音楽が好きだ。
よく冗談半分で言う。「武道館のビートルズ公演を取材した時代小説作家」と。
たんなる音楽好きというより、音楽とかかわる〔仕事〕をずいぶんやってきた。
東芝EMI(現在はEMIはない)のラジオ番組の構成ほかでは、ポップス・フォークソングをはじめあらゆるジャンルのサウンドを聴き、DJ風に構成した。
いまも素敵な演奏を楽しませてくれるクラリネットの北村英治さんとは「文明堂ハニー・サウンド」でずっとご一緒したし、ジャズピアノの故八木正生さんとは、作詞・作曲のコンビで数えきれないほどの楽曲(主にCM)を作った。企画・作詞・制作でかかわった楽曲数は250〜300曲はあるだろう。(時代小説の原稿書きで忙しい毎日だが、この2月には旧友の依頼で昭和6(1931)年創立の大手運輸会社の社歌を作詞した)
コンサート「立原摂子の世界」/六本木スィート・ベイジル
ぼくの周囲には素敵なミュージシャンが大ぜいいた。いや、現在もいる(!)。
そのうちのおひとりが立原摂子さんだ。
昨夜(07’.2.22)、六本木スィート・ベイジルでのコンサートも良かった。
クラシックをベースにした、作曲・編曲、そしてピアノ演奏というステージには〔品格〕があり、上質のエンターテインメントがある。
会場がシアター・レストランなので、ぼくはオープニングで「摂子さーん!」と声をかけた。ファンとしては当然のことなのです。
音楽ヒョーロン家めいたことは言わない。
とにかく快く楽しめるのが立原摂子ワールドなのだ。
ぜひ立原さんとは〔いい仕事で〕ご一緒したいと意欲している。
川内康範センセイと森進一クンのこと
音楽の仕事をしているからいい人だ――というのはとんでもない誤解である。
デタラメ・いいかげんな人間はどのギョーカイにもいる。
森進一の「おふくろさん」の歌詞いじりの問題はやはり起こるべくして起こったトラブルだ。
いまテレビ局の番組制作のネツ造問題でガタガタだが、同時に新聞社がらみの醜聞も多発している。
たとえば、新聞の社説を担当する論説委員なる者が他社の論説記事から盗用盗作しているとか。
森進一の「おふくろさん」では、歌手(側)が勝手にバース(前歌)をつける改作していたというのだが、ぼくも「物書き業50年」、しかも「おふくろさん」問題にかかわっていたといわれている故保富庚午氏と同じ構成作家だったのだ。
モラルの欠落はいま、政治・経済・社会のいずれの分野にも蔓延している。
まったく手のつけようがないね。
つくづく思う。
心のまっとうな人、感性の洗練された人、志が上質な人の創った音楽を享受して、当方の心と、感性を健全に保ちたい――と。
○
「音楽は天使のスピーチだ」とはうまい表現だ。――カーライル
でもねぇ。昨今の楽曲の中にはたんなる騒音屋の騒音みたいのが多いぜ。
PS
本日(2月23日)は、目黒雅叙園での「隣々会――渡辺洋氏主催」にお招きを受けている。「キャロル山崎」のステージがある。
また明日(2月24日)は、新谷のり子さんのルーテル市ヶ谷でのコンサートがある。
ぼくの作詞した「平和を願う歌」シリーズのうち一曲「鳥になれたらいいね」(作曲 園田容子)をうたってくれた新谷のり子さんも、とっても素敵になられた。
演劇・映画、そして音楽漬けの日々である。