「ニッポンの芸能人」シリーズ23
2005/3/21
地球は怒っている
自然災害(地震・豪雨・山林火災等)が連続している。「災害は忘れた頃にやってくる」という先人の警句はもう通用しない。
その苛酷な記憶が遠のく間などなく次の災害が襲っているのだ。
すでに南海・東南海地震など大規模の地震の予想が出されていて、強い関心と話題を集めていたが、今回の福岡・佐賀地方の地震はまったくのノーマークだったとか。
地球温暖化問題に端を発する気象異常、自然環境異変はエスカレートするばかりだが、「世界の指導者」を自称するアメリカなどの姿勢や行為は、時代の趨勢に離反し、逆行している。
たとえば、ブッシュなる者の私利私欲、おのれの利権にかかわる詐術(イラク問題等)はアメリカの良心ある者たちの告発で明白だが、その大きな誤謬は是正されることはない。しかも日本は危険な蛇行を続けるアメリカにひたすら無批判にシッポを振りながら追従するばかりだ。
人生イロイロ・世界もイロイロ?
小泉ソ−リ大臣は、あいかわらず「巧言令色」の厚顔鉄皮で押し通している。
器官としての耳膜や頭脳はもっていても、国民の声や言葉を理解しようとする常識人としての機能はもっていない人である。
歌謡曲の歌詞のモジリを得意げに政治の場で口にしてうそぶくが、現在、政治・社会の経済などのフィールドに顕在化し、さらに劣悪化している現象は、「人生イロイロ」などという無自覚・無責任な「お宅っぽい」自閉感覚には届かないのだ。
毎日、早朝4時起床、新聞3紙を精読する。
そのあと書斎に入って、時代小説の原稿を1日15枚のノルマ達成に努めるのだが、世界や日本の情勢へのイライラは、時代小説という表現方法ではカバーしきれないという不満が残る。
「君が代」を大きな声で歌え?
小学校の頃、空襲警報のサイレンに怯え、B29の爆撃に逃げ惑い、教師の皮のスリッパや鉄拳に脅迫されながら「君が代」を大きな声で歌えと命令された。
軍人などの訓示や演説の最中、栄養失調で体力のない児童がバタバタと転倒した。
それから60年。いままた「独立自衛のために」という狷介にしていかがわしいエセ愛国者らの旗振りで、貴重な平和の根がくつがえされようとしている。
すでに、「おらが国がよければそれでエエ」という時代はとうに過去のものだ。
たとえば「民族・宗教紛争/世界を揺るがす57の地域紛争」(島崎晋著)を読むまでもなく、世界や地球という規模と視野で考え、そして平和への行動を起こさないかぎり、日本というちっぽけな穴ぼこの安穏などあり得ない。
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし――」
寺山修司の短歌である。
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし」のあと七七には「身捨つるほどの祖国はありや」である。
社会保険庁の公金浪費の醜態。警察機構内の裏金作りの狂態。それに政治献金などにまつわる犯罪行為の隠ぺい。さらにチカン行為や女性スキャンダルを引きずる国会議員、もしくはそれが原因で落選しながらもいまだに未練たらしく右往左往するヤカラたち――。
日の丸をどうしろ、「君が代」を大きな声で歌えのと言えるガラかね。
たしかに、地球も怒っている。そして、心ある日本人も怒っている……といいたいが、「人生イロイロ」とほざいてシレッとしているソーリでは、これ馬の耳に念仏。現在のニッポン「身捨つるほどの祖国はありや」だね。
●かい間、見せつけられるテレビの――。
ニュース番組を見る目に、民放の番組やCMがとびこんでくる。出演者たちの悪ふざけと、まるで現実離れしたアホなCM群。
公共性などとNHKの連中が口にするソラゾラしさ。そして、ニッポン放送・フジテレビ・加えてホリエナントカが口にする公共性……まったく、どうしようもないニッポン!
— posted by 本庄慧一郎 at 11:05 am
「ニッポンの芸能人」シリーズ22
2005/3/14
なにを言っているのかね?
強制ワイセツという行為で現行犯逮捕された中西一善とかいう男の釈明会見(?)とやらをテレビで見た。
そのツラは、ひたすら醜くゆがんでいて、あたかも殺人犯のように映っていた。
その会見のしめくくりの言葉は「もう一生酒は飲まない。飲みたくもない」であった。
トンチンカンである。今回の「国会議員としての」という前提条件をはずしても、一切を酒のせいにしたこの言いぐさは、見当はずれもいいとこだ。酒以前に人間としての思考回路が狂っているのである。
つまり、人間としての「自己」とか「自主」というものが完全に欠落している。
世の中に酒好きはワンサといる。
もちろん、酒ぐせの悪い奴は世の中にワンサといる。
でも「良識ある酒好き」が大部分である。
酒好きがすべて、痴漢行為や幼児や婦女暴行をやらかすわけではない。
まったく酒の苦手な者もわけへだてなく(?)警察に逮捕されるようなことをやっているのだ。
この中西という男には、おのれがしでかしたハレンチ行為の事実認識能力もないのだ。
こいつが新進の国会議員?
お酒さえやめれば、まっとうな人間になれると本気で考えているらしいことに、ただ呆然とする。
石原慎太郎というヒトの言いぐさ。
この小西という男の事件についての石原サンの言葉は「お酒の飲み方、知らねぇんだよな」もヘンだ。
心の根っこの腐った者が酒を飲めば、その隠された悪しき部分は拡大される。
お酒に対するマナーや飲み方は無関係でしょうが、まったく!
だいたいこの石原サン、某女性週刊誌上で(東大大学院教授松井孝典氏の発言としながらも)「文明がもたらしたもっともあしき有害なものババアなんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪……」とほざいて、131名の女性たちに訴えられた。
東京地裁の判決では、1400万円の慰謝料支払いは退けられたものの、発言そのものは「憲法の理念に相違する」となったとか。
この石原サンの女性蔑視思想は以前から周知のことだが、こんな人間を都知事に選んだのも「圧倒的多数の女性たち」だったのだ。
群れをなして走り廻る女性たち。
小泉ソーリ大臣に「純チャーン!」と狂気した女性群がいた。そのうち若い演歌歌手を追いかけて「キヨシ! キヨシ!」とはしゃいでいるオバサンたちがやたら目立った。
さらに「ヨン様ァ!」と群れをなして叫ぶ女性群がバッコする。
このところもっぱら「マツケンサンバ」で悪のりしている女性群――。
石原サンみたいなことを言うつもりはないが、社会の表層をその日その日の風に吹き流されて右往左往する女性たちの集団行動は、ただ醜悪であることにちがいはない。
女性に対するD・Vとか暴行事件の続発
バブル崩壊後10余年――すべてが過去のように思われるが、あの「毒素」は潜伏し、生き長らえていると言い続けてきた。
ニッポン放送・フジテレビ対、ライブドアの問題にも、その「毒」が介在していると考える。
そして、次つぎと続発する殺人事件の犯人たちの精神にも、その「毒」が浸透していると思わざるを得ない。
まったくいいトシをして浮かれ騒いでいる女性たちの心の根っこにも同質の「毒」がある断言するね。
人間としての「自己」とか「自主」を喪った者ばかりが右往左往する社会は、否も応もなく危険なのだ。
なんてコトを書いていたら、また今日(3月13日)の新聞に長崎県世知原町長と、もう一つ、和歌山県御坊市の中学校の先生の強制ワイセツ行為が報じられていた。
まあ、どうしようもないオバサンたちもいるけど、オジサンの中にもとんでもないのがいますねぇ。
◎追伸。
あえて蛇足を一言。
相手の「合意」を得ていない性的行為はすべて犯罪なのですよ。世のスケベおじさ んよ。まったく情けないジジイも多いなあ。
— posted by 本庄慧一郎 at 11:04 am
「ニッポンの芸能人」シリーズ21
2005/3/7
「カリスマ」という言葉。
堤義明なる人物の栄光(らしきこと)と挫折について、例によってマスコミは飢えたハイエナのように食らいついている。
そのマスコミの一端を占有してきたニッポン放送・フジテレビもまた同業他者に食らいつかれて右往左往している。
そして、31歳でもうギラギラと脂ぎった面をした男が現代のヒーロー風にマスコミ界を闊歩する――。
そうでなくても、現今の政治・社会、やたら苛立たしい事象ばかりだが、どの人物も例外なく不快感を増幅する輩ばかりだ。
ところで、このところマスコミがみだりに乱用する言葉に「カリスマ」がある。
この言葉はドイツ語で「奇跡や予言など超人的なことを行う天賦の能力。超人的な能力や資質によって、大衆の感情を操ることができる統率力」(imidas)とある。
この「カリスマ」、最近では、町の美容師や日本料理の板前や、ときにはラーメン屋のオジサンにもくっついていたから、どうせろくでもないものと思っていた。
堤ナニガシ氏はあからさまにそれを証明してくれた。(そう、いまさらのようにね)
かつて、あの狂気の総統ヒットラーは「カリスマ」と称されたが、彼の思惑と行動のもたらしたものは、大量殺戮と目をおおう荒廃だけだった。
そういえば、堤氏に限らずカリスマ経営者ともてはやされた者たちは次つぎと失墜していった。この種の「ニセ・カリスマ」はワンサといてそれこそ、〔枚挙にいとまがない〕。
高く上ったものほど落ちやすい。
上記の言葉は古代ローマの哲学者セネカがいった。
事業家としての堤氏の来し方とその転末についてそっくり当てはまる言葉のように思えるが、どうかな?
というのは、彼は果たして「高く上がった」とはとても思えないからだ。
父親康次郎氏の作ったクローン人間、といわれている事業家としての「質」もあるが、それだけではない。
彼は「私利私欲」という醜悪な地べたをただひたすら這い廻っていただけなのだから。
「家訓」とか「遺訓」といった呪縛は、自我や自主を培うことをしなかった哀れな若者をたんなる「守銭奴」に追いやっただけだ。
その当初から、きわめて明確に見極められたはずの経営者としての、また人間としての過誤や錯誤や、また確信犯的な欺瞞や詐術などを放置してきた側近連中の無責任さや無能さともども、なんともヒドイね、としか申し上げられません。
もっと日本語を活用してみたら?
堤氏のような人間は「カリスマ」ではないのです。たとえば、ハダカの王様とか、お山の大将(おれ一人)とか、バカ殿様とかね。それに「ドン・キホーテ」とかもあるでしょうが。
そうです。ぼくはこのところ時代小説を書いているが、彼の日常生活の一部始終を知ると、まさしくバカ殿様以外のなにものでもないようだ。
徳川綱吉などという五代将軍の思惑や行動には、たんなる異常者としかいえないものが沢山ある。歴史の資料のあれこれを突き合わせてみても、綱吉と同質の「思い上り将軍」はずいぶんいたようだ。
徳川家の創始者家康はこういっている。
「及ばざるは過ぎたるより優れり」とね。
しかし、金と権力を手にして者は、結局はオーバーランするのだ。人間ってしょせんは浅ましく哀しい動物なのでしょう。
孟子というオジサンは「力を似って人心を収斂した者を覇者という」などと口走っているが、でもぼくとしては「独裁はつねに単なるアリアであって、けっしてオペラそのものではない」(ルードヴィヒ――独・作家)にうなずく。
それにしても、いまのゲーノー・マスコミ界には堤のオジサンをグーンと小粒にしたような、セコイのがいっぱいウロウロしてますよ!
そういえば、アメリカに刑務所に服役した「カリスマ主婦」というのがいました!
— posted by 本庄慧一郎 at 11:02 am
「ニッポンの芸能人」シリーズ20
2005/2/28
劇場型犯罪とスキャンダル
前にも書いたが、いま話題のニッポン放送では昭和29(1954)年の開局時代から構成台本を書いていた。またフジテレビでは、開局準備の試験放送用の脚本も書いていた。
ぼくは、とうに放送ギョーカイには愛想をつかした人間だから、こんどの〔三文オペラ〕にはさしたる思いはないのだか、でも現在のブラウン管のバラェティ番組とやらよりも、株をめぐるドタバタぶりが数等オモシロイことは事実だ。
フジの日枝会長とライブドアの堀江ナントカ君のやりとりも、近頃ハヤリの〔劇場型〕パフォーマンス……というか、大向こうの俗受けねらいのパフォーマンスで、やたらあざといタンカラ芝居(クサイ演技のイナカ芝居のこと)みたいで楽しめる。
それともうひとつ、フジの村上社長の今回の件に関する民放各局の報道姿勢についての発言だが「あまりにおちゃらけていて「え〜ッ」と思う例が頻発していた」なんてことを言っている。自分の局で作っている番組はどうなのか? よく羞恥心なしで言えるものだ。これは「目クソ、鼻クソを笑う」でアル。
公共放送とやらのトップの阿呆ぶりはNHKで実証済みだが、同族同病があちこちにいるという証しである。
詐偽はすべて劇場型だ
巷間大流行の「オレオレ詐偽」もその延長線にある「振り込め詐偽」もリッパな劇場型犯罪である。
昔ふうの「結婚詐偽」なんて、相手から金品や貞操(男性もふくめて?――アニータという迷演技者もいた)をチャッカリ奪うまでは完ぺきな演技が不可欠である。
いや、詐偽行為の100パーセントが、演劇的要素で構成されており、主要人物の表現技術の質が重要になるのである。
交通事故や医療事故をテーマに、電話を使って演じられるタンカラ芝居も、とりあえずの構成台本があり、配役がある。
まず電話で親族に泣き込む主役。そして関係者としての被害者役。警官役、また弁護士役などが登場して、とにかく現金を振り込ませるための演技――お芝居を演じる。
このパフォーマンスは、おちゃらけテレビのふやけたドラマよりリアリティがあるということだ。
裏の隠蔽作業が表舞台に登場する時代
金にまつわる政治家たちの陰険な舞台裏のイナカ芝居も、公金横領にかかわる官公庁や警察署などの偽装擬態事件も、また銀行などの企業トップ主導の数字改ざん・証拠隠蔽事件など、いまやなにもかもが裏舞台から表舞台へさらけ出される時代。
世界的な資産家とか絶対的なカリスマなどとおだてられていた者たちの、なんとも哀れで情けない姿もずいぶん見せつけられた。
彼らのヒストリーには例外なく虚偽と擬態がまつわついている。
いや、あのブッシュ大統領という男の言動や思想や行為も、そっくりがうさん臭い。
それに金日成にも同じ腐臭がプンプンとしている。
得手勝手なエゴの物差しを振り回すこの二つの国の間でウロウロする小泉ソーリの、これまたなんともうさん臭く、頼りないこと!
おちやらけメディアはなくてもいい
フジの村上社長のいう「民放局のおちゃらけ」ぶりはもう惰性化している。
公共放送を金看板にしてのスキャンダルいっぱいのNHKを、現在の民放局は他人事として知らん顔する資格はない。
「公共」というほんらいの意味を理解していない者が、しきりとこの言葉を使う。これもうさん臭い詐術であり悪質な擬態だ。
ぼくはもう、現在のようなラジオやテレビなら消滅してもしょうがないと思っている。ついでにひたすら騒がしいだけのトンチンカンなCM群もね。
もう何度も書いていることだが、経営陣の質もそうだが、スタッフや出演者の中には、手におえない〔ドツボ〕に嵌まったヘンなのがいっぱいいるのだから。
人間ねぇ、ちょっと金を持って、チヤホヤされるとたいていヘンになるのデス。
太宰治がこんなことを書いていた。
「だまされる人よりも、だます人のほうが、数倍くるしいさ。地獄へ落ちるんだものね」
でもねぇ、「地獄へ落ちる」という想像力もないけものみたいな人間ばかりの世の中……太宰サンの警句ももう通用しないほど、世の中そっくりが堕落してるのじゃないかなあ。
— posted by 本庄慧一郎 at 11:01 am
「ニッポンの芸能人」シリーズ19
2005/2/21
一回の出演料がン百万円ナリ
信じられないことだが、ただ悪ふざけしているだけみたいなテレビ番組の司会者の出演料がン百万円もするという。
たとえば、タモリとか、所ジョージとか、明石家さんまとか、みのもんたとか、ビートたけしとかいう連中のことらしい。
かと思うと、いきなりプロ野球のチームを買うと騒ぎたてて、ン十億という金額をシレッと口にするのが出てくる。
さらにまた、テレビ・ラジオ局の株を買い占めて、経営権を持ちたいと名乗り出る者がいる。
かなりしたたかでずる賢かったはずの爺さん経営者たちが右往左往している図は珍妙としかいいようがない。
すでに、権勢と尊大さで君臨していた企業グループの総師が、あっというまに失墜してこれまた右往左往しているのも笑止である。
たまたまいま書いている時代小説の社会的背景にニワカ成金の資料をあさっていた。
曰く「金権日本史」「影の日本史・賄賂の歴史」「江戸時代の賄賂秘史」「江戸のワイロ」「疑惑の賄賂日本史」「日本金権史」ETC。金まみれ、欲まみれの人間の歴史の醜悪さには、ただもうゲンナリしてしまったが。
金欲で例外なくみんな失墜した
たとえば、昔の金の亡者(紀伊国屋文左衛門とか)は、金力にモノをいわせて〔吉原〕をわがもの顔にのし歩いた。
吉原そっくり買い占めて、好き勝手にドンチャン騒ぎをやらかして得意になった。
吉原という場所は、ゲーノーと売春をセットのして商売をしていたのだ。
最近、プロ野球チームを買い損ねた若い社長は、目的が果たせないとなったら、テレビ・ラジオ局に目をつけた。
現在では吉原のような売春サービス産業は公的には存在しないから、買い占めたくてもそれは出来ない。
野球業界ではもともと「金銭トレード」などという言葉は常用されているが、これはいわば「人身売買」で「吉原の女郎」と同質のものである。
それと、テレビ・ラジオとなると現代のゲーノーの主格。現代のニワカ成金が目をつけるのは当然である。
つまりは、ニワカ成金のやることは昔も今も変わらないというおハナシ。
ニッポンのゲ−ノー人の没社会性
かの中越地震などで悲惨さに呻吟する人たちのために、野球チームを買いたがっていた男たちが、ポンと寄附するかと思って期待したが、まるで関係なかった。
その一方で、イギリスの音楽界のスターたちがインド・スマトラ島沖地震で被災した人々の救けになればと、大規模なチャリティショーを開催したという。
ぼくもかつてラジオの音楽番組の構成を担当したが、その時に紹介したクリフ・リチャードやエリック・クラプトン、ボーイ・ジョージ、エルトン・ジョンといった人たちのリードで驚異的な義援金を集めて贈ったとか。
それも、地震と津波の発生からたった3週間でチャリティ・イベントを実施したという、その行動力のスピードにも脱帽した。
それと、アメリカのゲーノー人も同様のアクションを起こした記事もあったっけ。
それにつけても、勝手に忙しがっている欲の皮の突っぱったニッポンのゲ−ノ−人はどうなっているのかね。
チョンマゲの昔からの守銭奴たち……
そしてIT時代といわれる現在でも、その金欲金権の汚い根性は変わらない……ばかりかいまさらにニワカ成金の(と、従来の金権主義の爺さんたちもまた)醜さはエスカレートしているようだ。
すでにテレビというメディアの根腐れ現象は表面化しているが、その表層でうごめく高額司会者諸君には、おのれを対象化するインテリジェンスは皆無らしい。
そんな司会者の跳りょうする番組を嬉々として眺めている視聴者も……ダイジョウブなのかなあ。
— posted by 本庄慧一郎 at 10:47 am