「ニッポンの芸能人」シリーズ33


世の中変わった! いや変わらない!
 10年前のメモ代わりの5・7・5である。(その2)
 現代の10年――大きく変革したが、ただ人間が形づくる政治や社会は、うんざりするほど進歩が感じられない。
 いや、人間の質は下落している。あるいは社会はさらに俗悪化している。
 折しも〔敗戦60周年〕。日中問題、南北朝鮮との問題。そしてアメリカとの関係――そしてまたフィリピンの元日本兵のことなど、変わった日本、変わらぬ日本の現在と明日は文字どおり多事多難である。
 アナクロニズムの垢だらけの政治家連中の言動が気になる昨今である。

 のほほんとペット愛好社会の親殺し
 カッとしてムカつきイラつき人殺し
 母を絞め子を殴殺(おうさつ)し父を刺し

 政界に除菌を国民に抗菌を
 どいつもこいつもカネと女で潰れてく
 明日バレる嘘を真実と堂々と言える男はエライ
 自殺する卑怯 生き続ける卑怯 潜伏する卑怯
 投身自殺した奴が右往左往するしたり顔を笑っている

 ロープにつながれた犬が怨嗟と憎悪のシッポを振る
 丸くなって抱かれている猫が飼い主に抱く殺意の炎
 魚屋で救いようもない不幸な目をした魚に出会った
 あんたの目ン玉を刺そうとあの鴉がまた狙っているよ

 神だのみ仏だのみとは情けない
 定年やマリオネットの四十年
 大蔵省ダラク役人のアジトかと

 浅知恵と悪知恵まぜて猿の知恵
 毛が三本足りない猿と多い猿
 嘘をつく自覚のない猿狂気の目
 赤じゅうたんのさばり歩く猿軍団
 放し飼い老若雌雄猿の群れ
 皮袋血膿(ちう)みで満たす痴呆猿

 内閣は能なし顔の見本市
 温暖化ぜいたくとムダの負の遺産
 笑っちゃう! 聖子罵倒する研ナオコ
 セクハラと男が訴える茶番劇
 屁理屈に小理屈ならべてまた増税
 欲呆けが散り急ぐ枯れ落ちる
 狂 奔(きょうほん)と狼狽身勝手無責任
 うそ八百カチカチ山の泥の船
 ノーネクタイ拘置所刑務所無知の顔
 根腐れの(うみ)にまみれる師走なり
 泣き喚く社長醜し暮れの秋
 血迷って地獄極楽ノーネクタイ
 経営とは飛ばし隠しと簿外債務
 外国人拒否はイカンぞ違憲なり
 カラ読みの弁解大臣の木偶(でく)の顔
 成り上がり成り下がりばかりの猿の国
 シラを切る晩節を汚す無知の(つら)
 DNA判定の必要もなしわが人生
 きのこ狩りさあもみじ狩り家族狩り
 人生に簿外債務なくそぞろ寒
 沈没の乱痴気騒ぎ日本丸
 船ならば沈没してるよわが日本

 骨の随に蛆虫を飼う猿横行
 慎みも身のほども忘れた猿のイブ
 人間・地球・未来を語る狂い猿

 凍てる地を揺さぶり怒る霊の声
 五十年特攻隊玉砕兵もいた国か
 息子を特攻隊で死なした者も浮かれている
 心ある霊よ怒れよ奢り腐る者たちに
 寒月に国に殉じた白骨が怒り鳴る

 “タイタニック”日本のことと重ね観ろ
 “M・I・B”エイリアンだらけの日本かな
 カントクとは大島・たけし・長島・伊丹だよ
 勝死んではしゃぐ玉緒に目を覆う 

— posted by 本庄慧一郎 at 11:38 am  

「ニッポンの芸能人」シリーズ32


10年前(1995年)のメモ帳から。(その1)
 エラソーに言う気はないが、時代小説を書くという仕事は、のべつ資料と首っ引きということでもある。
 それで、本ダナ、資料ダナをあれこれひっくり返していたら、10年前(平成7年1995年)のメモ帳が出てきた。
 川柳ふうになっているけれど、その巧拙はともかく、ご笑覧のほどを。

(伊丹さん三句)
 レポーター(ハイエナ)利益(生き餌)供与のテレビ界
 それ自殺! 喜び勇んでしたり顔
 プライバシー食って荒らして視聴率

(ノーネクタイ三句)
 シラを切りうそぶき続けてノーネクタイ
 億兆と食い潰してのノーネクタイ
 蹴つまずく六道の辻のノーネクタイ

(風邪三句)
 香港の返還記念のウィルス菌
 焼鳥にウィルスという新薬味
 七面鳥代用チキンで香港風邪(かぜ)のイブ

(中学生三句)
 買春禁止令 収入減よと中学生
 居場所ないと麻薬売春人殺し
 コワイ可愛い聖子ピカチュウ中学生

(○カ月三句)
 “三カ月”アイドル妊んで記者会見
 “九カ月”たかがとうそぶく総会屋
 “十二カ月”しない夫婦の睦まじさ

 赤ちゃんを置き引きをする“出来心”
 殴殺と刺殺絞殺毒殺自殺
 ピカチュウよそこ退け減税のめくらまし
 わがものと思えば重し刑期かな
 日本人また居た事故の国際化
 あの美女にセクハラされたし羨まし
 温暖化ありがたいことだとホームレス
 なぜ!? まさか!? 考えられない!! ことばかり
 クリスマスケーキあきらめ刑期かな
 リストラをする側の人は刑務所へ
 阿呆テレビ地球温暖化の常習犯
 イブとやらケーキ不景気泣く刑期
 企業ダニに良心吸われて独居房
 新聞をネタに報道メディアだと?
 醜悪の二文字でくくる年の暮れ
 金欲の亡者どろ舟に舞い狂う
 イブとやら冬樹いじめの虚飾(イルミネーション)かな
 人間ならもう死んでるぜこの日本
 テレビという映像粗大ゴミばかり
 阿呆馬鹿のおちゃらけテレビ・ホームレス
 勝負事しか感動しない日本人
 タレントという名のテレビ・バカボンド
 故人(あのひと)がやったとくり返す破廉恥漢
 ぐじゃぐじゃと偽り固めのうそ人生
 冷蔵庫死体保存が流行(はやり)なり
 プライベート暴いて“感動のテレビ”だと
 公的という名で使われる“汚れ金”
 木偶(でく)にした自分を哀れむ泣きっ面
 欲まみれカネ恥まみれの人が逝く
 一度きりの人生に刻む“前科者”
 早呆けの曖昧喜怒なし哀れあり
 虚偽手錠拘置所裁判車椅子
 欲呆けの方から地獄に行きなされ
 事故殺人 変節金欲 世紀末
 高 齢 者(じじばば)の心中ありて寒ざくら
 晩節ということばありけり冬の霧
 欲呆けは六道の辻で蹴っころび
 お気取りと知ったかぶり(ペダンチック)のへぼ俳句
 欲呆けと堕落で迎える開戦日(十二月八日)
 醜きは身のほどしらずの悪はしゃぎ
 中学生売春をうそぶくしたり顔
 買春と回春・懐春また悔悛
 ムシャクシャが動機とうそぶく凶悪犯
 冷蔵庫タンス衣裳箱ゴミ袋
 既成文棒読をするアブラ顔

— posted by 本庄慧一郎 at 11:37 am  

「ニッポンの芸能人」シリーズ31


過密と過剰と劣悪化。
 仕事の打合わせで久しぶりに渋谷に出かけた。
 以前はトコトンなれ親しんだ街だった。
 現在の渋谷の街の印象は〔異常〕だった。
 その異常さは〔過密〕と〔過剰〕と〔劣悪〕のファクターによって進行し、重症化している。
 街のそこここにたむろし、徘徊する若者たち男女と、彼らを顧客として待ちうけるさまざまな店の虚飾と虚構は、ドサ廻りの見世物に等しい。
 それは、新宿や池袋や、原宿や六本木等の盛り場に共通するいかがわしさ、卑しさだ。
 そこにあるものそっくりが、過密と過剰と劣悪の極彩色に塗りたくられている。
 いずれも「こんなシチュエーションはそのまま犯罪に直結するはず」の直感を余儀なくされるし、またその直感は日々、現実に立証されている。
 珍奇なファッションで街角にたむろする若者たちは犯罪とかかわらずにいられないだろう――? そう思わざるを得ない。

JR西日本とTV業界とそこに働く者たち。
 効率(利益)最優先のJR西日本の体質とテレビ業界の体質は、そっくり同じである。
 つまり、テレビ業界の効率最優先とは、〔視聴率――利益〕最優先と同義語である。
 かのホリエ騒動のとき、テレビ業界の人間が公共性だの情報性だのと口走ったが、永らくテレビ業界に働いてきたぼくとしては、ひたすらチャンチャラおかしかった。
 近頃、エンタ−テインメント番組のすべてが、おちゃらけと出演者のバカ騒ぎで終始している。
 とりわけ週末におけるソレなどは、10代の渋谷のガキと似たようなのをウロウロさせて、出演者だけで勝手に騒いでいる。
 そこに挿入されるCM群の、これまたヒドイこと。どれもこれも図にのってバカ騒ぎをしている。制作スタッフの感覚もダサイが広告主の愚かしさにも肚が立つ。
 それと(元ギョ−カイ人間として言うが)、番組のCM頻度がやたら多い。あれはCMの放送規定を完全に無視している。
 ある歌謡番組を眺めていたら、ほとんど1、2曲ごとに愚にもつかない悪ふざけCMがのさばっていた。間違いなく規定違反だと思う。
 5月15日(日)の朝日新聞の「声」欄の「CMが損なう事故の厳粛さ」の意見を待つまでもなく、ニュース情報番組における劣悪CMの跳りょうは言語道断である。
 「懸命な救助活動、安否を気遣う家族、親や子ども・友人らを失い悲嘆にくれる映像が突如変わると、歌い踊り、飲んだり食ったりのばか騒ぎのCM……」という憤激の意見も、民放の責任者たちには「馬の耳に念仏」だろう。
 経営責任者にも制作スタッフにも、〔常識〕という自覚が欠落しているのだ。

卑しくあさましい遊びたがり屋たち。
 職場の懇親と称して、卑しくあさましく遊びたがるのはJR西日本の連中ばかりではない。
 大阪市役所の連中も、道路公団の連中も、のべつ赤坂あたりの料理屋に出入りする政治家や役人たちにも、自分のカネを使わない遊びや飲み食いは日常化している。
 それに、テレビやCMギョーカイの連中も同病である。
 飲み会・カラオケ・ボーリング? いや、たいてい賭けマージャン・賭けゴルフ、あげくは……ホントにまあ、どちら様も卑しくあさましいようでね。
 ひと昔前、CM制作にかかわっていた頃、Dという広告代理店の者などは、海外ロケというと会社から出張費や手当てをもらいながら、実際の費用は制作会社に負担させて、ロケ先で女などと遊んでいた。
 あんなギョーカイにいると、やがてはやはり、〔異常〕が〔正常〕に見えてくる。それもイヤでぼくはエスケープした。

 人生のダイヤグラムの過密と、やたらバカ騒ぎしながらの遊び過剰と、そして自己喪失と……。
 いや、〔過密〕と〔過剰〕のウズの中心には、人間としての心を喪失した人間たちが騒いでキリキリ舞いをしているのだ。
 いま地方都市の〔空洞化〕が深刻だとか。
 故郷をおもちのみなさん、〔過密〕と〔過剰〕と〔劣悪〕の都会からぜひご自分が生まれ育った場所に帰って、なんとか知恵をしぼって、自分の一生を悔いのない着実なものにして下さい。
 東京で生まれ育ったぼくの、切なるお願いです。

— posted by 本庄慧一郎 at 11:36 am  

「ニッポンの芸能人」シリーズ30


フリーターとニート。
 たとえば、ぼくの税務申告上の職種は「文筆業」である。別の分類では「自由業」というのもある。いま風にいうと「フリーター」となるのかね?
 近頃、ハヤリ言葉のように使われる「ニート」がある。これは造語である。
(英語の「Not in Education(学校教育)、Employment(雇用)、or Training(訓練)の頭文字「NEET」をつなげた造語)
 フリーターとニートの違いは、明確である。
 フリーターはパートやアルバイトで働いているが、ニートは一切労働をしない。ばかりか学校にもいかない。なにもしないのだ。
 生活はつまり親がかりなのである。
 いまぼくは時代小説を書いている。1日400字詰原稿用紙15枚が目標で、なんとなく売れっつ子小説家風(?)である。
 当初は演劇を志し戯曲・演出を学んだ。(師は劇作家三好十郎・小沢不二夫)その後、ラジオ・テレビの放送作家としてゲンナリするほど仕事をし、やがて飽きてCM界に転進。
 ラジオ・テレビのコマ−シャルの企画・コピー・制作、加えてCM音楽で作詞・プロデューサーでセコセコとずいぶんやった。
 が、それもイヤになって時代小説(エンターテインメント)にフィールド変更する。
 そして現在である。
 時代小説を書くかたわら、いませっせと舞台の脚本を書く気になっている。すでにもう来年2006年、オリジナル1本、原作提供1本の内定があり、企画としては5作品の舞台脚本の具体化の準備をしている。
 なんのことはない、この経歴は「文筆フリーター」なのである。

正常と異常ということ。
 物書きの仕事は座り仕事だ。山のような、というより古本屋のような資料の本に囲まれて、せっせと原稿用紙のマス目を埋める。
 そんなぼくが、たまに新宿や池袋のラッシュアワーに遭遇することがある。
 あの混雑の風景は異常だと痛感する。まるで無表情な群集が、「当然のようなカオで」黙々と動いている。
 そしてヒンパンな電車の発着と、押しあいへしあいの満員の車内――急病人やケガ人が出ることや、暴力や殺人にいたる事件の発生や、痴漢が日常的に跳りょうすることは「当然」と思えてくる。
 いちばん気になるのは、あの「異常」を「正常」としている群集(サラリ−マン・OLたち?)の人々である。
 その精神の慣れには、怖い副作用があるとしか思えない。平気でいるという「構え」の裏側に、自分を「ないがしろにする」という自虐性がある。その蓄積がいずれ……と、気にせずにはいられない。
 いや、最近の交通事業の責任者(航空・列車電車・バス・タクシー等をふくめて)たちの自覚の稀薄さ。さらに運転管理業務にじかに携わる者たちのプロ意識と技術の劣悪さ――設備や機器の性能低下と不備とあいまって、事故が発生しても止むを得ないと考えている。

働かない、学ばない。下積みはイヤ。
 ニートという名でくくられる若者たちが激増しているという。
 前回にもふれたが「ホリエ主義」とやらの若者たちはテンから下積みという経験を拒否している。これはまた異常としかいえない。
 そんな都合のいい人生があるわけないのだ。
 時代小説の資料のなかに、旗本や御家人(はたもと・ごけにん――幕府直属の武士)の家では、家門を継承する長男以外の子弟を「厄介」とか「冷や飯食い」といってないがしろにした。
 寝泊まりする場所や朝夕の飯は与えられるものの何もすることがない。彼らは「旗本奴」などと名乗り世の中を騒がせ、周囲から白眼視され、あげく彼ら自身の人生もめちゃくちゃにしたのである。
 要するに彼らはたんなる怠け者なのだ。
「猫は魚が大好きだが、自分が水に濡れるのは大嫌いである」とイギリスの劇作家であるヘイウッドが言っている。
 努力しないで楽したい? 「我輩はネコになりたい」なんて小説でも書くかな。

— posted by 本庄慧一郎 at 11:13 am  

「ニッポンの芸能人」シリーズ29


三つの事象は「同病同根」
 JR尼ケ崎脱線事故の悲惨さは、イラクの戦争のシーンと重なって見えた。
 突如として起こった脱線事故と、有無をいわさぬ空爆によって現出する「悲惨」は酷似している。共通している。
 そこには、無思慮と無責任と「勝手極まる論理」がのさばっている。その点で「同病同根」である。
 4月28日付日本経済新聞の「働くということ・2005」を読む。「ホリエ世代・自由と焦燥」というサブタイトル。ライブドアで働く者とそこに謂集する若者たちをルポする。
 ホリエ氏のライブドアでの社内事情――その一つの結論として彼らが「下積みは想定外」(つまり拒否)という点を挙げている。
 だれもが既成の常識に捉われず、自主的に企画し、行動する「自由」がある。しかしそれを「売り上げ」という実績で示せなければ即、クビに直結するという。
 「社員はすべて〔いくらもけるか〕ばかりを口にする」とは現社員のことば。
 このレポートを読んで即、JR事故を想起した。
 言うまでもない。「列車運行のスピード化・効率化最優先主義」が事故の最大原因。そして「利益最優先」と「効率最優先」は同質だということだ。
 さらにもう一つ、テレビ業界の「視聴率・利益優先」の狂奔も前者の場合と「同病同根」と言っていい。

公共性の無視と欠落。
 ホリエ問題の混乱のさなかで、またNHKのスキャンダル問題のさなかで、都合よく公共性という言葉が使われた。
 まっとうな意味での公共性をとうの昔に度外視してきた者たちの、公共性にかかわる詐術的発言に失笑し、なおかつ肚を立てた。
 このH・Pではもう何度も書いたが、現在の政治家・役人・大企業の経営者たち、また医療関係者たちなど多くの者たちに「公共性」にたいする理解や自覚は欠落している。
 ガン首を並べてのとりあえずの「お詫びのあいさつ」の態度や表情のどれ一つとっても、鈍感と偽態しか感じられない。

メディア暴走と狂躁。
 テレビ出演者やCMなどの悪ノリや無節操やデタラメさは、さいわいにも死傷者続出という悲惨な事故に直結しない。
 現在のテレビ・メディアの多くの出演者や番組やCMの制作者たちの思い上がり、勘違い、そして視聴率最優先の局のダイアグラムにのったその姿勢は、交通事業だったらとうに大事故多発現象を惹起しているだろう。
 いうなれば「まっとうな感性と判断力と技術を有する運転手の不在」なのである。
 しかも、そこに群れ寄ってくる者たちはすべからく一獲千金のあさはかな夢を見る者たちだ。
 ホリエ教に群がる若者たちが「下積み拒否」を標榜していることの本質は、同じ一獲千金の偽装にすぎない。
 老醜を晒す老人たちのアナクロニズムは追放したいが、イージーな一獲千金がたやすく通用すると考える若者たちの愚かしさには、ただ口あんぐりである。
 たとえば、似たような場所で育ち、生きてきた芸人(タレントとかコメディアンとか)の例を挙げると、一方に一回のテレビ番組出演でン百万というギャラを得るものがのさばり、その一方では前途を悲観して自宅マンションから投身自殺をする者がいる。
 そんな衝撃的な結果にならずとも、マスコミという理不尽な世界で翻弄されたあげくの異常ストレス(正常ストレスもある!)から心身症やうつ病に陥ったり、ガンや糖尿病などで辛い生活をしている者は目を覆いたくなるほど多い。
 現在テレビなどでイイ気になっている者の精神やからだは、いずれ壊れると思う。
 たとえからだが維持できても、精神や心が壊れてしまっては「長寿」の意味がない。
 JR尼ケ崎事故とホリエ世代の生き方と、そして現在のテレビメディアの狂躁には、「効率優先」という名の異常がある。
 考えるものイヤな「現代三題ばなし」だ。
 ひたすら「生き急ぐ者たち」の行方は――?

— posted by 本庄慧一郎 at 11:12 am  


*** お知らせ ***
自主CDを制作
21.1:130:128:0:0::center:0:1::
平和を願う歌
「鳥になれたらいいね」
総合プロデュース:本庄慧一郎
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