三國連太郎さんとは、昭和41(1966)年頃にお目にかかっている。
それまでの放送作家の仕事だけではなんとなく不安で、新しく台頭しはじめた広告ビジネスに強い興味をもった。
そして、銀座7丁目にあった広告代理店D企画にコピーライターとして入社した。
内田健太郎というコマーシャルフィルムのディレクターがいた。この内田氏とは、コンビを組んでCF制作に没頭して、仕事量も「受賞作」も量産した。
その当初に、映画デビューしてたちまちスターダムに立った(若き日の)三國連太郎氏に出会った。
内田氏とカメラのペンタックスのCFの企画を考えていて、「007ジェームス・ボンドふうなのを三國さんで――」となり、さっそくご本人を口説いた。三國さん個人と会った。
このことは、東京新聞の連載(2008年2月6〜28日)、『本庄慧一郎/わが街わが友

【11.銀座】
銀座にD企画という広告代理店があった。放送作家もやりながら昭和四十年、コピーライターとして入社する。
内田健太郎さんというディレクターと組んだ。Aカメラ、Bタイヤ、M自動車などメジャャー広告主のCFを手当たり次第手掛ける。カメラのCFで、007 ジェームス・ボンド風の企画として昭和四十一年ころ、三国連太郎さんに出演してもらった。その二枚目ぶりにとことんシビレた。
直系のCFプロダクションNの社長は砂山利宗さん。黒沢明の「七人の侍」の大迫力の砦(とりで)のシーンのカメラを担当した人で、ずばりと言えば“モダン侠客(きょうかく)”。迫力の人。(略)
銀座にD企画という広告代理店があった。放送作家もやりながら昭和四十年、コピーライターとして入社する。
内田健太郎さんというディレクターと組んだ。Aカメラ、Bタイヤ、M自動車などメジャャー広告主のCFを手当たり次第手掛ける。カメラのCFで、007 ジェームス・ボンド風の企画として昭和四十一年ころ、三国連太郎さんに出演してもらった。その二枚目ぶりにとことんシビレた。
直系のCFプロダクションNの社長は砂山利宗さん。黒沢明の「七人の侍」の大迫力の砦(とりで)のシーンのカメラを担当した人で、ずばりと言えば“モダン侠客(きょうかく)”。迫力の人。(略)
(東京新聞 2008年2月22日 TOKYO発『わが街わが友』より)
最初のミィーテイングの時、彼は「親鸞を主題にした映画を自主制作したいので、協力してくれるスポンサーを探してほしい」と言った。
そのために、2、3の企業に相談した。(たとえば大手タイヤメーカーのBに話を持ち込んだが、宗教関係はちょっと……ということで三國氏の要望には応じられなかった。)しかし、彼はその後もねばって「親鸞――白い道」を完成させた。
あの頃の三國連太郎氏は、とにかくカッコよかった。その男ぶりには「凄み」さえあった。
「アサヒペンタックス/三國連太郎の007」なるCF映像は、手元のフィルムやビデオの中には残っていないのがくやしい。
***
「戒名もいらない。散骨して誰にも知らせるな。三國連太郎のままいく」と周囲の人に言い残していたとか。
***
この三國氏とは正反対に、かの渥美清(本名田所康雄)氏は、死に臨んで、「死んでいくのは田所であって渥美清でも、“寅”でもない。絶対に“寅”の墓は作るな」と遺言している。
新宿区の源慶寺にある墓石は、素っけないくらいにシンプルに徹している。
「右と左」ほどに、このお二人の意志は異なる――。
***
三國連太郎氏 享年90歳 2013年4月14日逝去。 ご冥福をお祈りします。
島森路子氏(広告ジャーナリスト)のこと
2013年4月23日、島森路子氏が亡くなられた。
島森さんは天野祐吉さんとコンビで「広告批評」などをベースに広告ジャーナリストとして活躍なさった。
三國連太郎氏の項でも書いたが、放送作家としての仕事に飽き足らず、草創期の広告業界(というよりTVCFはまだ手さぐり状態で関係者はみんなまじめで真摯だったね)に参入した。
いわば、放送作家兼業だった。 前記の広告代理店D企画の内田健太郎ディレクターと「手当たり次第」に仕事をしたが、やがて、広告代理店Hの沼上満雄氏と、これまたアレコレと仕事をした。(SONYカラーテレビ「タコの赤ちゃんシリーズなど)
エラソーに言うつもりはサラサラないが、その後あれこれ――ラジオCM、コマーシャルソング、TVCF全体の企画・作詞・制作に関わり、延べ150作品以上で、国の内外の賞を受賞した。
そのなかで、ムキになって、クリエイティブ作業に入れ込んだ作品がある。
このブログ第287回

映像は商品の照明器具のみ。音楽はよくコンビを組んだ作曲家(すばらしいジャズピアニストでもあった)八木正生氏(1933年〜1991年)。
そして、小生が(強引に)ナレーターとして推挙したのは、劇団民藝のというより、日本の演劇界の重鎮 宇野重吉先輩だった。
このCFの「批評」を、島森路子さんは「TVのブラウン管から、はじめて『人の声』が聞こえてきた――それは『ヤマギワ』のCFである」と書いて下さった。
正直、うれしかった。
***
前記の「ヤマギワ」でのナレーションのコピーは――
ヤマギワ 照明器具
『日本のあかり』1974年制作
語り:宇野重吉 音楽:八木正生 コピー:望田市郎(本庄慧一郎) 制作:東京秀映(当時) 代理店:博報堂
『日本のあかり』1974年制作
語り:宇野重吉 音楽:八木正生 コピー:望田市郎(本庄慧一郎) 制作:東京秀映(当時) 代理店:博報堂
夕暮れに
あかりがともる
人々が あかりをともす
さまざまな時をすごした
さまざまな思いが
自分のあかりをめざして 帰りをいそぐ
ほんものの 木や 和紙や 竹になじんだ
あかりのやさしさ
手づくりの あかりは しみじみといい
こころがほぐれ なごむ
笑いさざめいて やすらぐ
夕暮れに あかりがともる
日本のあかり
ヤマギワのあかり
『沼上満雄の世界』pp32―33より
宇野重吉さんは島森路子さんとは別にこんなことばを下さった。
「(略)……『埴生の宿』の歌にありそうな。〔灯ともし頃〕のイメージを、あの詩がまずもっていたんですね。(略)あれを引きうける気持になったのも、詩をまずよませてもらって、これなら気持ちのいい具合にいくんじゃないか、と思ったんですね。(略)」(「戦後CM100選」1997年マドラ出版より)
もともと、演劇をやりたかった小生としては(やっと演劇回帰への作業を再開した昨今だが)跳びあがるほどうれしいホメことばだった。
***
音声化される文字・活字・演劇――舞台はもちろん、テレビドラマのせりふもナレーションも、もちろんTVCFのコトバも、いいかげんでは困る。いけない!
最近のテレビから聞こえてくる声は、どれもこれもラフ(粗雑)で、ノイズにしか聞こえない。とりわけ女性の上ずったアニメ声(妙チキリンなフシをつけて喋る!)の乱用にはひたすら不快感を募らせているがネ。
演じている者もだけど、制作ディレクターたちの幼稚なセンスにもハラを立てている。
島森路子氏 享年66歳 2013年4月23日逝去。 ご冥福をお祈りします。
ケイちゃんの目 ↓
国分寺1万歩ウォーク(その2)