「社会&芸能・つれづれ愚差」第486回(通算598回)


「虚」という魔物がいる?

●それにしても――
 JR小海線清里駅。
 小海線北隣りの野辺山駅に次いで、日本で2番目に高い場所にある駅とか。
 かつて訪れた折は高原の町としてこの清里の記憶は清々しく品位のある町として鮮明だった。

●それにしても――
 テレビのルポで、その清里の町の「現在」を見た。
 1980年代「第2の原宿」といわれたという混雑振りが紹介されていた。
 そして「現在」の閑散としたストリートの風景は、人の姿も見えず、また寂寞としていた。
 土地のお店の人の証言では「もともと、この淋しさは夏休みが終わったことなどに関係ない」ということだ。

●それにしても――
 その狂気的なブームにのって新しく建てられた都会風のホテルやレストランやストアが、いまは無残な姿で放置されたままで自然の風景をぶち壊していた。
 「虚栄」は消滅したあとにも醜さを遺す。

●それにしても――
 「虚栄」「虚飾」「虚勢」「虚威」「虚位」……と、見せかけだけのまがいものがのさばり通る昨今である。
 清里に静けさは戻ったかもしれないが、かつての「清々しい自然のたたずまい」は元に戻ることはないようだ。

●それにしても――
 ハイクオリティの雑誌『東京人』に(1987年から5年間)『とうきょうヒッチはい句』と題して「街の写真と五七五を4句」そして短文のエッセイを担当させてもらった。(月刊1冊で3カ所)その場所の総数は126カ所に及んだ。
 その企画の「まえがき」に書いた。
 「街は人がつくる。しかし、出来上がったその街は、こんどは人間を飼育しはじめる」と。
 たとえば、新宿歌舞伎町を考えてほしい。
 店らしい店が1軒もない頃のこの街を見知っている本庄は、いま「街が飼育したその人間たちによって、こんどはその街自身が飼いごろしにされる」と考えているのだ。あの高原の美しい町清里は、これからどうなるのかなぁ。

●それにしても――
 街も、そして人間も、「虚栄」「虚飾」「虚勢」「虚威」「虚位」などに取り憑かれたら、やっぱりそのあとの人生に寂寥の風が吹く――と思っているのデス。

●それにしても――
 「虚」という字のつく魔物は、テレビ・ゲーノーのフィールドにもウヨウヨしているよねぇ!


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ケイちゃんの目 ↓

03

デザイン:高氏雅昭氏


『東京ろまんちっ句』著望田市郎(本名)1996年 冬青社刊より

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— posted by 本庄慧一郎 at 02:27 pm  

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