ゴーマンという名の穴ぼこ
前回、50年という歳月をふり返って、小沢昭一さん、熊倉一雄さん、またデュークエイセスの谷道夫さんのことなどを書いた。
音楽関係では、つづいてクラリネットの北村英治さん、トランペットの光井章夫さんのこと、またピアノの世良譲さんのことを書くつもりでいたが、ちょっと気が変わった。
毎月曜早朝4時、3種の新聞を読んでからこのHPの原稿を書くのだが、各新聞の社会面に「中村七之助容疑者を逮捕・タクシー代払わず警官の顔を殴る」の見出しと記事を読んで話題を変更したのだ。
「またか」のゲーノー人暴力事件である。
つい先日マンザイ出身の島田紳助の暴行事件でガタガタ騒いだテレビ・ゲーノー界だが、「また!」なのである。
テレビ・ゲーノー界における、虚名(人格形成や実力を伴わない人気)や、過剰な収入(まじめに働いている者には想像のつかないような高額報酬)で多くの者が神経を狂わす。
ゴーマン病に取り憑かれるのだ。
バラエティ番組とやらの司会をやっているM・MとかT・Jとか、B・Tとか、それにTとかの1回の出演料がン百万エンだとか。
したがって現在、似たようなフィィールドでチヤホヤされている未成熟な者が狂うのは当然かもしれない。
ドツボ人種という者の群れ
ぼくの親しい友人であるO・Yさんは、最近「さらば! 放送界」という本を著わして放送ギョーカイを背にした。
「いやだね、ドツボにはまった人間は」と強調する。100パーセント同感である。
ドツボとは「ど壷」のことだ。ぼくは同じ意味をこめて「タコ壷のタコ」といってきた。
もうひとつ「穴の中のサンショ−魚」ともいってきた。(井伏鱒二の名作でおなじみの小説がある)
このドツボ人種は、もっぱら「ウチウチごっこ」で明け暮れる。
かつてはヤクザや暴力団の皆さんが得意としていた処世術である。この「ウチウチごっこ」、最近は政治家たち(ウサン臭い金にかかわる裏取引など)が、企業集団トップ(NHK会長をめぐる権力妄執劇とか、西武グループ代表の醜聞とか、枚挙にイトマがない)たちの行状とその末路。
いや、どうにも我慢ならないのは、役人たちの公金食い散らかし(社会保険庁・大阪市・警察機構等、そして……これもまたきりがない)事件の汚職行為。
どれもこれも「ウチウチごっこ」の「ドツボ人種」の仕業である。
ぼくはこんど中村勘三郎を襲名する中村勘九郎さんが大好きだ。(彼が五、六歳の頃、故三木のり平さんとの掛け合いのラジオ番組の録音現場をのぞき見した)七之助はその賢く実力のある勘九郎さんの子だがやっぱり「ウチウチごっこ」に甘やかされてゴーマンになったのか。
和田アキ子と美川憲一の言葉
島田紳助が暴行事件を起こした時、テレビのインタビューに答えた和田アキ子と美川憲一の言葉にはウンザリした。
それこそエラソーに「才能あるんだからさ、早くカムバックしてほしい……」だってさ。
そういう自分たちだって、過去にはかなりアブナッカシイことやってる。目クソ鼻クソの関係のような気がしてならない。
この「ウチウチごっこ」の感覚と思考は、どうしようもない「ドツボ人種」特有のものだ。
そういえば、世界政治の場でも、アメリカのブッシュとか、北朝鮮の金日成とか、これまたどうしようもない根腐れ人間のようだ。
「ウチウチごっこ」の汚染環境で培養された「ドツボ人種」は、例外なくゴーマンなのである。
「好漢自重せよ」なんて言葉もあるが、ゴーマンの病根はそうたやすく駆除できないのと違いますか?「人間って哀れだなあ!」
この種の人間は、歌謡曲界、いわゆるフォークの連中、そしてシャンソンといった辺境にもウヨウヨいるようだ。そうそう、広告・CMギョーカイにもウサン臭いドツボ人間がいるなあ。それは、またの機会に書きたい。
「ニッポンの芸能人」シリーズ16
2005/1/31
— posted by 本庄慧一郎 at 10:41 am
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