貧困は礼儀作法の教師なり
そういったのは、ギリシャの作家アンティファネス。
「働けど働けど わが暮らし楽にならざり じっと手を見る」とはご存じ石川啄木。
でも近ごろは、人は〔貧困〕から礼儀作法を学ぼうとはしない。
たかだか、二、三千円の金のために、強盗をやるし、時には命さえも奪う。
いまどき、貧しさやつましさから、人間としての礼儀作法を学ぶ(あの二宮金次郎サンのような)心がけのいい人間はいない。
ところで、ぼくは原稿用紙のマス目に字を埋める仕事――文筆業を生活の手段として暮らしてきた。
文筆業をもうすこし具体的に細分化していうと、まずラジオの台本構成作家。そしてテレビの台本構成作家。さらに広告やTVCFのプランナー&コピーライター。さらにCMソングの作詞。次に小説(時代小説)とやってきて、このところ、なんとか着手したかった舞台の脚本をまとめたりして、それも具体化されそうな……という昨今。
税務署の届け用紙は一貫して〔文筆業〕だが、実際にはいくつかのコーナーがあった。
中でも民間放送ラジオ・テレビの出合いは画期的であった。(いまはもうきっぱり過去にして捨ててしまったが――)
そういえば、ぼくの出身母体でもあったフジテレビ・ニッポン放送・サンケイ・グループがいま、大揺れに揺れている。
それは「この世の中のことで金で解決つかないことはない」などと口走る輩が主導権争いに乱入したからである。
経営のベテランたるオジサンたちの右往左往
「まさか」という現象がさまざまな局面で勃発している。
フジ・サンケイグループというのは保守的で警戒心の強固なグループだったはずだが、Tシャツとジーパンでふらりとやってきたおニイちゃんにいいようにひっかき回されている。
このところ、もっぱら「ウチウチごっこ」で見せかけの安泰にあぐらをかいてきたオジサン経営者たちが、なんとも無様な狼狽と崩壊と収集策を講じているが、それはただただ醜態としかいえない惨状である。
不透明で革新性のないギョーカイが改善されるのは大歓迎だが、あんなおニイちゃんにしてやられるなんて、ほんとに情ないねぇ。
金ですべてケリがつくという神話
しかし、スケールのある企業グループの屋台骨を揺さぶりかけた男も、寝耳に水とひたすら慌てふためくオジサンたちも、その人間としての根底にあるコンセプトは「金ですべてケリがつく」といった点で同種同病である。
公共放送の「みなさまのNHK」のと、ふた言めには公共性を言いたててきたNHKの内部腐敗ぶりはさらに暴かれ露呈するだろう。
一方、民放局の内実もたかが知れている。
だいたい、民放局やそこに密着する広告代理店などの体質には、ずっと生ぐさいいかがわしさがつきまっとてきた。
たとえば、金にまつわる業務上横領事件といったスキャンダルとか、業務にかかわる場での婦女暴行事件などは、たいてい揉み消す。
というのも、広告業はすべてクライアント(いわゆるスポンサー)との信頼関係あってのこと。したがって、その商売にかかわる信用をぶち壊すことは絶対に部外に漏らさないのである。スキャンダルを起こした当人を保護するためではなく、企業としてのおのれのスキャンダルを隠蔽するためである。
護送船団方式という隠蔽作戦
政治にかかわる徒党と集団も(裏金操作や政治取引など)、公金を横領濫費する(例を挙げるまでもない!)官公庁なども、さらに品質の偽装・偽称などを常態化している各種メーカー
など、例外なく、悪知恵を駆使した〔隠蔽作戦〕でごまかし通してきた。
一つ嘘をつくとやがて二十もの嘘が必要になるという。
そしてもう一つ、こんな言葉を記しておこう。
「欺瞞にたいする防衛策は詐欺なり」ゼノン。
おのれと人生がガラガラと崩れてゴミになるまで、あるいは野垂れ死ぬまで、〔隠蔽〕と二人三脚やっていなさいよ。
「ニッポンの芸能人」シリーズ18
2005/2/14
— posted by 本庄慧一郎 at 10:45 am
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