「社会&芸能・つれづれ愚差」第401回(通算513回)

「箱根駅伝」という新年明け。
 
●「時代」を変質させ変貌させようとする気運を危惧する昨今ですが、この新しい年2015年が皆さんにとって実りある年になりますよう念じております。

●10年前、晩夏から年末にかけて、ギラン・バレー症候群とやらを罹病し、リハビリに専念した。以来、年始のごあいさつ状も欠礼しております。
 でもいまもって、大勢の皆さんから賀状を頂きます。
 このホームページをかりまして、心から御礼を申しあげます。
 ありがとうございます。

●ムカシから年末年始(クリスマスイブとやらもふくむ)にかけてのワルはしゃぎ、バカ騒ぎムードがとにかく苦手でした。

●その点、石神井三宝寺池周辺のカントリームードは相変わらずで、心からありがたく思っております。

●とにかく、年末年始のTV番組のワルノリ芸人たちの跳りょうは敬遠する。が、正月2日、恒例の「箱根駅伝」は格別の思いで見る。

●まず、「こんなもんでいいんだ」といった世の中をナメたような顔が出てこないのが快い。

●実は、「箱根駅伝」にはちょっとハズれた「本庄流こだわり」があるのだ。
 というのは、以前――ある期間、箱根湯本に住んでいたことがあるからだ。

●住んだ場所は、箱根奥湯本の自然湯の「源泉」の近くだった。
 父親の仕事の都合で、やむなく住むことになった場所だった。

●決して、「ゆとり」や「ぜいたく」などに関わりのない止むを得ないコトだった。
 けれど、全国でも有数の温泉地に住んだことに違いはない。

●当時のことをあれこれ思い出すと……さまざまな思いが熱く交錯する。

●箱根という地(観光地ではない)には、いくつもの記憶がある。
 というワケで、「箱根駅伝」で中継される道すじや風景には毎回、格別の思いをもって魅きつけられる。

●小田原、国府津、大磯、平塚……そう、いっとき平塚にも住んでいて、大磯の松並木なども忘れていない。

●小田原の初夏はいつも「巴旦杏(はたんきょう)」(スモモの一種)の愛らしい実が店頭に並んだ。いまはたしか「プラム」と呼ばれているか。

●大磯と平塚の間には花水川が流れていて、大磯側の小高い山「こうらじ山」と呼んでいた。
 現在は公園として整備されていて湘南一帯の景観を楽しめる展望台になっている。

●先年、広告業界で親しく付き合ってきたフォトグラファーの鈴木武男さんに招かれて(鈴木さんの別宅がこの高台にある)この高台に立って熱い感慨を得た。

●そういえば、あの「駅伝」というリレーを眺めていて、毎年、さまざまな感慨をもつ――。
 今年は「人生での仕事には、リレーはないなぁ」だった。

●「自分以外の者との直接の勝負はないし」だった。
 「日本脚本家連盟」にも「日本放送作家協会」にも同業者といえる方々は大勢いらっしゃるが、「駅伝」や「長距離マラソン」のようにタイムや順位を争うようなコトはない。

●それぞれの各人が、つまるところ、「自分流」の方法論で「自分の道」を歩いているのダ。

●2〜3年の時間差はあるけど、「物書き業同期」として歩んできた阿久 悠さん、井上ひさしさん、青島幸男さんたちは目ざましい仕事を遺されて……早々に逝った。野坂昭如さんはどうしたろう。永六輔さんは……? 五木寛之さんは健筆をふるっておいでのようだが。

●それにしても――
 真剣で真摯なスポーツには「こんなもんでいいだろう」のようなカオが皆無なので、なにより気持いいね。



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ケイちゃんの目 ↓

京都? こちとら杉並区観泉寺

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— posted by 本庄慧一郎 at 02:43 pm  

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