「社会&芸能・つれづれ愚差」第409回(通算521回)


三寒四温の季節の読書

●「イスラム国」に関わる紛争と事件とその成り行き――
 そして日本政府の対応。
 「積極的平和主義」を唱えながらの「武器輸出推進」。
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●イラつく気持ちを抑制しないと……いけない。
 書棚から、好きな作家の本を取り出し頁をひらく。

●藤沢周平(1927〜1997年)の作品も、お人柄も大好きだった。

『信長ぎらい』
 (前略)それというのも私は問われれば信長はきらいだと答える方なので、いくら世の中が閉塞状況だからといって、信長のような人がいまの世の指導者として乗り出してこられては、大いに困惑するのだ。
 以下、信長ぎらいの理由を記してみよう。
 (中略)嫌いになった理由はたくさんあるけれども、それをいちいち書く必要はなく、信長が行った殺戮(さつりく)ひとつあげれば足りるように思う。
 それはいかにも受けいれがたいものだったのだ。ここで言う殺戮は、もちろん正規の軍団同士の戦闘のことではない。僧俗三、四千人を殺したという叡山(えいざん)の焼討ち、投降した一向一揆(いっこういっき)の男女二万を城に押しこめて柵で囲み、外に逃げ出せないようにした上で焼き殺した長島の虐殺、有岡城の人質だった荒木一族の処分、とりわけ郎党、侍女など五百人余の奉公人を四軒の家に押しこめて焼き殺した虐殺などを指す。
 虐殺されたのは、戦力的には無力な者たちだった。これをあえて殺した信長の側にも理屈はあっただろうが、私は根本のところに、もっと直接に殺戮に対する彼の好みが働いていたように思えてならない。たとえば後の越前一向一揆との戦いで、信長は京都にいる所司代村井貞勝に戦勝を知らせて、府中の町は死骸(しがい)ばかりで空きどころがない、見せたいほどだと書き送った。嗜虐的(しぎゃくてき)な性行が窺(うかが)える文章で、このへんでも私は、信長のえらさをかなり割り引きしたくなるのだ。
 こうした殺戮を、戦国という時代のせいにすることは出来ないだろう。ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺、カンボジアにおける自国民大虐殺。殺す者は、時代を問わずいつでも殺すのである。しかも信長にしろ、ヒットラーにしろ、あるいはカンボジア政府にしろ、無力な者を殺す行為をささえる理想、あるいは使命感といったものを持っていたと思われるところが厄介なのところである。権力者にこういう出方をされては、庶民はたまったものではない。(後略)(「文藝春秋」平成4年9月号)

 (「ふるさとへ廻る六部は」 藤沢周平 新潮文庫より)



●「殺さなければ殺される――戦争」という原理に例外はない。
 「積極的平和主義」と「武器輸出推進」? 冗談もいいかげんにしろ。 



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ケイちゃんの目 ↓

新作舞台脚本「『めざせ!忠犬ハチ公』物語」
出演メンバー約40人の前で「作者本読み」の本庄慧一郎

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書斎のささやかな春

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— posted by 本庄慧一郎 at 04:35 pm  

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