「社会&芸能・つれづれ愚差」第568回(通算680回)


あらめておのれの履歴をふり返ってみると、半世紀あまり一貫して日本語を素材にした仕事(ラジオ・テレビ・構成台本/舞台脚本/TVCMプロデユース・企画・COPY/時代小説・現代小説/五七五・評論集・エッセイ等)をしてきた。
現在の書斎は、古書店の倉庫のようで「創作の遊園地」になっている。
●執筆スタッフ 本庄慧一郎(望田市郎)/みさき けい/深実一露


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スベル・ズレル・コケル


●テレビがダメにする。テレビでダメになる。
 かつて、民放ラジオ・テレビが生活費を確保するベースだった。でも、番組もTVCM作りも結局は「消耗品」で、そこに関わる自分も……ということで、時代小説など数十冊以上のホンや舞台脚本をあれこれ書いた。(現在、それらの著作物を電子書籍化する「意義ある」作業に努めている)

●寄席には学齢前から通っていたけど。
 父親が、寄席芸(落語・講談・マンザイ等)にこだわっている趣味人だった。そのため子どもの頃から寄席になじんで育った。
 いわば「マセガキ」と称される子どもだった。(あの畏友小沢昭一さんも!)
 でも、近頃の芸人はその習練場である寄席の体験を知らず――芸がうすっぺらで底が浅い。
 テレビの「バラエティ」と称する番組でゾロゾロ出てくる者たちに「お笑い芸人」と称する者が多い。
 こんな若者たちがよく口にするのが「スベル」だ。
 つまり、おのれの「芸」が(テレビ)のギャラリーに受けなかった――というイミだ。

●番組の制作に対するコト。
 完全にスタジオ・オンリーの制作なのに、ライブ風に「笑い声」や「拍手」を効果音として入れているケースが多い。(これは一種のサギ行為だ)
 出演芸人にとっては「スベル」はスタジオ内のことでカネを払ってきた客でもない。そんな勘違いは、芸人の「芸」を鍛えることにならない。ばかりかとんでもない錯覚を「誤った自信」をもたせる。

●ずっとムカシ読んだ本では――
 たとえば、アメリカの人気テレビ番組だった「ビング・クロスビー・ショー」「ディーン・マーチン・ショー」「ボブ・ホープ・ショー」「フランク・シナトラ・ショー」「ルーシー・ショー」(順不同)などの歌やコントなどに「アドリブは一切なし」とあった。
 「アドリブ」に見えるパートもすべて、そのための「演出」だったというネ。

●現在のラジオ・テレビの「フリートーク」は――
 現在の「放送作家」たちの「台本――構成台本」は「喋りコトバ」になっていない。あっても、出演者のための「進行メモ」のようなものか。

●しょせん、「うすっぺらな芸」はテレビメディアの「消耗品」というコトになるか。

●現在の政治の中央で起きているスキャンダラスな事件も、「スベル・ズレル・コケル」というアホなことばかりだ。
 もう口先だけのごまかしではごまかせないぜ!




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ケイちゃんの目 ↓

Scenes of memories
浅草周辺の散歩スナップ



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— posted by 本庄慧一郎 at 02:25 pm  

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平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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