「ニッポンの芸能人」シリーズ53
2006/4/28
映画「寝ずの番」について。
アメリカ映画「プロデューサーズ」に続いて、日本映画「寝ずの番」をワイフと観た。(そうだ「プロデューサーズ」の前は「有頂天ホテル」を観ている)
「寝ずの番」(原作中島らも)は、監督マキノ(津川)雅彦。
日本映画草創期をリードしたマキノ雅弘の甥になる俳優津川雅彦第一回監督作品となるこの作品、一人の落語界の御大の死をめぐっての、親族と弟子たちの通夜をめぐるテンヤワンヤを描いた笑劇(farce)である。
いわゆる「オトナのバレ話」であり、「玄人好みの楽屋オチ譚」である。
当然、古典落語そのもののネタも出てくるし、かつてお座敷芸として演じられていいたアブナイ裏芸も登場する。
とりわけ、主人公の笑満亭橋鶴がヒン死のベットで「ソトが見たい」と息きれぎれに呟いたのを弟子が「ソソが見たい」と聞き違え、別の弟子の若い女房がベッドの病人の顔の上に仁王立ちして、ソレを開陳するというユニークなエピソードでさんざんに笑わせる。
このハナシは、ぼくも何年か前に小説に書いている。モトネタは、浅草で人気を集めた歌手田谷力三が死期近いベットで「空が見たい」と言ったのを「ソソが見たい」と聞き違えた弟子が、ストリッパーを連れてきてたっぷりナニを開陳した――と浅草芸能史にあるのだ。
それにしても、艶歌・ワイ歌・バレ歌などとそれに伴う珍芸・裏芸の連発でおもしろかった。(あの種の演出はやはり津川雅彦サンのキャリアがフルに活かされているのかと思わざるを得なかった)
美少年津川雅彦のこと。
ぼくの叔父であり物書きとしての師である劇作家小沢不二夫(新宿ムーランルージュ出身)は、民放ラジオ・テレビ、それに舞台のホン(ムーランはもとより、不二洋子劇団・新国劇・新派など)を沢山書いていた。昭和30年代初めから、当時大人気だったラジオドラマも多作した。
その中の伏見扇太郎主演で映画化もされた「風雲黒潮丸」とか「月の影法師」(ニッポン放送制作)はヒットした。
この「月の影法師」は若き日の島倉千代子が出演していたし(スタジオでのスナップ写真がある)、そしてこの番組に出演していた津川雅彦は文字どおりの紅顔の美少年だった。
野球好きの雅彦クン(高校生だった?)がある日、叔父の家の近くのグラウンドで試合があるとかで、あいさつに立ち寄ったことがあった。
素顔の彼はほんとうに快活な美少年で、同性でもそのハンサムぶりにはうっとり見愡れたものだ。
そして現在の彼の――そのキャラのユニークさと迫力には???!!!でまた魅かれる。
達者なワキ役たちについて。
御大(長門裕之)のカンロク、その風情もスゴイなあ、と感嘆したが、取り巻きの中井貴一(パパの佐田啓二もイイ男だった)、岸部一徳(ご舎弟のシロー君とはラジオDJ番組で付合ったなあ)、そして富司純子。このヒトには藤純子で、あの菊五郎丈と結婚してスグ、CM(カネボウのヘア・シルク・リンスだったかな?)で自宅に参上、打合わせをした。
テーブルや家具の角ッコにはすべてスポンジが貼り付けてあった。
幼い愛児が頭や顔をぶつけるとイケナイ! という配慮だったのだろう。
その愛児が、現在の尾上菊之助である。(そして寺島しのぶである)
御大の夫人の志津子を演じる富司純子サンが唄う「オトナの歌」もまあ、ヌケヌケと楽しかった。
出演者の一人、堺正章も芸達者だが、彼のパパはあの堺駿二。
堺駿二はぼくの叔父小沢不二夫と「同じ釜のメシを食った仲」で、幼い時の正章少年とこのボクは一緒の風呂に入って洗ってやったことがある――とあるパーティでご本人に告げたら「へえ!」と目を丸くしていた。
もうお一人、吉野夫人という役名で自転車に乗って登場する浅利香津代は、親しくさせて頂いているベテランの女優さんだ。このところ、松平健の「マツケンサンバ」ブーム以来、とんとお目にかかれないが。いつも若くチャーミングな彼女の達者な芸がもっと活きる場がないかと思う。
さて、この「寝ずの番」のパンフレットの味のある筆文字、書いたのは緒形拳とある。拳さんは、叔父小沢不二夫作の脚本「石狩の空」(新宿第一劇場だった)の舞台げい古から見ている。花道を走り出てくる若き日の拳さんは「カモシカのようだった」と鮮明に記憶している。
その後、新国劇の「王将」や「国定忠治」の東劇の楽屋で、師の辰己柳太郎サンの疾の手当てをしてやっている彼の姿を見ていて――。
以上、この映画では、あれこれ「しみじみとしたノスタルジー」をも味わったのである。
— posted by 本庄慧一郎 at 05:00 pm
「ニッポンの芸能人」シリーズ52
2006/4/21
過剰なコマーシャルの不快と不信。
最近のテレビ番組のコマーシャルの分量がやたら多いと感じる。
もともとCM・広告業界で働いていた者だし、ラジオ・テレビコマーシャルも、それこそゲンナリするほど制作(企画・コピーライティング等)し、それを生業としてきた。(いまは、まったく無縁になって、セイセイした!)
当然、ラジオでもテレビでも提供番組のコマーシャル枠や、またステーション・ブレークと称する番組と番組の間のコマーシャル・タイムの放送規定があったのを知っている。
が、最近、ぼんやり眺めていて「やたらCMばかりじゃないか」とイライラすること、しばしばだ。局はルール無視をやっていると思われる。
しかも、政治や社会や、番組そものとはまるで水と油の、ほとんど無分別・無思慮な、というよりひたすら得手勝手な喚きコマーシャルが横行して恥じるところがない。
中でも生命保険会社のコマーシャルの多いことは異常ともいえる。
それぞれの「商品」の特長やメリットもさることながら、あんなに大量のコマーシャルの放送料をまともに支払って採算が採れるのか? はなはだ疑問だね。
すでに「損保ジャパン」なる保険会社の280人の社員が、与えられた契約目標の達成のため、自分で保険料の立て替えをしていた。しかもその違法の事実を会社が隠蔽していたことが発覚し、結果520人の処分をしたとか。
ユーザーの一人であるぼくは、「いつか採算割れして、保険会社が約款をいきなり変更するか、支払停止になるのでは」と不安になる。
消費者金融のうさん臭さとテレビ局の責任。
消費者金融が、いわゆる「サラ金」とよばれていた頃、テレビ局はその業種のコマーシャルを受け付けなかった。が、いつのまにか堂々と放送するようになった。
「悪しき成果主義」がバッコするのは保険会社ばかりではない。
広告代理店もテレビ局等も、企業体質・経営手法に大差ない。
アイフル等の消費者金融のコマーシャルのほとんどすべての表現はあざといキレイ事に終始している。しかも豆粒のような文字で一瞬に表示される約款は、あきらかに違法、もしくはそれに近い金利になっている。
アイフルにおける借金取立て役の言動や行為を報道番組で観たが、怒号と脅迫に終始する暴力団絡みの闇金融そのままだ。
精神科医の斉藤学氏はすでに、広告主とそのコマーシャルとテレビ局とに怒りの発言をくり返し延べているが、まったく肚立たしい限りだ。
イージーに借金する若者たちの哀れ。
全国の地裁・簡裁に「過払い利息の返還を求める」という人たちがン百人もいるというが、もともとイージーに借金する愚かしく軽率な人間も大ぜいいるのだ。
借りた金は約束の期限までに利子を付けて返す、これは、やはり実行せざるを得ないはず――いま江戸時代の小説を書いているので、当時の高利貸しとか、町人相手の強欲金貸しの実体をつぶさに調べる。
リストラを食った武士が浪人となり、生活費に困ったあげく金貸のワルに罠を仕掛けられて、女房や娘を女郎に売りとばすハメになったり、また、町角で売春させてその用心棒になり下がるなどという例はいくらもある。
どんな理由にしろ、イージーに借金する人間は自滅するね。(やむをえない理由があったとしても、相手が悪いのだ!)
いや、ロクに努力もせずにしこたまあぶく銭を得た人間も、やはりいずれ潰れる。
ニッポンのゲーノー界にも「虚の金」にキリキリ舞いをして、哀れに自滅していく者は多い。テレビのブラウン管にウヨウヨしているではないか。
「人生には二つの悲劇がある。一つは欲望を得ないことであり、もう一つは、欲望を獲得することである」パーナード・ショー。
その二つのいずれも捉われずに、分相応に暮らすということは難しいが、それこそが「健全に暮らす」ための必須条件といえるのではないだろうか。
— posted by 本庄慧一郎 at 05:01 pm
「ニッポンの芸能人」シリーズ51
2006/4/14
結婚式の披露宴はカラオケ大会かね。
ゲーノー人のド派手な結婚披露宴というのは、毎度「どういうつもり?」と呆れる。
松平健などといういいトシをしたオジサンが再婚したが、その宴席で、山本譲二という演歌歌手が、自分の持ち歌「みちのくひとり旅」を熱唱(!)したという。
♪ここでいっしょに死ねたらいいね〜 で始まる歌だ。
お祝いの席では、どんな理由があろうとも「死」なんてコトバのある歌や文言はさし控えるのが常識と思うが、そんなことを考えるのはもう不要なのだろう。
ずっと以前、結婚式の司会を頼まれたことがある。
たしか昭和44年4月4日でやたら「シ」がゾロゾロ並んだ。そこで親父に「こういう場合はどうしたらいいの?」と訊いた。そうしたら「シアワセの二つ重ねの日……とも言えばいいんじゃないか」と即答してくれた。
で、そのとおりにしゃべったら、地方から来られたお嫁さんのご親類の皆さんに大変おほめを頂いた。
無神経なのは若者ばかりじゃない。
マスコミ関係の仕事だったから、ずいぶんド派手な宴会やパーティにつき合わされた。
ある結婚式の披露宴では、某銀行のおエライさんであるオジンがスピーチに立った。と、このオジサン「お祝いの気持ちを託して一曲歌います」とのたまわった。
民謡には祝い歌がいろいろある。
たとえば?「いわき目出度節」(福島)とか「秋田大黒舞」とか、そうだ「秋田長持唄」なんかもいいね。あたりさわりのない定番では「黒田節」なんてのもあるけど。
しかし、この時のオジンは、何をどうカン違いしたのか「よこはま・たそがれ」を絶唱したのだ。♪あの人は、行って行ってしまった あの人は行って行ってしまった、もう帰らない〜
列席していたご一同様は熱烈に拍手したね。全員でギャグやっていた。(この五木ひろしのヒット曲は、レコード発売前のTBSの番組で作曲の平尾昌晃さんをインタビューしてギターの弾き語りで聴いたが、これは絶品だったが)
非常識はハレンチと同義語。
ゲーノー界には、「有名人」という名の非常識人がウヨウヨしている。
虚飾と虚名のステージに祭り上げられた者たちはほどんど例外なくおのれの人生を腐らせる。(ホリエとかナガタとかも同類だ)
それにしても、はるばると見上げるようなウェディングケーキを見せびらかしたり、ウンザリするほどの有象無象をかき集めてド派手な結婚式を挙げたら、ちゃんとまじめにお二人仲良く暮らしてほしい。
「二人の価値観の違いが――」とか「すれ違いでじっくり話をすることもなく――」とか、「それぞれの思いを大切にしたいから――」とか、ワケはそれなりにあるんだろうけど。
あの山本譲二とか銀行のオジンはやっぱりギャグかましたのかなあ。
となると「非常識はハレンチと同義語」はテッカイして、「非常識は大ギャグの裏返し」にでも変えますか。
— posted by 本庄慧一郎 at 05:02 pm
「ニッポンの芸能人」シリーズ50
2006/4/7
アメリカと韓国の歌手の日本の童謡唱歌。
「歌は世につれ、世は歌につれ」とは、ステレオタイプのテレビ番組のうたい文句だ。
現在のテレビでの音楽番組でオトナが快く楽しめる番組は稀少だが、日曜日朝9時の「新題名のない音楽会」には好感をもっている。
4月2日はアメリカのスーザン・オズボーンという女性歌手と韓国のRyuという男性歌手が、日本の童謡唱歌をうたった。
そのまじめで品性のある表現力が十分に楽しめた。
彼らは日本人がとくに親しみなじんだ歌曲をうたったのだが、日本語の歌詞を美しい発音と、そして悪ふざけや媚びのない二人の歌唱に会場の聴衆は惜しみない拍手を送っていた。
よく日本の人気歌手が童謡唱歌をうたう企画があるが、たいていは手垢のついたクセや浅はかなパフォーマンスでただ不快にさせられる。
若者たちに人気のある(らしい)桑田ナニガシなどは「たかが歌詞じゃねぇか」などと「歌のコトバ」をないがしろにして得意になっているが、スーザン・オズボーンやRyuの謙虚さや品性のカケラも持ち合わせないようだ。
(蛇足――ただしこの番組、内容はまあいいのだが、CMの出来の悪いのには呆れかえる! ホントにセンスを疑うね)
若者たちの歌はしょせんド演歌だ。
現在、いわゆる「演歌」という種類の楽曲はまるで売れないらしい。
あの種の歌の内容はまったくカビが生えたような内容のものばかりだ。
捨てられてメソメソと酒を呑む女か、その逆のだらしない男の場合か。なんにしても昔ふうにじめついた男と女の泥くさいベタベタ物語なのだ。
では、若者のオリジナル曲はというと、さすがに「人妻」だの「不倫」だのというモチーフはないが、だいたい「別れ」にまるわるセンチメンタル・ソングが大半だ。
その点、曲のファッションは今ふうでも、テーマやモチーフはド演歌と大同小異でうんざりする。
おまけに未熟な歌唱力ゆえに歌のコトバが鮮明に伝わってこない。
テレビのスーパーがなければ、その内容はほとんど理解不能だ。
だからどれを観ても聴いても、ブラウン管の中だけで、つまり「自分たちだけで完結してしまっていて」送り手であるはずの彼らのエモ−ションはまるで視聴者であるわれわれに伝わってこない。
こんな「ハンパな歌」に慣れてしまうと、たちまち「音楽センス馬鹿」になる。
「ミュ−ジック・フェア」という番組の場合。
この番組は長寿番組だ。ずっと好感をもっていた。が、最近、企画や内容に違和感をもってきた。
3月中には何十周年だかの記念番組(大阪ホールでのライブ公禄)をかいま観たが、出演者がこぞって悪ハシャギしているだけで、テレビ視聴者の存在を忘れているような無神経な出来だった。
とりわけ、いいトシをした歌手やジャズの弾き語りのオバサンたちの図にのりようは、ただ醜悪だった。
あえて我田引水! ということで。
06年3月29日新宿文化センター大ホールで「新宿平和都市宣言20周年記念」と題する新宿区主催のイベントがあった。
ぼくは昨年来、「平和を願う歌」を作詞して、親しい友人・有志の協力で楽曲化し、なんとかCD化する作業を続けてきた。
そのシリーズで6編の作詞(このHPのエッセイパ−ト2、第5回でも公開している)のうちの「鳥になれたらいいね」(作曲 園田容子)を新谷のり子さんがこの催してうたってくれた。
新谷のり子さんといえば「フランシーヌの場合」(1969年)という大ヒット曲があるが、ぼくは正直いって、いまの新谷さんとお会いし、そのステージでの歌唱に触れて素直に魅かれた。素敵だった。オトナの鑑賞にふさわしいものになっているということだ。(ぼくの作詞でなくともそう言える)
彼女の平和にたいする熱い思いの語りくちも、歌そのものにも、「大きく成長した」魅力があった。
いいトシをして悪ハシャギせず、コトバをないがしろにしない歌い手や作曲家とじっくり腰をすえ、オトナの人たちに耳を傾けてもらえる楽曲を創っていきたいとあらためて意欲している。
— posted by 本庄慧一郎 at 05:03 pm