ニンゲンがそこに居るというだけで、周りが散らかる、汚れる、淀む、乱れる、すすける……? イロイロ、マイナス変化するのダ。
だから、年の変わり目には清掃し、整頓し、住環境を正す。
●蔵書たちとの愛惜の別れ。
このところ、数次(5、6回)にわたって、本の整理処分を強行してきた。にもかかわらず、新しい資料本を買い込んでくるムジュン!
寄贈された小説本などはまとめて被災地の皆さんへ。小ムズカシイ本は古書店に来てもらってまとめて処分。リサイクル店にはダンボール箱詰めで送る。そして、資源ゴミとして回収してもらって……「さようなら、ゴメンネ」と声をかけて本たちに別れる。
●まともな作家先生の場合と大いに異なること。
雑誌やテレビ映像などで、大作家や文豪と称された方たちの書斎や本ダナを見たことがある。系統だった書籍が整然と本ダナに並んでいて、圧倒される。そして、その執筆する机も、原稿用紙、筆記具がキチンと置かれていて美的である。
こちとらは、そうはいかない。自称、「古書店の倉庫のような書斎」となるわけデス。
●なにしろ、集積されている本の種類が雑多なのでアル。
畏敬する劇作家(同時に直接、師事して書斎での清書・口述筆記などに携わった――)の故三好十郎氏(1902年〜1958年)の作品集・評論集・詩集等は「永久保存」だが、その他は膨大な江戸時代の資料をはじめ、新劇、歌舞伎関係本。そして昭和史関係資料。かと思えば、かのビートルズのLP、CDに評論集・歌詞集など(ジャズ・フォーク・タンゴまで)の資料本。さらに、サイレント映画時代の資料のあれこれ、かつての浅草六区のエンターテイメント関係の本。加えて、落語関係の資料本。また、いつか舞台化をと考えている企画のタネにするさまざまな本……と、とにかく一見デタラメ。とりとめのないスクランブル。文字どおり「雑多」である。
●廃棄処分本の中の一冊をつい手にして――。
1冊1冊を手にとると、ついポイ捨てが出来ない本ばかり。でも目をつむってダンボールに入れるのだが。
「変節の人/かつての同志が告発する青島幸男の正体」(矢崎泰久/1997年 飛鳥新書)を手にとって頁をめくる。
●「まえがき」にこう書いてある。
「(略)1995年(平成7年)4月9日、青島幸男が東京都知事に、横山ノックが大阪府知事に当選して。この悪夢のような出来事は、私にとってこの世の終わりに匹敵するような大事件だった(略)」
●二人とも「どうしようもない」テイタラクだったと――。
横山ノックなる男のてんまつはご存じのとおりだが、青島幸男氏についてはこの本でその理由がこまかく記されている。
そういえば、都知事の座には、この作家青島氏と、そして、石原慎太郎氏、さらに今回(!)の猪瀬直樹氏と3人が大量票を集めて当選している。
●既存の政治屋行政屋が劣悪だから――ということだけど。
この3人の「作家」たちが、つまるところ何をどうしたというのだろうか。
青島氏の気まぐれ行動のてんまつ。石原という男の傲岸にして勝手な言動と行為。(結局、知事の仕事を途中放棄した)そして、その後継者として登場した猪瀬氏なる男の「三文芝居的終焉」の情けなさ!
●この3人は「作家」と名乗っていたよ。
小生も原稿の署名の下のカッコ内には「作家・脚本家」と入れるけどネ。
あのヒトたち――まったく、どうしようもねぇよなぁ、とつい呟いている。
こちとらも、そうエラソーなこと口にする資格もねぇけど、でも「選挙民」としてはマトモなつもりです。
●気のおけない会合などでの自己紹介では。
いきなり、スピーチなんか頼まれると、ワザとこんなことを口にするのデス。
「作家・錯覚・三角・四角。物書き・汗かき・恥っかき……の本庄慧一郎デス」な〜んて。
●書斎の掃除・ココロの整頓も。
というわけで、「物書きとしての自戒のコトバ、連想ごっこ」をやりました。
錆びる――曲がる――乾く――鈍る――弛む――ずれる――滑る――淀む――撓(たわ)む――焦れる――転(こ)ける――歪む――喚く――錆びる――腐る――のめる――焦る――枯れる――呆ける――キリがないので、このへんでジエンド。
●このHPを訪問下さる皆様、読者の皆さま、新しい年もどうぞよろしくおつきあいのほどを。
なんとか、もっとマシな気持のいい年にしたいですね。
ケイちゃんの目 ↓
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