あらめておのれの履歴をふり返ってみると、半世紀あまり一貫して日本語を素材にした仕事(ラジオ・テレビ・構成台本/舞台脚本/TVCMプロデユース・企画・COPY/時代小説・現代小説/五七五・評論集・エッセイ等)をしてきた。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
●執筆スタッフ 本庄慧一郎(望田市郎)/みさき けい/深実一露
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明日待子(あしたまつこ)さん大往生。
●日本で初めて「アイドル」と呼ばれた人だった。
昭和6(1931)年に開場した劇場「ムーランルージュ新宿座」の美少女がファンの話題になった。
ぼくは(学齢前)だが、その彼女のステージ(ダンスにそして芝居に)を見ている。正に「美少女」の3文字がピッタリの「明日待子」だった。
「アイドル」という言葉が、日本で始めて使われたと芸能史にある。
それにつけても その明日待子さんとは、その後も、いいおつきあいをさせて頂いた。
(東京新聞2019年7月22日 朝刊より)
(朝日新聞2019年7月24日 朝刊より)
●ムーランルージュという劇場に「マセガキ」が夢中になったワケ。
このムーランルージュには、ぼくの叔父で物書き業の師匠だった小沢不二夫(1912年〜1966年)が劇作家として所属していたのだ。
この叔父(母親の弟)は、ムーランの前には豊島区西巣鴨の大都映画でシナリオを書いていて……ずっとぼくは慕っていた。
それにつけても 大都映画撮影所も、ムーランの楽屋も……甘やかな刺激で「マセガキ」を舞い上がらせたのダ。
●放送作家に飽いて、小説に手をそめた第1作目。
放送の仕事(ラジオ・テレビ)のものの満足できず、小説に挑戦した。
1992年 影書房刊
ムーランルージュをモデルにしたいわゆる「バックステージ物語」で、さいわい「出版業界の功績者」とたたえられる故松本昌次氏(影書房)が、即出版してくれた。しかも、劇団ピープルシアターの森井睦氏が「舞台化したい」といってすぐ具体化したのだ。
それにつけても 人生はともかく、仕事の面ではツイていたなぁ。
以後の「物書き業一筋」はここから本格スタートしたのでアル。
●そういったいきさつもあって明日待子さんとは親しいやりとりをした。
明日待子さんと本庄(2011年6月撮影)
とにかく1960年以前から、とにもかくにも「書き続けている」ぼくだが、いわゆるテレビマスコミ関係のゲーノー人との交際はない。
とりわけ「テレビで有名になったゲーノー人は避ける」がモットーだ。
それにつけても 昭和20(1945)年「爆死か餓死か」というピンチを生きのびて「物書き業一筋」に暮らしてきて――明日待子さんとの出会いは忘れられない。
「日本で初めてのアイドル」といわれた明日さん。ここで心からの拍手を送ります。
アチラにいったら、また仲良くしましょうね!
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