「ニッポンの芸能人」シリーズ58


ライブ・ステージ観てある記
 食い物をムダにしない。なんでもよろこんで食べる。
 興味や関心や取材に選り好みをしない。なんでもよろこんで体験する。
 このところまたライブ・ステージをこまめに〔体験〕している。
 新宿サザンシアタ−劇団青年劇場の「尺には尺を」(シェークスピア)を観る。
 そのテーマ・モチーフはきわめて現代的――と解説にある。が、である。
 シェークスピアの戯曲の諷刺性・多彩性、その饒舌的な特徴と魅力は、出演者たちの表現技術の熟練がないと、具現化できない。
 「尺には尺を」の舞台は半煮えで、イライラさせられた。
 それは演出(高瀬久雄)にも責任がある。俳優が客席に背を向けて演技することも多く、表情やこまかい演技が確認できないのと、俳優のせりふ術(発声・活舌・エロキューションの基本術)が未熟で、「なにをいってるの?」で終始した。
 俳優たる者、背中でシバイができれば一流――という言葉があるけどネ。
 あのライブ・ステージに解説どおりの「現代性」を読み取るのはムリですよ。

大衆演劇という名のライブ・ステージ
 下町の玉三郎をキャチフレーズにする梅沢富美男を観る。
 人情物風のお芝居と、梅沢富美男の歌のステージ。そして、「現代離れした美しい女形」をアピールする第3部。
 ぼく個人としては、大衆演劇というカテゴリーの舞台に大いに声援も送るし、実際、自分でも脚本を書くつもりだ。(劇団テアトルエコー、この秋の公演「大都映画物語――遺骨(ほね)まで愛して」もその一例だ)
 しかし、大いに好意も関心も持っている梅沢富美男一党の舞台は、どうヒイキ目に見ても「大衆をナメている」という印象はぬぐえない。
 そういえば、新宿コマ劇場におけるいわゆる「歌手芝居」も、いっとき(美空ひばり出演の時代)は集客力抜群だったが、このところまるでダメで、ごく一部の歌手主役以外の公演はない。
 商売柄もあって(好き嫌いなく)舞台はよく観るが、これも好感を持っていた吉幾三の喜劇とやらの、そのザッパクさにシラけたことがあった。
 北島三郎も小林幸子も……コマーシャルではご一緒した人たちだが、あのような舞台(芝居)では先がないのは当然だと思ってきた。
 答えはそのとおりになっているのだね。
 テレビのエンターテインメント番組も同断だが、制作者、出演者がいい気になっている、図にのっているモノなんて見捨てられて、これまた当然。

居眠りしてなんかいられない6月です
 池袋芸術劇場6月1日〜4日、小櫻京子劇団の舞台、人情喜劇には、新国劇出身の大山克巳さん、そして友人の山口隆さんの出演。
 テアトルエコー6月公演は6日〜20日、恵比寿エコー劇場で「キメラの山荘」熊倉一雄さんをはじめなじみの俳優たちの舞台たのしみ。
 それから劇団セメント金魚の田中允貴さんの中目黒ウッディシアターでの「ハートに悲はつけないで」の公演が6月27日〜7月2日。
 いや、その前にコール田無の「枝璃貴子コンサート」が6月10日、ぼくの「平和を願う歌シリーズ」のうちの一曲「散華」を歌ってくれる。
 その歌詞についてと、ぼくの平和への想いと戦争にたいする意見を話すコーナーがある。
 楽しく遊び学ぶ6月である。

— posted by 本庄慧一郎 at 04:56 pm  

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平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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