「ニッポンの芸能人」シリーズ54
2006/5/5
大病を克服した団十郎さんのこと。
前回、映画「寝ずの番」のことを書いた。
そして、富司純子サンのことから、旦那様の菊五郎丈のことにふれた。
実は、ぼくの書斎には、その菊五郎丈と団十郎丈と(撮影者の塩崎博氏と)ぼくがご一緒に撮っていただいた額入りの写真がある。
先代河原崎権十郎丈の一周忌の帝国ホテルでの追悼の会でのスナップである。
CM業界の先輩で歌舞伎通の塩崎博氏のご配慮でのチャンスだったが、なにしろ当代の歌舞伎の大御所お二人とのスナップは〔芝居関係者〕でもあるぼくの宝物の一つである。
ご存じのように、団十郎丈は白血病という病魔を退けて見事に舞台復帰なさった。かく申すぼくも「十万人に一人の確率」という病気から完全復帰して、周囲の人から「おめでとう」という言葉をしきりに頂いている身なので、団十郎丈のことはとても嬉しい。(でも、スーパー歌舞伎で意欲的な活躍をなさってきた市川猿之助丈はその後いかがなのか、とても気になっているが)
とにかく、市川団十郎丈、おめでとうございます。
沼田曜一さんの訃報。
4月30日付けの新聞各紙に俳優沼田曜一さんが29日に亡くなられた記事が出た。(享年82歳)
沼田さんとは、フジTVのドラマでご一緒した。「サラリーマン巌流島」という働き盛りのサラリーマンを主人公にしたコメディで、共演は一竜斉貞鳳さん。そして杉狂児・トニー谷・太宰久雄・若宮忠三郎さんらの芸達者が揃っていた。演出は叔父の小沢效。
一竜斉貞鳳さんと小沢效は健在だが、杉狂児・トニー谷・太宰久雄・若宮忠三郎の皆さんは亡くなられた。スクラップブックを調べたら、昭和37年――1962年のことだからなぁと感慨があった。
そして沼田曜一さん。つい先日、CATVで「雲、流れる果て」で若い特攻隊員を演じていた沼田さんをワイフとしみじみと観たばかりだった。
手もとに沼田さんからご恵贈いただいた「現代の語り部――沼田曜一――民話の世界」というずしりと手重りのする写真集がある。
日本全国を民話の語り部として巡り歩き、沖縄の民話にはとりわけ執心して「ちむぐりさ座間味島」をくり返し語った。
「肝苦りさ」というこの言葉の意味は「かわいそうに」という意味で、沼田さんは沖縄の人たちの心をおのれの心として語り続けたのだ。
あれは何年前だっったか。新宿紀伊国屋ホールで「三遊亭円朝」を主題にしたひとり語りを演じだ。ご案内を頂き、ワイフと出かけた。
ひたすら熱心で真摯な舞台だった。
沼田さんが出演した映画「きけ、わだつみの声」や「真空地帯」もあらためて観たいと思っている。
それにしても、あの頃、沼田さんとスタッフともども、よく楽しく呑んだ。
貞鳳さんのお酒も楽しかった。彼のお座敷芸で沼田さんもぼくも「死ぬからやめてくれ!」と言いながら笑いころげたっけ。
(貞鳳さんにもお会いしたいなぁ)。沼田さん、再見!
— posted by 本庄慧一郎 at 04:59 pm
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