「ニッポンの芸能人」シリーズ41
2005/7/25
前進座の中村梅之助の68年間。
さる6月25日付の朝日新聞の文化芸能欄の「清貧貫き前進座の志守る」のコラムを再読する。
前進座は来年2006年には創立75周年を迎えるという。
中村梅之助の父親は、名優中村かん右衛門。息子はテレビでおなじみの中村梅雀。
かん衛門はコンビの河原崎長十郎とともに劇団前進座を興した。
前進座は「演劇コミューン」として、日本で唯一のコンセプトのもとに、吉祥寺に劇場とけい古場と共同生活の拠点を創設した。
中村梅之助は7歳から役者として集団生活をはじめて68年間経ったという。
「劇団員の給料は7段階に分かれていますが劇団代表の私と一番下の者では20万円と違わない」という文章がある。
中村梅之助や前進座の舞台をじかに観たことのない人も、テレビの「伝七捕物帳」のあの役者(あるいは、指でヨヨイのヨヨイのヨヨイのヨイと調子をとるフィナーレの)といえば思い出されるだろう。
「伝七」のほか「遠山の金さん」など800本ほどの番組に出演した人気スターだった。
だが彼の説明によればその出演料のほとんどが劇団収入になり、個人のふところを潤してはいないとか。
〔清貧〕という生活
現在のゲ−ノ−界、とりわけテレビ界を右往左往する連中にとっては〔清貧〕という言葉は死語だろう。
こんなヤツがどうして? という「人生狂い咲き」のような人間と、どうにもこうにも手のつけようのないゴミのようなビンボー・タレントが混在してうごめいているテレビ界だが、しょせん〔清貧〕といった質の者は見当たらない。
コントやマンザイやバラエティ志願の者はひとからげにして、ひたすら卑しく、あざとく、下品である。
新劇といわれた「志ある劇団」は?
ひと昔まで、日本の演劇界には「新劇」という一分野が厳然と存在した。
たとえば劇団民芸、劇団俳優座、そして劇団文学座。その他、ここから分派分裂した中小劇団は枚挙にいとまがないが、その三大劇団の最近の活動はまるで冴えない。やっとこ具体化した正規公演もいまさしたる評価も成果も稀薄だ。
なにしろ、三大劇団の主だった俳優たちもせっせとバラエティ番組でおちゃらけたり、アイドル風タレント主役のワキでお茶を濁しているのが現状なのだから。
もちろん、舞台の公演にたいしてはそれなりの努力はしているのだが、これがさっぱり面白くない。魅力がない。
けっこう高い入場料を払ってよく劇場に出かけるが、たいてい「?」か、不満だらけの「!」である。
三好十郎著「新劇はどこへ行ったか」
上記のタイトルの三好十郎著の本は昭和55(1980)年に出た。(東京白川書院)
三好十郎には書斎での口述筆記の手伝いやら、短期間ながら劇団戯曲座の文芸演出部員として、じかにその馨咳(けいがい)に接している。
つまり三好十郎はいまから四半世紀以前にいわゆる新劇という分野の演劇が骨抜きになることを予言していたのだ。
ちょっとばかし収入がよくなると誰しもさっさと初心などかなぐり捨てる。つまりは金の儲からないシバイなんか捨ててさっさとテレビ・タレントになるというわけだ。
金まみれ・欲まみれ。そして……。
テレビ業界には「成り上がり者」がワンサといる。
すでに成り上がり企業家の醜聞まみれの凋落劇をいくつも見せつけられてきたが、ゲーノー界にもこの人種は多い。
ただワーワー・キャーキャー自分たちだけで騒いでいるような番組でごっそり貯め込んだタレントも、時を経ずして、というより、あっというまにガタガタになる。要するにからだを壊すか心を歪めるか、はたまた家庭を崩壊させるか……。
それやこれやを思うとき、中村梅之助の上記のコラムの一文をあらためて思い出す。
「私は貧しい俳優です。だからいいのです。そうでないと貧しい人の気持ちがわからない。一杯のラーメンを本当にうまいと思う人間にならないといけない」
手元にある「創立55周年・グラフ前進座」というアルバムの頁をくる。
歌舞伎の古典から現代物の創作劇、そして青少年劇場まで多彩なレパートリーと活躍の記録――こういう演劇集団の価値をまともに評価しない国、それが日本なのだ。
テレビ業界も今後急速に通信メディアとの連携で大変革するだろう。
あのチリ・アクタのような騒音タレントが消えてくれるといいなあ。
— posted by 本庄慧一郎 at 05:13 pm
「ニッポンの芸能人」シリーズ40
2005/7/18
CD「リンゴ追分・これくしょん」
この6月(2005年)、美空ひばりの17回忌ということで、テレビの歌番組でくり返し美空ひばりが〔登場〕した。
そして、この7月、彼女が所属していたコロムビアから「リンゴ追分これくしょん」というCDが発売された。
作詞小沢不二夫、作曲米山正夫、歌美空ひばり「リンゴ追分」オリジナル(昭和27年、1952年録音発売)を第一曲目として、14曲の「リンゴ追分・バリエーション」が収録されている。
つまり、尺八、サックス、オカリナ、ピアノ、ヴァイオリン、フルート、三味線、そして、アルゼンチンタンゴ、フル・オーケストラ、さらにジャズボーカル、ロック……まで多彩な演奏スタイルとアレンジで「リンゴ追分・ワールド」が展開する趣向である。
したがって、テイストは「懐かしくて新しい」である。
小沢不二夫はぼくの叔父で師匠
作詞の小沢不二夫は劇作家であった。
36歳で逝ったぼくの母の弟にあたる。つまり叔父であった。
この叔父小沢不二夫も52歳という作家としての最盛期に逝ったのだが。
昭和27年(1975年)、ラジオ東京(TBSラジオ)の放送劇として「リンゴ園の少女」がスタートした。脚本は阿木翁助、堀江史朗、そして小沢不二夫。(ぼくは大先輩阿木翁助、堀江史朗両作家にもじかにお目にかかっている)
この裏番組として前記お三方とは親しいお仲間の菊田一夫作「君の名は」(NHK)がスタートする。視聴率はデットヒートを展開するのである。
「リンゴ園の少女」は映画化されて、その主題歌として「リンゴ追分」が制作された。(映画でのひばりの父親役は、山村総であった)
7月10日、夕方の電話
その電話は叔母である小沢弥生からで「これから家へ来られるかしら?」であった。
叔母(つまり小沢不二夫のパートナー)は、叔父と同様、あの新宿ムーランルージュの舞台に立っていたひとである。いまも健在で、折をみてはよくおじゃまする。
叔母と甥という近しいかかわりもあるのだが、ぼくのワイフもまたいろいろとお世話になっているのだ。
というのも叔父と叔母が、私費を投じて庭にけい古場を建て、「むさしの演劇ゼミナール」を始めて、ワイフは演技部、ぼくは文芸演出部に所属していたのだ。
したがって、いまもの書きとして夫婦仲良く暮らしていられる基に、師としての叔父と叔母が存在するということである。
その叔母小沢弥生が「このCDを一日も早くあげたいと思って……」と、電話をくださったのだ。
その日、叔母とワイフとぼくの三人で、しみじみとCDを聴いた。
そして、その帰りに、叔母はペアの湯呑みをプレゼントしてくれた。
大きいほうの湯呑みは叔父小沢不二夫が愛用していたものという。
一緒に下さったお茶をいれて、その湯呑みで味わうお茶の味わいには、「人と人のえにしの和やいだ香り」があった。
竹中労氏の「美空ひばり論」
ルポライターの竹中労にはさまざまな芸能に関する著作があるが、彼の美空ひばり賛歌はン十年も前からだった。
音楽評論家の中村とよう氏(ビートルズ日本公演の以前からぼくは東芝EMIの音楽番組の構成をいくつもやっていたので、中村とうよう氏ともじかにお目にかかっている)は、竹中の熱狂的な美空ひばり礼讃論に、「もういいかげんにしたら」と忠告したとか。
ちなみにぼくは、横浜伊勢崎町にあった横浜国際劇場で、かわい子チャンだったひばりのステージを見ている。
ところでこのCDのライナーノートは鈴木啓之氏が書いているのだが、次の一文にぼくは、小沢不二夫との叔父・甥の関係を離れて、心から共感の拍手をした。
――「(ひばりの)晩年の傑作「川の流れのように」は、美空ひばりのために書かれ、歌われた作品であるが、「リンゴ追分」は、美空ひばりが日本人のために歌った作品であった。不朽の名作は世代を超えて、これからもずっと歌い継がれてゆくことだろう。
小沢不二夫7回忌法要の折の記念写真には作曲(「津軽のふるさと」では作詞も)の米山正夫氏が写っているが、その米山氏もいまはいない。
— posted by 本庄慧一郎 at 05:14 pm
「ニッポンの芸能人」シリーズ39
2005/7/11
広瀬隆著「私物国家――日本の黒幕の系図」
上記の本は1997年発行(光文社刊)だが、いまあらためて頁をくってみると、現在の政治・経済・行政・金融などの現在の腐敗ぶり、堕落ぶりの源流・底流が手にとるようにわかる。
それにしても、ほんとうに日本及び日本人のダメさかげんは、どこまで堕ちるのか。
本のオビには「税金を私物化した金融集団……」とあって、ざっと50人ほどの「税金横領に狂奔した人物」が実名・写真入りで列挙されている。
すでに、汚名をかぶったまま逝った者も多いが、現在もぬけぬけと、正義漢づらしてのさばり歩いている奴も大勢いる。
この著者が列記している各人の〔犯罪〕はすべて利権と多額な金である。
たとえば、公共事業にかかわるゼネコン談合の元締めと目された故金丸信は、百億の不正蓄財にうつつをぬかし、巨額脱税で逮捕されたが、その車椅子の姿の末路はただ憐れだった。
そのほか、欲まみれに金まみれの50人ほどの悪徳集団代表の中には、あらためて目を見張らせる奴がいるわ、いるわ……。
それから8年後のいま……。
すこしも国家私物化、国税浪費の悪習慣は変わらぬばかりか、ますますエスカレートしているのだ。
いま、サラリーマン対象の大増税が実施されようとしている一方で、消費税の増額なども目前に控えている。
そして、年金支給額の減額、社会福祉予算の削減や切り捨てなど、すでに実施されている。
かねてから腐臭を放っていた道路公団などをはじめとする天下り族の跳りょうや、そこに絡まる〔不正談合〕の実態など、ほとんど底なし状態という様相を呈している。
コメンテーター&ゲストたちの仮面
この本に登場する悪徳集団メンバーの中には、あいかわらず政治家づらしてカッポする者がいる。
そんな奴が、トーク番組やニュースワイド番組でコメンテーターとして、またゲスト出演して、政治改革なんてことをエラソーにしゃっべている。
テレビの番組制作者たちの不勉強さや見識のなさにはウンザリしているが、こうなるともう「しょうがねぇなあ」では済まない。
ジャーナリズムの公共性とか、報道の真実性などという信条とはまるで乖離(かいり)している。
公金お手盛り列島、全10段の記事。
今年の3月21日付の朝日新聞「公金お手盛り列島」の全10段の記事を再読する。
いま当面、増税の標的にされているサラリーマン諸君は、こういう記事を読まないのかね。読んで肚を立ててないのかね。
満員電車と職場で、怒るというエネルギーも使い果たして、インポになってしまったのだろうな。
居酒屋などでショーチュウ呑んで、ゴルフ談義や愚にもつかない世間ばなしやカラオケなんかにうつつをぬかすエネルギーがあったら、すこしは肚を立てなさいよ!ねぇ、諸君!
「飼いならされたポチ」とは、コイズミ氏だけのことじゃない。理不尽な大増税にも平然としているサラリーマンも、そして肝心の選挙民も……とってもブキミだよねぇ。
戦後60年、あらゆるモノが疲弊(ひへい)しているというが、日本人の不感症度はますますエスカレートするんだろうなぁ。
日本という船に乗っているのが、とてもツライね。
そのうちに大地震でも発生して、この「私物国家」は天罰をうけることになるのか。
ああ。
— posted by 本庄慧一郎 at 05:15 pm
「ニッポンの芸能人」シリーズ38
2005/7/4
お三方の訃報――水島弘さん。
劇団四季の創立メンバーである俳優水島弘さんが亡くなられた。72歳。
劇団四季の初期、確か現役で活躍する日下武さんなど7人のメンバーのお一人だった。
ぼくのイトコに水沢有美という女優がいて、彼女が5歳か6歳のとき、浅利慶太さんに頼まれて「せむしの聖女」に出演することになり、ぼくが付き添ってけい古場に通った。
水島さんはがっちりした体と、低くてよく透る声と、黒い髪の男らしい顔の俳優だった。
ご実家は現在のぼくの仕事場に近い西武新宿線上石神井に近いタタミ屋さんで、「ご実家知ってますよ」というと「へえ、そうですか」と相好をくずして答えられた。その親しげな表情をなぜか鮮明に記憶している。いまもそのご実家はある。
同じスターティングメンバーの日下武さんとはTBSラジオ(当時のTBSブリタニカ提供)の番組を構成していてずっとご一緒した。トヨタ自動車のCMン10本にも出演してもらって、ぼくがキュウを出した(演出した)。
番組の内容は「サイエンスを楽しく」だったので故竹内均先生にも親しく教えを乞うた。
当時、叔父の劇作家小沢不二夫の家には同じ劇団四季の田中明夫さんもよく遊びにきていた。ラジオドラマ「風雲黒潮丸」で達者な演技を披露していた。彼も故人になった。
それにしても、国鉄労働会館ホールや一ッ橋講堂での四季の公演の若き日の浅利慶太さんの印象もはっきり記憶している。
お三方の訃報――松村達雄さん。
黒沢明監督の最後の作品になった「まあだだよ」。CM時代の親しいクリエイティブ仲間(TVCMをン10本も一緒に作った)内田健太郎さんと、「まあだだよ」のメーキングフィルム(制作記録)を作った。
朝9時からの東宝撮影所。内田百けん役の松村達雄さんが、タバコなどを吸って学生が騒いでいる教室に入ってくるシーンだったが、黒澤さんが何度も松村さんの演技に注文を出し、結局午後4時ほどまで同じことをくり返した。
松村さんはムクれもせずたんたんと演技をしていた。(そのなりゆきをじっと「寅さん」の監督の山田洋次さんが見学していた)。
松村さんといえば「寅さん」だが、たまたまある番組に20名ばかりの若手俳優を引率していったぼくは、出演待ちの控室で、まだ無名だった渥美清さんとうんざりするほどの待ち時間をお喋りした。
浅草やストリップ劇場のことを、彼は面白おかしく語った。サービス精神の旺盛な彼のあの四角い顔を忘れない。
そういえば、松村さんが主宰なさっていた「五十人劇場」の舞台も観た記憶がある。よく、高円寺や阿佐ヶ谷の町でもお目にかかったなあ。
お三方の訃報――水藤五朗さん。
練馬文化の会というのがある。画家や演劇人や一般の人たち200人ばかり)の親睦団体だ。
その創立35周年記念イベントとして、地元の練馬石神井三宝寺池にかかわる史話「豊島一族石神井城落城悲話・照姫散華」を舞台化する企画があった。
会員の琵琶奏者であられる水藤五朗(すいとうごろう)さんの琵琶の演奏と語りでいうということで、ぼくが原作を書いた。
ラジオ・テレビの台本、TVCMの企画コピー、ン百曲というCMソングの作詞、そして時代小説や舞台の脚本……いろいろ手がけたが、〔琵琶の台本〕は未経験だった。
水藤さんはぼくの原作をアレンジして下さり、練馬公民館で上演。琵琶の音色をじかに聴くのも初めてという人たちの熱い拍手をあびた。
少し高めのお声、むしろ童顔といえる若々しいお顔。そしていきいきと豊かな表情――。
とても61歳で急逝されるとは思えないお元気さだった。
イヤな奴ばかりが目につく。
ぼく個人としては、ほどほどに真面目に、そして他人に迷惑をかけないように不真面目でいたいと思ってやってきた。
でも近ごろのゲーノーやTV界には、(いや、一般の政治・社会も!)デタラメな人間ばっかりで、こっちはついついブレーキをかけざるを得ない。
政治に弱い者いじめはさらに度を加えているが、幼い子どもや高齢者をいけにえにする輩の跳りょうには、ほとんどアタマにくる。
いま書いている時代小説のテーマは「法で裁けぬ悪党を裏で始末する」だが、まったく野放しにしておけない恥知らずの〔下等動物〕みたいな奴らめ、不快きわまる。
2006年6月……水島弘、松村達雄、水藤五郎の皆さん、あちらへいったらまた仲良くしてください。〔とりあえず〕ご冥福をお祈り申し上げます。
— posted by 本庄慧一郎 at 05:16 pm