「社会&芸能・つれづれ愚差」第12回(通算122回)

とっても、とってもうれしいです!   本庄慧一郎
自主制作CD「鳥になれたらいいね/平和を願う歌・あなたに語りかける組曲」は新聞等のご理解・ご好意のパブリシティや、全国の心を同じくする市民の皆さんへのインターネットを通じて、共感とご支持の輪が広がっております。
親しい友人知人の皆さんから、そして一面識もなかった方々とのうれしい交流のなかで、さまざまなご感想をお寄せいただいています。
ご本人のご承諾を得た方々の文章を(要約させていただいて)ここにご紹介いたします。
今後もぜひ、より多くの方々にお聴きいただきたく、ここにあらためてこのCDをご愛顧を下さいますようお願い申しあげる次第です。



「鳥になれたらいいね」のCDを聞かせていただきました。
私は、終戦、間もなくの昭和23年の生まれです。
戦時中は父親の弟も遺書を残し、戦死をしています。
終戦後、子供のとき、家には私の両親、祖母、父親の兄弟姉妹も一緒にすんでいましたので、戦時中の悲惨な話もよく聞かされていました。
それにしても、現在もいくつかの国々であいかわらず悲惨な戦いを繰り返しています。無力な一般の人々、子供達を犠牲にして、いったい何のために……。
「鳥になれたらいいね」のCDを聞いていると、太平洋戦争と、今世界のあちこちでおきている戦争の悲惨な光景が頭に浮かんできて、目頭が熱くなってきました。
「鳥になれたらいいね」の音楽を素材に何か番組が出来たらといま、しきりと思っています。きっと、いいものが出来ます。
2007.6.11(オーディオ・ディレクター武田勝美)



「東京新聞を読んでいて良かった」「先生の記事を眼にして良かった」「すぐにお電話をして良かった」。そして先生とお電話でお話をさせて戴いたことは、とても好運でした。先生との出会いを大切にしたいと思います。
「鳥になれたらいいね」、毎日聴かせて戴いております。どの曲も自然に耳に入り、心に染みます。
私は昭和十九年の生まれで直接には戦争の体験がありませんが、特に「散華」には涙しました。 「名もない花」の石川麻子さんの声はきれいですね。
最後に一緒に歌われているのは先生のお声でしょうか。
すべての曲からご家族の皆様の温かさが伝わってまいります。
友人孫達にも聴かせたいと思います。
2007.6.12(主婦・井戸妙子)



CD、しみじみ聴かせてもらっています。
特に石川さんがうたわれている曲に愛着を感じずにはいられません。
いつも笑顔でお仕事をされている姿が同時に浮かび、このレコーディングのために、涙ぐましい努力をされたお話も重なり、本当にステキだと思います。
自分も優しい人になりたいと思いました。
2007.6.13(タウン誌編集者・伊熊康江)



「散華」が大変印象に残っています。
この言葉は戦争末期の特攻隊で使われていた言葉であり、ちょっとひっかかるのですが、歌の完成度が素晴らしいのと、望田さんの思いがビカビカと伝わって来ることが何よりでした。枝璃貴子さんの見事な歌唱力も感服。
「届いていますか この歌の願い」「聞こえていますか、この言葉すべて」望田さん、聞こえていますとも、届いていますとも、あふれるばかりに。
「だれがどうして」やさしくて、きびしい歌でした。
木山みづほさんの表現がとても心に沁みました。
歌曲としてもすばらしいと思い、くり返しきいています。
2007.6.13(練馬区の住民・森川澄子)

— posted by 本庄慧一郎 at 12:56 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第11回(通算121回)

自主制作CD「平和を願う歌/鳥になれたらいいね」
上記CD制作については2005年12月28日と2007年6月5日の東京新聞が下記のような記事で紹介して下さいました。
どうぞごらんください。本庄慧一郎(本名 望田市郎)

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(記事本文)
ルビー婚 ささぐ 平和の歌
 時代小説家 夫婦で自作
 難病乗り越え「来夏披露を」
「来年は戦後六十年。僕らの結婚も四十年。記念に何かやりたいね」
 昨年夏、時代小説家・本庄慧一郎として知られる望田(もちだ)市郎さん(七三)=東京都練馬区=は長年連れ添う妻寿子さん(六四)に翌年に控えた「ルビー婚」の相談を持ちかけた。
 マージャンもゴルフもやらない。世界一周旅行に行くのも悪くはないが、形になるものがいい。そうだ、歌を作ろう――。
 こうして夫婦二人の「平和の歌づくり」は始まった。
 望田さんは元放送作家でコピーライターとしても活躍。テレビ番組「ママと遊ぼう!ピンポンパン」やコマーシャル「ぼく、タコの赤ちゃん」のコピーなど、数多くの作品を残している。
 その腕前を生かし、戦争をテーマにした五つの歌を作詞。テレビドラマ「大奥」の音楽担当石田勝範さんや「青春時代」が大ヒットした「トップギャラン」のドラムス北村勝彦さんらが、手弁当で曲をつけてくれた。
 最初の曲は「散華(さんげ)――孤独な遺骨たちへの挽歌(ばんか)」。戦争に駆り出され、北の大地や南の海に散った兵士たち。今も還(かえ)らない彼らの遺骨に思いを寄せ、シンガー・ソングライター枝璃(えり)貴子さんが静かに熱く歌う。
 「散華、散華」の六度の繰り返しが印象的で「自分の歌なのに、聴いたとき泣いてしまいました」と望田さんは振り返る。
 五曲目の「だれがどうして?」では、イラクの子供たちを歌う。
〈朝をこわしたのは だれ?/夢をこわしたのは だれ?〉
 それは高等小学校一年(今の中学一年)になったばかりの昭和二十(一九四五)年四月、米軍機による空襲で東京・滝野川の自宅を失い、幼い弟をおぶって逃げまどった自らの姿と重なる。
 今年七月、望田さんは全身の力が抜ける「フィッシャー症候群」という病にかかった。十万人に一人という難病だが、多くの人に歌を聴いてもらうことを励みにリハビリを続け、回復した。
 闘病のため、戦後六十年の節目にアルバムを完成させることはできなかったが、夫妻は「来年の夏には披露したい」と語り合う。夢は、これらの歌をささやかながら平和な世の中をつくるために役立てることだ。
 「戦争で犠牲になった人たちの死を無駄にしてはいけない。演劇も映画も音楽も、平和でないと成り立たないんです」(加古陽治)


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CD「平和を願う歌/鳥になれたらいいね」を聴いて下さった方々の感想です。(要約させていただきました)

本庄慧一郎(望田市郎)様



さっそく聴かせて頂きました。どれもいいですネ。とくに「惜別の歌」は涙が出ました。というのも先輩が「今、後悔しているのは母に内緒で志願したこと」といったことと重ね合わさったからです。
1,500円でいいのかな、聴いた後では、何だか安すぎると思ってしまいます。
2007.5.9(放送作家・奥薗守)



CD「鳥になれたらいいね」部屋の中でいつも聴いています。もう50回以上は聴いています。
どの曲も個性的で、繊細で愛に満ちていますが、特に私は「星への願い」と「夢にはぐれず歌をわすれず」が大好きです。園田さんのアレンジも良いのだと思いますが、作曲のもちだじろうさんのハートウォーミングさが心にしみます。「夢にはぐれず歌をわすれず」のほうは、中村八大さんの曲のようで、名曲だと思います。多くの人に聴いてもらいたいです。
また「名もない花」の最後で望田さんの声が入るのはとても印象的です。
2007.5.24(家庭教師・府川雅明)



CDの封を切り、プレーヤーのトレイに置き、1曲目が流れて来たのを聴きながら、本当に手作りのCDなんだなと思いました。お嬢さんも歌い、弟のじろうさんも作曲し、お弟子の木山さんも作曲と歌で参加している。本庄さんを中心に本庄ファミリーの少人数の人たちの手で作られた、本来そうあるべき自主制作盤の姿だと思いました。7曲に共通してある本庄さんの平和に対する真摯な願いは、憲法改正(悪)が叫ばれている現在こそ、多くの人たちに訴え続けていかなければならないことだと思えます。
このような内容の歌を集めたCDを、ご自分たちのルビー婚の記念に自主制作されたご夫妻に、心から敬意を表します。
ここに収められている7曲の中で、私はその完成度から「散華」を取らせてもらいます。本庄さんの詞では、「鳥になれたらいいね」と「惜別の歌」も好きです。
2007.6.7(元ラジオ局音楽ディレクター・岡本安正)

— posted by 本庄慧一郎 at 02:39 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第10回(通算120回)

民間テレビ局を閉鎖する権力
 カリブ海に面するベネズエラで、一貫して政府批判の論調を展開してきた民間テレビ放送局が、チャベス大統領から閉鎖を命じられた。
 首都カラカスで視聴できる主要局は、国営2、民放4だとか。
 民放のRCTVが展開する政府・チャベス大統領批判を封じるため、免許更新を認めないということだ。
 この〔言論封殺〕という暴挙に関する世論は、「国民の70パーセントが反対している」とある。
 さて、日本のテレビ界はどうか?
 いわゆる「あるあるデータねつ造事件」に端を発して、テレビメディアの実態と質があらためて晒け出されているが、表面化した問題以外にも腐蝕部分はワンサとありそうだ。
 聴視料負担(!)を義務化しようと画策するNHKに対しては言いたいことは山ほどあるが、「タダのテレビ」の民放の低劣さにもうんざりする。
 いや、それでも一部報道番組の政治批判の姿勢には共感もし、拍手もおくることもあるが同じ局の他の番組(エンターテインメント番組など)のあまりの愚かしさを見せつけられる時、結局はソッポを向くことになる。
 日本の政府及びその主体たる党は、しきりにテレビにおける批判を嫌っている。
 昨今の「あるある事件」は、彼らに「愚劣なテレビ番組及び局は不要だ」と言わせる文句なしの口実になる。
 放送法改正に端を発する権力者たちの〔もうひとつの目的〕は言わずもがなだろう。

視聴率最優先主義という自家中毒&自縄自縛
 残念ながら――と言わざるを得ない。
 つまり、本庄慧一郎なる物書きは、当初、演劇(劇作)をめざしながら、生活のために民放のラジオ・テレビを仕事の場としていた。
 テレビ局の本放送前の試験電波用の台本も書いていた。
 その前は、先行した民放ラジオ局でホンを書いている。
 しかし、昭和40(1965)年頃から、テレビコマーシャル及び広告産業が抬頭する。
 いかなる業種業界も、初期はすべからく真摯でまじめだ。
 それから40年余――現在の電波メディアの、その番組とTVコマーシャル(ごく一部を除いて)のなんとも低劣なこと!
 視聴率最優先主義という悪醜(あくしゅう)と悪臭の穴ぼこでのカンカン踊りはただ哀しい。
 そういえば、室生犀星(さいせい)でしたっけ? あのことば。
 「ふるさとは遠きにありて思うもの。
 そして悲しくうた(ふ)もの」
 それにしても、〔自縄自縛〕のカンカン踊りという愚かしくひたすらコッケイな踊りに狂う人って多いですねぇ。そう、政治界を筆頭にさまざまなギョーカイにいるねぇ、いっぱい!



P・S
 当代・林家正蔵、さらに当代・中村勘三郎。
 お二人はいわゆる〔江戸芸〕の中核にいるお方たちだ。
 洒脱と、粋と、いなせの江戸気質である。
 そのお二人が国税局の査察を受けた。
 内容は脱税容疑である。

 ぼくは落語はもちろん、歌舞伎に親しんできた。
 しかし、〔仕事の故郷〕と思ってきたテレビやCMのギョーカイをいま嫌悪している。せめて、日本の伝統を引き継ぐ芸は毅然としていてほしいと思う。
 林家正蔵、中村勘三郎というお二人の弁明を聞いていると常識では考えられない「金銭感覚マヒ」を感じる。

 さまざまな金銭に関する疑惑を引きずったまま自殺した現職大臣もまた「金銭感覚マヒ」の自家中毒患者だった――。

「金はよい召使いだが、時に悪質な主人となる」イギリスの文学者・哲学者フランシス・ベーコン。

 あの現職大臣の末路をも思い出さざるを得ません。

— posted by 本庄慧一郎 at 01:40 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第9回(通算119回)

汚職・犯罪国ニッポン
 安倍ソーリ大臣とやらが、いくら「美しい国」といったカラお題目をくり返そうが、いまの日本は国の命運を決定づける政治家本人の資質も、そこに群がる官僚や役人、それにへばりつく穢いヒルのようなOBどもの跳りょうで「醜い国」でしかない。
 たとえば5月25日(金)の新聞3紙を広げる。
 農林省水産局所管の独立行政法人「緑資源機構」の官製談合事件――またかまたか。まだやってるか。くそ役人・OBどもよ! ととことんうんざりする。
 権力亡者、金権亡者ばかりがウロチョロする現世である。
 ほんらい〔亡者〕とは、死人のことである。
 まともに成仏できない死者のタマシイが冥土への途中で(たぶん三途の川の手前あたりで)迷っている状態のことだ。
 そんな怪しげな連中が公金・税金にワサワサとたかっているのである。
 今回の汚職談合事件の最高責任者たる男(ナントカ還元水の大臣!)とどういういきさつがあるのか、安倍ソーリとやらの庇護をうけて、人間らしい感情をまったく喪失した干物の魚のような面で生きのびている。こんな人間どもを、だれが選んだのかね?

ワルを裏で始末する時代小説を書いている

「越後屋、おぬしもなかなかの悪党よのう」
「ひひひ、お代官様ほどでもありませんよ」
「ぐははは、それを言うな」
(二人とも傍若無人に呵呵大笑する)

 これはテレビ時代劇のワンパターン・シーンだ。
 しかし、2007年の現在も、その表向きの風景や体裁は異なるもののその下司でハレンチな内容は少しも変わらない。
 文庫書き下ろしという時代小説を書き始めてそろそろ10年になる。
 親しい編集者たちから「毎月一冊というペースで書けばベストセラー作家になれますよ」というウレシイ提言・助言がある。
 もともと、ピカレスク時代小説のベストセラー作家、故峰隆一郎氏に「あんた、いけるよ。おれみたいなワルを主人公にした小説どんどん書きなよ」とゲキレイされて、このフィールドに踏み込んだ。
 そんな峰さんから直接の電話をもらったのは、徳間書店の「問題小説」に短篇「狐火と生っ首」というのをのせてもらった平成8(1996)年6月号が出たすぐの時だった。
 1ヶ月に1冊というペースは諸般の事情で実現できない。というのも、どうしても自分が生きた「昭和」という時代にも大いに関心があって、そっちへ気がいってしまうからである。(昨年2006年、テアトル・エコー公演「大都映画撮影所物語」は好評をもらい、その路線で某(大)劇団に新たに脚本を書くことになるかも知れない――という文句なしにうれしい昨今である)
 でも、毎日、江戸時代中期〜後期の資料と首っぴきで原稿を書くというスケジュールに変わりはない。
 それで――2007年と江戸時代のアホ権力者とワル役人の跳りょうという共通項はまるで変わっていないということに、つい大きな大きなタメ息をつくのである。
 アシスタントであるワイフは「大きな大きなタメ息も深呼吸の一種といえないこともないでしょ。だったらからだにいいんじゃない?」とのたまう。

悪党退治のハナシをせっせと書くぞ
 最近、ある雑誌のインタビューをうけた。
 チャーミングな女性記者E・Mさんは、ぼくの話をこうまとめてくれた。
「ぼくの作品に登場する主人公は、きまって武家社会で理不尽な目にあって江戸に逃れたアウトサイダー。酒も女もそのときまかせの表向きは独り者の遊び人。裏ではこの世の邪悪に立ち向かう闇の始末人が生業。
 一家離散の目に合い、悲しみを知っている――を江戸の町を舞台に愛刀を振るう一本筋の通った男を本庄流に描いています」
 こうカッコよくまとめてくれている。

犯罪者とはこころの居場所を見失った者のことだ
 このH・Pで「居場所難民」のことを書いた。
 「若年ホームレス」とか「インターネットカフェ難民」の話題も気になる。
 しかし、地位も財産も十分にありながら、なおかつみすみすあざとい欲のために「前科者」への道を転げ落ちてゆく男たちにはやはり哀れな人間の業を思わずにはいられない。
 彼らは豪邸にも別荘も(また世間にはひた隠している妾宅も)あるんだろう。
 でも、一人の人間として、一人の男としてあっけらかんと素直に振る舞える真の〔解放区〕を手に入れることがなかったのだと思う。
 仮面をつけて、その上に厚塗り化粧をして、それで心にもない嘘を口走って……あんた、それで、どこにいくの? ですよねぇ。

 「こころの居場所を失った者が、すべて犯罪者に墜ちる」とは言わないが、しかし「犯罪者たる者はすべからく、こころの居場所を失った者である」とあえ申しあげたい。

— posted by 本庄慧一郎 at 12:13 pm  

「社会&芸能・つれづれ愚差」第8回(通算118回)

本庄慧一郎のメモ帳から

「人間の命は地球よりも重い。という言葉はいまの日本では、紙くずのように軽んじられている」(本庄慧一郎)

「戦争では、強者が弱者というドレイをつくる。
 平和時では、富者が貧者というドレイをつくる」ワイルド(イギリスの詩人・作家)

「戦争をやって、いがみ合っている国のリーダーをみんなリングの上に引っ張り上げるのだ。そうしてトランクス1枚の裸で、徹底的に戦わせるという具合にいかないもんかね」チャップリン(イギリスの俳優)

「平和――二つの戦争の間に介在する、だまし合いの時期」アンブローズ・ピアス(アメリカのジャーナリスト)

「戦争は獣のためにこそあれ、人間のためにはない」エラムス(オランダの文学者)

「戦争はすべて我利我欲のためにこそあれ、平和のためなどは絶対にあり得ない」(本庄慧一郎)

「われわれは善良な農民を欲している。それは軍隊の力をつくるものである」ナポレオン(フランスの皇帝)

「われわれは無知なる選挙民を欲している。戦争という大がかりな商売とアソビを楽しむために」(本庄慧一郎)

「全民衆をゆりかごから墓場までドレイにするハレンチな兵役法」ローラン(フランスの作家)

「銃器での大量殺人を正当化する好戦論者たち!」(本庄慧一郎)

「銃が暴走する社会。武力・武器・核兵器が暴走する世界。
 真の平和をみずから遠ざける浅はかなエゴ人間集団」(本庄慧一郎)

— posted by 本庄慧一郎 at 11:29 am  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
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平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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