あらめておのれの履歴をふり返ってみると、半世紀あまり一貫して日本語を素材にした仕事(ラジオ・テレビ・構成台本/舞台脚本/TVCMプロデユース・企画・COPY/時代小説・現代小説/五七五・評論集・エッセイ等)をしてきた。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
●執筆スタッフ 本庄慧一郎(望田市郎)/みさき けい/深実一露
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俳優穂積隆信さん、田中信夫さんを悼む。
(朝日新聞2018年10月21日朝刊より)
●穂積隆信さんとの出会い。
戦後、ラジオ局といえば、NHKの第1放送・第2放送しかなかった。いや、外国語(英語)のFENがあった。
1945(昭和20)年――大東亜戦争といわれた「国の暴走」は米軍の空襲激化で日本国全体が右往左往していた。
昭和20年4月13日の空襲で北区滝野川の自宅は全焼し、父親(母親は前年に病死)と弟とボクは、必死に激しい爆撃を逃れて――なんとか生き延びた。
「特攻隊志願」しか頭になかった軍国少年は同8月15日の「敗戦」で覚醒した。
亡母の兄弟たちが、B級といわれた「大都」という映画会社に監督、脚本家、カメラマン、監督助手としていて……その影響大で「もの書き業」でと熱望した。
その後、ひたすら(それなりの)勉強、修練に努めて……とにかく戦後の「民間放送時代」を迎えた。
1959(昭和34)年、日本放送作家教会が発足。
「キャリア――作品、執筆経験のある者」という資格審査をクリアして「会員」になった。
筆名本庄一郎とした。(本庄は現埼玉県本庄市――望田家の先祖は本庄市旧中山道沿いで手広く「マユの仲買商」を営んでいた)父親をよろこばせる筆名であった。
本庄一郎として初めて台本を担当した番組に関する穂積隆信さんの記事
(昭和34年5月18日の産經新聞より)
(昭和34年5月18日の産經新聞より)
穂積さんとのラジオ番組は、思い出ぶかいものだ。ニッポン放送の番組『マスコット坊や』。そして奥さんの女優北里深雪さんとも、TBSラジオの番組『お早う参ちゃんですよ』の企画、台本を書いて好評を得た。
民放のテレビ放送スタート時(1953年)は、NHK放送劇団の人たち以外に、いわゆるタレントと称する者はなく、放送作家本庄一郎としては、もっぱら新劇系の俳優を起用した。
演劇の基礎を身につけている人たちにせっせと声をかけた。
彼らも(生活費稼ぎに懸命で)マジメに責任を全うしてくれた。
民放ラジオ時代の「ラジオ」は、まじめで質も高かった。
「フリートーク」とやらが当然になって、やがてボクはそれまでの生活を支えてくれたラジオを捨てた。
その後、フジテレビ開局時の試験放送から脚本を書いたが、そのテレビの制作現場からもイヤ気がさして離脱した。
あの頃、おつきあいしていた俳優たちになじみが多い。
小沢昭一さんも逝ったし、テレビ、ラジオ、CM専業時代(1965年〜1990年頃)にご一緒した田中信夫さんなども、忘れ難い人だった。
「人生100年時代」とか――現在、著作物の新旧作品の電子書籍化に全力で取り組んでいる。
「もの書き業」の出発時にご一緒した人たちの訃報には、とりわけ心が痛む。合掌。
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イラスト:やっぱっぱだいすけ
ニコヤンの目↓
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街角の記憶(神田駅周辺)
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