どうにも肚に据えかねるということ
前回の都知事選で、「ボクは石原裕次郎のアニです」とニヤニヤしながら何度も恥ずかしげもなく口走ったイシハラシンタロー氏が嫌いだ。
ついでにゲーノー人の集団〔石原軍団〕なる者たちに選挙の応援をさせたりした氏にうんざりした。
彼シンタロー氏とは同時代を生きて来たぼくだが、人間観・人生観・社会観・政治感をまったく異にしている。とうよりすべての点で相容れない。
ゴーマンで、独断的で、のべつ人をテンから小馬鹿にしたような言動を弄する彼には〔公人〕とか〔公僕〕といった思慮や意識が完全に欠落している。
都知事三選を謀(たくら)む彼は、オリンピック誘致だの、カジノ賭博場を作りたいの、かと思えば三宅島にオートレース場を……などなど現実離れしたスタンドプレーに終始している。
彼の〔都政の私物化〕なる事実はすでに周知のことだが、いまだに鈍感な選挙民たちは怒りもせず、抗議もしない。
映画「武士の一分」は藤沢周平の原作だが、いまこそ「選挙民としての一分」の志をはっきり示すべきだ。
選挙という貴重な権利と義務をないがしろにする者は許せない。
とにかくぼくは、石原慎太郎氏を(選挙で)選んでいない・納得していない・認めていない。
現在の日本の〔民主主義の多数決〕といものは、横暴以外のなにものでもない!
石原慎太郎氏が「江戸っ子」をうんぬんするか?
東京生まれ、東京育ちのぼくは、あの〔大東亜戦争〕という名の誤った、そして愚かしい戦争のさなか、アメリカ軍の爆撃の修羅場で生死の境を右往左往した。
逃げ帰る〔故郷〕をもたない者たちは、敗戦後はさらに過酷な物資不足と食糧不足にさいなまれた。
折しもこの文章をまとめている本日は3月10日。63年前のこの日は東京大空襲の日だ。
本所・深川あたりの無惨極まる爆死体・焼死体、さらに炎に追われて川や運河に追いやられての溺死体などをじかに見ている。
腹を空かした栄養不良のヨレヨレのわっぱが、本所・深川あたりの食糧倉庫が爆破されたというので、焼け米を拾いに行ったのだ。
北区滝野川の家から、交通機関など壊滅していたはずなのに、どうやって本所・深川まで辿り着いたのかまるで記憶にない。
ただ生活力旺盛な友人(小学校6年生)がいて、彼のシリについていったのだ。
やっと手堀りで手にした焼け残り米は、嗅気ふんぷんで食えたものではなかった。
その黒焦げ米も、ほぼ1ヶ月後の4月13日未明の空襲で家もろとも焼けた。
ちっぽけな家の周辺に焼夷弾の残骸の鉄筒が20本(!)ほど突き立っていたのを忘れない。(忘れるもんか!)
今回の都知事選で石原批判を掲げて何人かの候補者が参戦している。
現行の都政を是が非でも変えてたいと思うぼくは、〔まっとうな風〕が吹くことに期待してやまない。
その舌戦はすでに始まっているが、石原氏が対立候補に対して、「江戸っ子向き、東京っ子向きではない」などと勝手なことをほざいている。
そういうおのれの言動や思考の質をどう思っているのかね?
いませっせと時代物(江戸時代の市井の人々を主人公にした物語)を書いている者としては、江戸っ子気質とは、いわゆる「巧言令色」(口先だけで、まるで志のないこと)的人間とは真反対の気質と設定している。
少々、軽率でお先っ走りではあるものの、嘘や不正や得手勝手は大嫌いということだ。
最近「江戸しぐさ」などがもてはやされているその理由は「人間らしい基本の礼節を学び直せ」ということだ。
石原サンに「江戸っ子や東京っ子は」などと言われるのはまっぴらだね。
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