM殿堂 全日本シーエム放送連盟/編集 2000年6月10日 宣伝会議刊 pp70―71)より

 このほか劇団民藝の俳優では佐野浅夫氏(軽金属の屋根材CMの語り) 、垂水悟郎氏(化粧品CMの語り)の皆さんにも声をかけた。

 ちなみに大滝秀治さんにご出演ねがったソニーのトリニトロンカラーテレビのCMシリーズの全リストを記しておきます。

1 サワガニの親子
2 タコの赤ちゃん
3 イエローストライプ
4 ミズクラゲの誕生
5 タツノオトシゴ
6 イトトンボ
7 ナナホシテントウ
8 ハタおじさんとベラ坊や(大滝秀治出演作品)
9 プララン君のウルトラC
10 ホッパー君のかくれんぼ
11 カタツムリの赤ちゃん
12 ベタのお父さん
13 ツマベニチョウの誕生
14 花びらヒメカマキリ



**ソニートリニトロンカラーテレビシリーズ受賞リスト**


望田市郎の個人賞として
 「1973年度ACCテレビ部門テレビコピー個人賞」を受賞。

ソニートリニトロンカラーテレビ「タコの赤ちゃん」以下自然シリーズ 博報堂/東京秀映 受賞リスト
 1998年 第2回ACCパーマネントコレクション
 1991年 昭和名作CM100選
 第13回日本放送作家協会賞
 1973年度広告電通賞
 1973年度ACC賞
 第20回カンヌ国際広告映画祭特別賞
 1973年度ACC賞及び秀作賞
 1974年度ACC秀作賞
 1974年度ACCシリーズ賞
 1974年度広告電通賞部門賞
 1974年度サンケイ広告大賞大衆賞
 第21回カンヌ国際広告映画祭銅賞
 第15回アメリカン・テレビコマーシャルズ・フェスティバル
 1974年度CLIO賞ファイナリスト入賞
 1974年度CLIO賞キャンペーン賞入賞 

ソニートリニトロン・カラーテレビ 「シャボン玉」以下科学シリーズ 博報堂/東洋シネマ 受賞リスト
 1974年度ACC秀作賞

ヤマギワ電気「日本のあかり」(宇野重吉語り作品) 博報堂/東洋シネマ
 1974年度ACC秀作賞


***


●2012年10月9日 俳優・大山克巳氏(82歳)
 最近では、小櫻京子劇団公演にゲスト出演なさっていて(2〜3昨年?)にお目にかかったか。
 あの辰巳柳太郎氏、島田正吾氏の新国劇では、緒形拳氏の先輩で「殺陣――チャンバラ」を颯爽と演じた。
 とりわけ、新国劇十八番『殺陣・田村』では、「謡曲・田村」を使っての颯爽たる「殺陣――タテ」の美技に若い日の大山克己氏はきわだっていた。
 晩年はからだの調子もあってか、昔日の颯爽ぶりはカゲをひそめていた。

 あらためて、皆さんのご冥福をお祈りいたします。

***


 鶯にだまされてゆく浄土かな   ――金尾梅の門



NONALNUM-313030A5B1A5A4A4C1A4E3A4F3A5B5A5A4A5F3C6FEA4EA

ケイちゃんの目 ↓


本庄さん家の初秋スナップ

NONALNUM-3238372D333939C4ABC6FC

**フロアの朝日のアブストラクト**


NONALNUM-3238372D333939A5ABA5B4A4ABA4DEA4ADA4EA

**自転車カゴのかまきり君**


NONALNUM-3238372D333939C0D0A4ABA4DEA4ADA4EA

**踏み石のかまきり君**


NONALNUM-3238372D333939A5D0A5C3A5BF

**網戸のバッタ君**

— posted by 本庄慧一郎 at 02:40 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第286回(通算398回)

他人(ひと)の痛みがわかる?

 あるいは、「他人(ひと)の苦しみや哀しみがわかる」などと言われます。もちろん、「そうありたい!」とずっと思ってきました。
 でも、でも、他人の痛みや苦しみをとことん実感することなど、しょせんは無理だと思っているのです。そう、たとえば、ナマ爪一枚はがした人の痛みさえ、「実感」することはムリだと思っているのです。
 ましてや、福島の人たちのように、家族を失い、生まれ育った家屋や故郷そのものを失い、なおかつ残留放射能のためにいつ戻れるかわからないといった状況下に打ちひしがれている人々の気持をそっくり「実感」することなどは……。
 現在の為政者たち(政治的・道義的責任を負うはずの者たち)にも、そんな想像力のカケラもないようだと思わざるを得ない昨今です。

***

 現在、「おのれのこれから」を模索してきて、なんとかずっと舞台の脚本を書きたいと努めています。
 そのための1企画のバックデータとして、あの「第2次世界大戦」の戦争で「玉砕を強いられた兵隊たち」のことをしつこく調べています。
 「サイパン玉砕の記録」関係のモノはもちろん、実際に実体験した方にもじかにインタビューしました。(その方は先年、故人になられた)
 インターネットで「多賀基良さん」という「サイパン玉砕生き残り」の方の手記も心して拝読しました。
 『サイパン島の怒号』多賀基良――と題する文章から、一部ご紹介します。

 この手記は、石川県輪島市・真宗大谷派 高淵山 正覚寺のホームページ内に、檀家である多賀基良さんの手記を門徒文集として掲載されています。
 今回、御住職さまの了承を得て引用させていただきます。
 『サイパン島の怒号』全文は正覚寺HPでぜひ、お読みください。→正覚寺HP Link

 
(以下、引用)
当時の軍隊では、捕虜となって敵国まで連れていかれた者は、スパイと同罪で銃殺刑にされると教えられていたのです。

振り返ってみると、「お国の為にお役に立とう」と勇んで村を発ったのですが、何かお役に立ったことがあったでしょうか。

怯えながらジャングルの山中をさまよい、側に戦死した友の遺体をそのまま放置して、逃げ惑うことが殆どで、何とお詫びの言葉もありません。

私自身が死と直面した毎日でした。

人生の基礎を築く大事な年代に、4年間も死と対峙〔タイジ〕し、恐怖の逃避生活を余儀なくされ、九死に一生を得て生還しても人目を憚って〔ハバカッテ〕、外出も控え目な生活をしなければなりませんでした。

捕虜となったことで、こんな引け目を感じたり、罪悪感に悩まされることを、戦後の教育を受けた人には理解できないでしょうが、戦前の教育では最大の不名誉で、家門の恥、男子の恥ということをたたき込まれていたのです。

高淵山 正覚寺のHP内「サイパン島の怒号」より(2012年10月5日)


***

 戦後67年。日本はとにかく平和を維持してきました。
 戦争は、どう理屈をつけても「殺し合い」という本質は変わりません。
 すでに「戦争の理不尽と容赦のない残酷さ」は忘れられつつあります。
 いえ、あの「フクシマ」で生活を、運命を根こそぎくつがえされた多くの人々の哀しみや痛みさえも、すでに忘れられているのでは、という気配は濃厚だと思っています。
 「他人(ひと)の苦しみや哀しみがわかる」?

 それにしても――まっとうな人間らしい想像力を失った者に、ほんとうに「他人の痛み」なんて実感できるのかなぁ。


NONALNUM-313030A5B1A5A4A4C1A4E3A4F3A5B5A5A4A5F3C6FEA4EA

          ケイちゃんの目  ↓


町の小さな「やすらぎ」

NONALNUM-3238362D333938BBD2B6A1BCABC5BEBCD6BDB8B9E7

NONALNUM-3238362D333938BFDEBDF1B4DBC1FC

NONALNUM-3238362D333938B4DDC0D0




CDアルバム「鳥になれたらいいね」詳細・試聴は当サイトのCD紹介ページ Link をご覧ください。

好評配信中 着うたフル・着うた「鳥になれたらいいね」楽曲配信の詳細は
こちら Link をご覧ください。

NONALNUM-C4BBA4CBA4CAA4ECA4BFA4E9A4A4A4A4A4CD6364A5B8A5E3A5B1A5C3A5C8B2E8C1FC

— posted by 本庄慧一郎 at 01:19 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
<< 2012.10 >>
SMTWTFS
 12345 6
78910111213
1415 16171819 20
212223242526 27
28293031   
 
※ ご注意 ※このウェブサイトに掲載されている、すべてのコンテンツの著作権は(有)望田企画室ににあります。
著作権者の許可無く、本サイト内の全てのコンテンツ・著作物について、無断での使用・転載・加工は一切お断りしております。