「社会&芸能・つれづれ愚差」第422回(通算534回)


「好き」と「嫌い」

●そういえば――
 「妖怪」「嫉妬」「妄執」なんて単語にも「女」という字が使われていて、レディに失礼じゃないのか、なんて今更のように思ったりして。

●そういえば――
 男女を問わず、人生の一大事の恋愛も結婚も、すべからく「好き」と「嫌い」が重要条件になるよネ。

●そういえば――
 その重要条件も、しょせん「絶対条件」にはならなくて、いつのまにか「軽蔑」や「憎悪」や、時には「殺人事件」になったりするもんね。

●そういえば――
 小説や脚本を書く者にとっては、しょせん「男と女」を無視しては仕事にならない。とにもかくにも「男と女」なんだよねえ。

●そういえば――
 昔から、こちとら、エテガッテな「好き」や「嫌い」を押し通すことには控えめだった。
 とにかく「時代」が、そして「人生としての生活環境」がシビアできつかったからね。すべてに控え目で遠慮ぶかくてね。(ウソつけ?)

●そういえば――
 グルメ気取りの者のしたり顔が大キライだ。さらにテレビカメラの前で「ヤバ!ウマッ!」なんてほざく若いのもゴメンだね。旅の番組なんかでの「モノを食う人」の品性のなさったら!

●そういえば――
 ずっと生業(なりわい)としていたテレビやCM制作業界だけど、こちとら(平均値以下の者)が見ても、下司下品なのがウロウロしてたなぁ。

●そういえば――
 いまでも、おのれの立場を悪用して企業(会社)の巨額のカネを着服するヤツは後を絶たないが、営業販促費や渉外費として使うカネをふところにする下司野郎はワサワサいたしね。

●そういえば――
 いっとき「マスコミ・ビジネス」にどっぷりだったせいで、そんな「悪臭」にはひどく敏感になったようだなぁ。
 とにかく、「虚勢」「虚名」に浮かれているヤツが嫌いだった。

●そういえば――
 国際サッカー連盟(FIFA)がらみのワイロ汚職事件や、わが国会議員たちの公費の不明瞭な使途など……もうウンザリだぜ。

●そういえば――
 「積極平和主義」という美名のもとに使われようとしている膨大な国家予算――どうにも救いようのない「借金大国」を放置して、創造性のない、そして平和に逆行するような「安保法案」を強硬推進するヤカラたち――をあらためて嫌悪し、糾弾したい。


人間は、人を救うことよりも、殺すことに関してのほうが、豊かな想像力を発揮する。
                ――フランシスカ・ピカピア/フランスのアーチスト

●そういえば――
 こうした「政治的狂奔」の時流に対して、しっかりした見識をもっているレディたち――たとえば、落合恵子さん(作家)、斎藤美奈子さん(文芸評論家)、浜矩子さん(同志社大学院教授)。
 そして、菅原文子さん(菅原文太さんの奥さん)。 以前(1988年頃)菅原文太氏の歌う曲の作詞を依頼され、「望郷」(作曲石田勝範氏)の作詞をした折に菅原夫妻にお会いした。
 昨年(2014年11月28日)文太さんは亡くなられた。

 文太さんはその27日前、療養中の身でありながら、沖縄県知事選に立候補した翁長雄志氏の選挙応援に、はるばる沖縄に行った。
 文太さんは1万4千人の沖縄の人々の前で「沖縄の風土も日本の風土も、そこに住む人々のものだ。辺野古もしかり。他国に売り飛ばさないでくれ!」とアピール。
 盛んな共感のアラシが開場にわき起こったという――。
 その後、菅原文子さんは「名護辺野古基金」の共同代表(スタジオジブリの宮崎駿氏らと就任)をつとめている。
 といった皆さん(順不同)が大好きです!





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ケイちゃんの目 ↓

 どくだみや真昼の闇に白十字 川端茅舎 
2枚目のフォトがわが小庭の「白十字」です。

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— posted by 本庄慧一郎 at 04:00 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第421回(通算533回)


新作の舞台脚本を書くために――

●それにしても――
 本庄慧一郎は勤勉である。というと自分を褒めていることになる。
 別の言い方をすると、タダのビンボー症である。

●シバイ(演劇)を観ることも、映画にこだわることも、いいホンを読むことも、良質の音楽に心を遊ばせることも……お勉強のうちだ。

●昔から、競輪競馬、ゴルフ、麻雀などのギャンブルとじかに関わることはなかった。(マスコミ業界の仲間うちでは「ヘン人?」なんてコトも言われた)

●このところ新作脚本の時代を昭和30年代(1955年〜)としているので、本箱二つ三つ分ほどの関係資料と首っぴきである。

●「もはや戦後ではない」と声高に言われた。(1956年)
 「イシハラシンタロウ」の「太陽の季節」の小説と映画化で「太陽族」のさばる。(1956年)
 「1億総白痴化」とは評論家大宅壮一が「テレビ番組」に対して言ったコトバだ。(1957年)

●「1億総評論家」も大宅壮一のコトバだ。(1958年)

●「売春防止法実施」が話題を集めた。(1958年4月)
 安保阻止の学生のデモ隊と警官隊との衝突が羽田空港や国会内で生じて――。

●そして――すでに60年近くの歳月が通り過ぎている。
 いま
 「沖縄での基地の問題」
 「オスプレイの横田基地配備の問題」
 「原発再稼働の問題」
 「現行の憲法に対する……」
 などなどというもろもろの重要問題を想起して、ビンボー症の本庄慧一郎の気持ちは波立っているのデス。




***次回 本庄慧一郎作品公演のお知らせ***

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詳細につきましては、改めてお知らせいたします。





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ケイちゃんの目 ↓

九十九里浜からの「友情」と季節からの贈物


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— posted by 本庄慧一郎 at 05:08 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第420回(通算532回)


人生の「片付けられない症候群」。

●そういえば――
 症候群とは「syndrome――群の多彩な症候で形成されるまとまった病態(後略)」(広辞苑より)。
 このコトバとはフカーイご縁があった。

●そういえば――
 すでに10年前に「ギラン・バレー症候群亜型ミラー・フィッシャー症候群」という「10万人に1人」の確率の疾病に襲われてキリキリ舞いした経験がある。

●そういえば――
 自分の生活環境を整理整頓できずに「ゴミの山」にしてしまう「片付けられない症候群」に罹病している者が多いと聞く。

●そういえば――
 かく申す本庄慧一郎も、コト書籍に関しては、あえて整理せずに貯め込む悪ヘキを持っている。「悪」ではない。他人に迷惑をかけないからね。でも、このところその書籍類を思い切ってン千冊も処分して「身ぎれい」にした。

●そういえば――
 身辺整理といえば、生活環境の物理的問題もさることながら、「人間そのものに関わるゴタゴタ」を引きずったまま、あの世に逝く者も多いなぁ。

●そういえば――
 とりわけ、マスコミ(テレビ)芸能界などでは、「つましく貧しい生活」からようやく脱出して、しこたまカネを手にした者が、豪邸やグルメなどの生活のウラでまさかといった「醜聞」にどっぷり――なんてコトは枚挙にいとまがない。

●そういえば――
 当HPのエッセイ第408回 Link でも、こんなザレ歌を書いた。

成り上がり 成り下がり
左曲がり 右曲がり
グルッと 回って
下司下品

屁理屈 小理屈
不平に 不満
自分自身をタナに上げ
口から出まかせ サケ談義


●そういえば――
 現在のテレビのエンターテインメント番組でワルはしゃぎバカ騒ぎしている連中の中には、「人生の片付けられない症候群」にすでに冒されている者は多いのではないかね。

●そういえば――
 当HPのエッセイ第417回 Link でも記した愛川欣也さん、うつみ宮土理さんのことだけど――
 「うつみ宮土理(71) 愛川欽也さん(享年80)が死ぬ間際まで愛した女優(38)の父が明かした10年の凄絶三角愛憎/うつみ宮土理最悪の会見!苛つく仮面の下」(女性セブン5月28日号より)
 真実は、どうなってんのかねぇ。

●そういえば――
 「自分の始末は自分で付ける」という原則論からいえば、原発施設における核廃棄物の問題、汚染水の外洋へのたれ流し問題。はたまた活火山の活動活発化と地震多発を無視しての「原発再稼動」問題――こうした政治や企業の「片付けられない症候群」は日本国の命運を狂わすのだ!


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ケイちゃんの目 ↓

小さな生きものの生活美学


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— posted by 本庄慧一郎 at 04:39 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第419回(通算531回)


アトランダム・メモランダム(2015年5月)

●100%自己責任というコトで怪我をした。
 具体的な説明は省略するが、その結果、脳神経外科で精密検査を受け「スライスCTスキャン」他のお世話になった。

●結果「おトシのわりには、キレイな脳です」という診断結果になった(かくれ脳梗塞のこんせきもなかった)。しかし、怪我の後遺症は「ケロリ」とは治癒しなかった。

●事故発生が2015年1月16日。
 すでにそれから100日ほどの日が経ったが、肩からクビ、そして脳内に「ズキズキ」とか「チクチク」といった後遺症は残っている。
 でも、確実に快癒していることは間違いない。

●折しも、図書の装丁装画などのデザイナー集団である日本図書設計家協会からの依頼で『物書き業 道中控/仕事と人と本と書斎と』と題して2回に分け(2014年冬季号&2015年春季号)おのれの来し方についてエッセイを書いた。

●来し方(過去)を振り返る――という作業は何かキッカケがないと手を付けようとしないものだ。

●掲載誌2冊の中間地点での事故だったわけだが……その事故の1週間後の1月23日に大事な約束を入れていた。
 それは、この7月2日〜5日にテアトルアカデミー睦組の第3回公演のための拙作「『めざせ!忠犬ハチ公』物語/1943年のさようなら」の「作者本読み」を、演出の睦五朗氏と約束していたことだ。

●「何かのお役に立てば」と自分から申し入れていたことで、なおざりに出来ない。睦組メンバー40余名(?)の前で「作者本読み」を決行した。

●つねに俳優諸君には、台本を読むときには「絶対に台本で顔を隠すような姿勢をとるな」と言っているのだが、下を向く角度になると首根っこと頭のシンがズキズキするので、結局は「台本を顔の前に掲げる」という好ましからざる姿勢で……なんとか「作者本読み」をやり遂げたのだが。


***

●この春先からずっと新しい舞台脚本の企画を進めてきた。
 なじみの「新宿」という地に関わるモノである。だから「事故と怪我」は痛恨事であったが、へこたれていられない。

●自由業――原則的に「応諾・拒否」は自由裁量である。
 企業の諸君(会社員)のように「我慢」や「忍耐」を強いられなくても済む。その反面、当面の「仕事」は自分自身で獲得する。

●ふり返れば、放送作家業も、TVCFの制作・企画・コピーライティング作業も、さらに小説作家業も……どれもこれもが決してラクな内容ではなかった。

●このところ、マスコミというフィールドをずっと併走してきた仲間たちが、いつのまにか姿を消している。
 「訃報」も多い。けれど、いつの間にか消息を絶っていた……という仲間も少なくない。

●かえりみれば「本庄さん」は、どの業界でも「臆病」で「日和見」で、いつも「二番手三番手」の群れにまぎれ込んでいたように思う。
 というとカッコイイが、トップを切る自信も実力もなかったのかもネ。

●たとえば、テレビや映画の脚本やシナリオに取り組んできた同輩先輩たちの仕事ぶりの実際を見聞すると、その「苦労」や「苛酷」さにはひたすら尻込みするばかりだ。

●たとえば「映画館に、日本映画があった頃」(野沢尚著/キネマ旬報/1995年2月刊)彼の仕事ぶりはモーレツだった。
 主にテレビと映画のホンを書いてきたが、仕事への取り組み方は……むしろ壮烈と言っていい。
 その野沢尚(1960年5月7日〜2004年6月23日)は、仕事場で「自死」」している。

●そして、あらためて「シナリオ無頼/祭りは終わらない」(中島丈博著/中公新書2010年2月刊)を読む。感慨、新たにあって。

●2015年5月。例によってGWのカラ騒ぎは論外として――。
 このいきいきとした新しい芽吹きの季節に、あらためて「仕事」と「人生」の事をしみじみ考える――。




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ケイちゃんの目 ↓

初夏のゴージャスなお客さま

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— posted by 本庄慧一郎 at 05:00 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第418回(通算530回)


作家船戸与一さんのこと。
 
●船戸与一さん2015年4月22日逝去。享年71歳。

●ボクは青梅街道と環八が交差する角地のマンションを仕事場にしていた時期(1975〜85年)がある。

●従来の放送作家業にTVCF制作の作業(企画・コピー・作詞等)を同時進行していた時期に、四面道の仕事場をフル活用した。

●何のことはない、石神井の自宅の書斎に立ち戻る時間を惜しんでの手段だった。

●放送作家等の者はよく、喫茶店や放送局のスタッフデスクを借りて、原稿用紙のマス目を埋める作業をしていたが、小生はソレが出来なかった。(あの井上ひさしさんなどは、3時間〜4時間喫茶店で執筆していたなぁ)

●大手広告代理店やクライアントとの会議や打ち合わせは、ほとんど銀座――事務所へ立ち戻るとスグに、執筆作業のために「仕事場」にこもったのだ。

●そして、そのまま徹夜することも常態化していた。
 荻窪四面道の仕事場で作業が終了すると当たり前のように夜の街へ出た。

●小粋な居酒屋を見つけて、ホッとひと息つくのが習慣になった。
 「一汁一菜」という店(他、複数の店の経営をしている)のI・H氏となじみになった。

●居合術を得意とするI・H氏は押し出しのきく侠客肌の男で、彼の店には作家や俳優やテレビタレントや落語家たちがよく顔を見せていた。

●そのI・H氏と船戸与一さんは、彼の若い時からのとことん親しいつきあい――ということで、何度も酒席をともにした。

●船戸与一さんの作品は、ずしりとしたボリュームの作品ばかりだ。
 それでなくとも、当方としては酒の席で、仕事のことは一切口にしない。

●だいたい、巷の店にひとり出向く際は、自称「不動産業」と「婦人科の医師」を名乗っていたものでね。

●でも、船戸与一さんとの酒席では「物書き業」で通した。
 荻窪でのバーや、時には阿佐ヶ谷あたりにも出かけた。
 世間ばなし+αで深夜まで、I・H氏ともどもたっぷり酒を楽しんだ。

●実は、そのI・H氏から「どうやら、彼の肺の表面にガンがへばりついているようで……」と聞いたのは、だいぶ以前だった。

●東京新聞2015年4月22日付の文化欄に『船戸与一さん第18回ミステリー文学大賞』の記事と写真がのった。
 この写真を見るかぎり、病院から駆けつけたという車椅子の船戸さんの笑顔には、「小康を得た」というゆとりがうかがわれた。

●けれど、その後の新聞の訃報記事によれば、掲載日と同じ4月22日、「胸腺ガンのため死去」とあった。

●作家としてのダイナミズム――では、当方としては足許にも及ばない方だった。

●船戸さんも原作者として関わっていた「ゴルゴ13」では、主人公がギラン・バレー症候群では?というエピソードがあった。
 10年前、その疾病には小生もキリキリ舞いさせられた。

●そんなハナシもいずれ――などと思いながらの盟友との別れだった。
 船戸与一さんのご冥福をお祈りします。
 船戸さん、再見!


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ご近所づきあいのお地蔵さん

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— posted by 本庄慧一郎 at 03:41 pm  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
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平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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