現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
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●ひたすら「モノ書き(作家)」になりたかった。
1945年8月15日。あの愚かしく忌まわしい戦争は「惨敗」の終結をした。 それまで「特攻隊」として、敵艦に体当たりして死ぬことを当然――として教育されていたガキは、本来の志望である「モノ書き」で生きることを取り戻した。
しかし、東京で爆撃の洗礼を受けた。子どもは学校や勉強などにも程遠い生活を強いられていた。だからこそ、本来の志望に必死でこだわった。
そして、それまで放送局はNHKしかなかったが、民放ラジオが登場(1950年〜)し、なんとかエントリーすることにムキになって挑戦した。
懸賞募集などというものには無関心だったが、挑戦してみた。「佳作入選」(入賞作ナシ)になって、思いを果たしたことは、忘れられない。
なんとか「放送作家」にはなれた。
しかし、ラジオ・テレビを仕事としてきて、やがて気持ちは定まらず、広告業界(TVCM制作)に挑戦した。
広告・TVCMは、広告主や代理店(電通・博報堂等)とのビジネスも重要だ。でも、企画・制作・プロデュース・コピー・CMソング作詞・制作と……よく働いた。
でも、小説などの「自己完結型」の仕事がしたくて転身。文庫書き下ろし時代小説をン十冊と書いた。その折々に念願の舞台脚本も書いて、上演(劇団テアトルエコー等)のチャンスにも恵まれた。
●小説作家をめざした頃の先達たち――。
放送作家、コピーライター当時の周辺には、永六輔、阿久悠、青島幸男、井上ひさし、野坂昭如(順不同)の諸氏が活躍していた。
ある事情があって、小説は「時代物」にせざるを得なくなった。
「3ーS」とよんで尊敬していた山本周五郎/藤沢周平/池波正太郎作品は、腰をすえてしっかり読破した。
身近に「売れっこ作家たち」がいた。笹沢左保/峰隆一郎/南里征典/早乙女貢/勝目梓――その「売れっこ」と称された諸氏とはじっこんだった。
でも、皆さんはすでに鬼籍に入られた。
「戦争」という「狂気の洗礼」をくぐりぬけて生きのびて、容赦のない「コロナ・パニック」である。
本庄慧一郎(望田市郎/本庄一郎)
作品コレクションシリーズ
「あしたが見えてくる」
作詞:望田市郎 作曲:クニ河内
「あしたが見えてくる」
やさしさをさがしていたら
かなしみにめぐりあう
ぬくもりをなくしたときに
ほほえみに出会った
この街はなんていい顔してるのだろう
うれしいよ 君もそんなに気にいってくれて
ルルル 街は今日もまぶしいステージ
あしたが見えてくる ドラマが生まれる
ためらいはほぐれて
Um〜 あなたのまなざし
とまどいもとけあい
Um〜 あなたといるとき
好きなうたうたっていれば
どこまでも行けるんだ
ふりかえる光の中で
時はただうつくしい
この街はなんていい顔してるのだろう
うれしいよ 君もそんなに気に入ってくれて
ルルル……
ラララ……
あの頃の三軒茶屋
各書店の余美太伊堂文庫のページへとびます。

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